第三章『帰らぬ父に馳せる想い』

(1)

「――のう、戌斬。そなた『鬼ヶ島』がどう言うところか知っているか?」


 桃狩が切り出したのは、屋敷の縁側。赤や黄色に色づいた木々を眺めるともなく眺めつつ、片手に湯呑み茶碗を持った状態で――だった。


 あれから早、半年もの月日が流れていた。

 あの後――絶対的な草禅の力を見せ付けられた後、気を失った『我鬼』に、ほぼ全員で捕縛術を掛け、いざ『鬼ヶ島』へ護送すると言うときになって、突如草禅が言った。


『実はな、桃狩。私はこれから暫くの間『鬼ヶ島』へ留まらねばならない』

『は? 何故ですか?』


 寝耳に水の発言に、思わず考えることもなく問い掛ければ、草禅は困ったように眉尻を下げて言った。


『見ての通り、この『我鬼』と言う鬼の力は油断ならない。

 故に、『我鬼』を捕縛出来たなら、『我鬼』が誰かの『式神』として働けるようになるために術を施していかねばならないのだが、それが出来るのが私ぐらいだと言うことになっていてな。そう長くは掛からないとは思うのだが、それまで芙蓉(ふよう)……そなたの母を初め、屋敷の者達のことを頼めるか?』

『そんな、いきなり……』

『何をそんな情けない顔をしているのだ』


 突如降って湧いた話に動揺すれば、草禅は桃狩の頭をくしゃくしゃと撫でながら言った。


『私がそなたの歳の頃には、既に家長として采配を振っていたぞ。

 安心しろ。戌斬がお前のことを助けてくれる』

『戌斬が?』と見上げれば、元々話し合っていたのだろう。

 草禅と同じような優しげな微笑を浮かべて『お任せ下さい』と頷いた。


 そして時は流れ、毎日を忙しく過ごしてくれば、あっと言う間に実りの季節を迎えていた。


『草禅様は竹の子の煮付けがお好きだったのに、あちらでは食べられているのでしょうか?』


 と口走ったのは、先日取れたての竹の子を眼にした母、芙蓉。

 歳の頃は三十前後。長い黒髪を背中でゆったりと束ねた、恐ろしく穏やかな気性の女性だった。少なくとも桃狩は、自我を持ってから今まで、一度として芙蓉が怒ったところを見たことがない。よく言えば大らかで、悪く言えば緊張感のない母である。


 半年前、意気消沈して帰った桃狩が、草禅が戻らない旨を伝えたときも、『それは大変ねぇ』と軽く流して終わりだった。

 さすがの桃狩も、本当に事の重大さを分かっているのだろうかと不安を抱いたものだが、一見抜けているようで、芙蓉は抜け目と言うものがなかった。


 草禅が行っていた仕事に関しても芙蓉は全て把握しており、何の仕事のときは何が必要か。こんなときは何をすればいいものか。焦る我が子を包み込むような優しさで導いた。

 さすが稀代の陰陽師が見初めた女性だと、今更ながらに感心したものだが、長くは掛からないと言っていた草禅が、半年も帰って来ないとなると、さすがに心配を口にするようになっていた。


 一応それでも、二日と間を空けずに草禅からは、鳥の形の『式神』が送られて来る。その『式神』は、桃狩親子の元に辿り着くと、すぐに文へと姿を変えて、近況報告をもたらしてくれた。


 少なくとも、文を読む限りでは無事に生きていることが確認出来たが、やはり桃狩も不安ではあった。

 あれほどまでに竹林での精神統一の際、『式神』を使って邪魔され、正直ムッとしていたところだが、半年間も邪魔が入らなければ、正直物足りなさを感じずにはいられなかった。

 故に桃狩は、戌斬に訊ねた。対して、戌斬は答えた。


「……『鬼ヶ島』と言うところは、基本的には強力な力を有した妖達が収監される場所だと聞いております」

「だが、何故妖どもをわざわざ収監するのだ?

 あのときも、父上は妖達を一匹でも多く滅ぼせと仰っていた。

 だが、『我鬼』だけは生け捕りにして、『鬼ヶ島』へ連れて行った。何故だ?」

「それは、『我鬼』が稀に見る力の持ち主だったからだと思われます」

「むしろその方が、完膚なきまでに滅ぼした方がいいのではないか? 下手に脱獄でもされた日には、目も当てられないぞ?」

「ですが、その力を制御出来るとしたら、術者は更なる力を手に入れることになりましょう」

「更なる力……『式神』か……」

「はい」

「そう言えば、父上も別れ際にそのようなことを仰っていたな。すると、『鬼ヶ島』と言うところは、『式神候補』として力を有する連中を収監して置く場所ということでいいのだな」

「はい」

「……とすると、あの場所にいた『式神』達は、皆『鬼ヶ島』から術者が手に入れた、かつては名を馳せた暴れ者達という認識でいいのか?」

「正確には、必ずしも『式神』が『鬼ヶ島』からやって来たというわけではありません。

 契約を結び、『式神』となる場合と、術者自らが作り出した『式神』と言うものも居りますので、一概には言えないのですが、概ねの解釈としてはよろしいかと」

「ふ~ん。では、戌斬はどちらだ?」

「は?」


 いやに珍しい、間の抜けた答えが返って来る。


「いや、戌斬は人ではない故に、ずっと父上の『式神』だと思って来たのだが、その『式神』がどうやって生まれるのか基本的なことすら、学び舎へ行っていないせいで知らなかったのだ。父上が早々に学び舎へ行くことを辞めさせてしまったしな。

 だから、ふと思っただけだ。答え難ければ無理に答えずとも良い。答えずとも私は、戌斬のことを信じているからな。幼少の頃から私の世話をしてくれている戌斬は、私にとっては兄のようなものだし」

「そんな! 兄のようだとは恐れ多い」


 途端に慌て出す戌斬を、やはり珍しいなと思いながら、桃狩は穏やかな笑みを浮かべて言葉を紡いだ。


「何もそんなに畏まる必要はない。私とて、人とは似て異なる者なのだから」


 そう。見た目がまるで人間にしか見えない戌斬が人間ではないように、桃狩も、人間の姿をしているが、人間とは言い難い存在だった。

 何故なら、桃狩は母の腹から生まれ出たのではなく、大きな桃から生まれたと言うのだから。


 そのことを聞かされたのは、桃狩がまだ『桃太郎』と言う名前だった頃。術師となるべく通っていた学び舎でのことだった。

 刀剣を扱わせれば右に出る者もおらず、小さな邪気ならば『言の葉』を紡ぐことなく祓えてしまう桃狩は、羨望と嫉妬の的だった。


 特に、嫉妬の対象としている子供や親達にして見れば面白いわけもなく。そこへ来て、術の一つもまともに出来ないと分かったなら、容赦ない嫌がらせや、これ見よがしの陰口が横行した。その中で、ある子供が言っていたのだ。


『あいつはにんげんのふりをしている、あやかしなんだぞ。

 とうさまがいっていた。あいつは、かあさまのおなかからうまれたんじゃなくて、ももからうまれたんだってな』


 それは、どんな陰口の中でも何故か一番堪えた。

 ある意味、子供心にも自分が普通ではないと感じていたせいかもしれない。

 とにかく桃狩は受けた衝撃が大きくて、初めて母に泣き付いた。

 それまで、涙ぐむということはあっても、泣きじゃくるということがなかった桃狩の様子に、慌てたのは芙蓉の方。宥めても、賺しても、理由を語らない桃狩に困り果てた芙蓉が、後にも先にも初めて、草禅を仕事中に呼び戻した。


 そして、親子三人が揃ったとき、桃狩はそれまで黙っていた学び舎でのことや、自分が桃から生まれた妖だと言われたことを話した。

 語りながらも桃狩は、両親が笑い飛ばしてくれるものだと期待していた。

 だが、桃から生まれたと口走ったときの、母と父の顔に過ぎる表情を見たならば、それが事実だと理解してしまった。


 自分が人の子ではないと言うことより、父と母の子供ではないと言うことの方が悲しかった。


 そして桃狩は聞かされた。母と父の間には長い間子供が出来ず。絶望した母芙蓉が、思い余って川に身を投げようとしたことを。

 普段の、穏やかでおっとりした芙蓉からはとても想像など出来なかった。

 だが、それは事実だったらしい。少し悲しげに微笑む芙蓉を見た桃狩は察した。


 芙蓉は初め、洗濯のために川へ行ったのだが、洗濯をしている最中に堪らなく悲しくなり、衝動的に川へ入ったのだと言う。浅瀬から深みへと足を進め、胸の下まで入ったとき、どん! と背後からぶつかるものがあった。


 一体何かと思い振り返ると、そこには信じられないほど大きな桃が、子供がしがみ付いて来るように芙蓉の胸の中に納まって来たのだと言う。

 それはちょうど、赤子が入るほどの大きさだった。


 それこそ、あまりにもあり得ない、馬鹿馬鹿しさえ覚えるほどの大きな桃を抱え、一瞬思考が止まった芙蓉は、暫し川の中で桃を抱き締めて、不意に笑い出したのだと言う。


『本当に、そのときはおかしかったのですよ』


 実際、今思い出してもおかしいと、身投げの話からは似つかわしくない笑みを浮かべて笑っていた。


 その後芙蓉は、洗濯物をそっちのけにして、我が子を抱いたらこんな感じかと思いつつ、大きな桃を持ち帰った。


 驚いたのは山に張った結界の調子を見に行ったついでに、柴を刈って来た草禅だった。

 妻がびしょ濡れで、通常では考えられない大きさの桃を抱えて来たのだから。


 一体何があったのだと訊ねる草禅に、芙蓉は笑いながら話して聞かせ、草禅が悲しめばいいのか、呆れればいいのか、叱ればいいのか、無事を喜べばいいのか、己の感情を選びあぐねいている間に、


『確か桃は、子宝に恵まれる――という御利益もありませんでしたか?

 これは、命を捨てるほどに子供が欲しいと望んだ私のために、神か仏が遣わして下さったに違いありません。そうと決まれば、早速食しましょう』


 と、死のうとしたことなど嘘か冗談だったのではと思いたくなるほど楽しそうに、台所から包丁を持って来て、いざ割ろうとしたときだった。


 まるで桃が危険を察知したかのように輝き出したのだと、草禅は伝えた。

 実際、光り輝いたお陰で、後に『桃狩』の名付けられる赤子は命拾いした。

 光が治まり、パカリと割れると、中からけたたましい泣き声を上げて、赤子が一人現われたのだ。咄嗟に芙蓉も草禅も反応が出来なかったのだと言う。


 確かに、陰陽術を使って、炎や水を呼び出したり、雷を降らせ、植物を成長させたり、『式神』を作り出して人のように扱うことはあるが、誰の仕業とも思えぬ所業と、あまりにも切望していた存在の出現に、二人は互いに顔を見合わせ、どうしたものかと逡巡し。


『私達の子供として育てることにしたのよ』


 芙蓉が自慢するかのように教えてくれた。


『確かに、私がおなかを痛めて産んだ子ではないけれど、でも、あなたを見つけたのはこの私。運んだのも、生まれる切っ掛けを作ったのも。

 そもそも、私を目掛けてぶつかって来たのはあなたなのだから、あなたは私の子として生まれることを望んでいたってことなのですよ。

 あなたが望んで、私が望んだ。あなたが生まれて、私達は喜んだ。

 だからあなたは私達の子。どこの誰が何と言っても、あなたは私達の子。だからあなたは自信を持って言いなさい。自分の父の名は草禅。母の名は芙蓉。その二人の子『桃太郎』と』

『それに、桃は本来破邪の力を有している。その力をそのまま引き継いだからこそ、そなたは『言の葉』を紡ぐことなく邪気を祓い、瘴気を祓えるのだろう。

 それが出来れば学び舎に行く必要もない。学び舎で教わる程度のことなら私が教えられる。何、心配するな。そなたのことは私達が責任を持って育て上げてみせる。

 むしろ、辛い思いをしていることに気が付いてやれず、済まなかったな。許してくれるか?』


 などと問われたなら、許さないとは言えなかった。

 自分は確かに人ではないが、人並みに……いや、それ以上の愛情に包まれていると知ったなら、桃狩の中で暗く沈んだ感情は消えていた。


 だが、それと自分が人間ではないと言うことは別問題。

 消しても消し切れぬ想いを和らがせてくれたのが、誰あろう戌斬だった。

 仕事で忙しい草禅の代わりに、戌斬はいつも桃狩の傍にいてくれた。

 剣の稽古もしてくれたし、芙蓉が手を放せないときは風呂にも入れてくれた。

 背中に乗せて歩いてくれたこともあれば、寝ずに看病してくれたこともあった。

 たまたま出かけた先で、妖に襲われそうになったとき、助けてくれたのはいつも戌斬だった。


 パッと見、戌斬は無表情なことが多いため、初めて見るものには冷たい印象や怖い印象などを与えるが、毎日付き合っているとそうではないと言うこともよく分かる。

 ただ、いつの頃からか気が付くと、戌斬は草禅の仕事を請けて外出することが多くなっていた。

 正直寂しかったが、仕事の邪魔はしてはいけないと己を戒め、自己鍛錬に励んでいた。


 そして半年前。今度は戌斬はいるが、草禅がいなくなった。

 常に誰かが欠けている状態が、何となく嫌で。だが、素直に嫌と言えない意地が手伝って、桃狩は遠回りな問い掛けをした。本当に、何かを察したわけではない。

 ただ、たまたま草禅が今いる場所のことを知りたいと思っただけだった。


 だが、その報せはやって来た。


「桃狩! 桃狩!」


 ただならぬ様子を滲ませて、己の名を呼ぶ者がいた。

 普段、そのように名前を呼ぶことはない存在――母、芙蓉。


「こちらです、母上」


 弾かれたように声を上げ、気配を察して駆け出せば、廊下の途中で血の気を引かせた芙蓉を見つけた。


「母上、一体どうなされたと言うのですか」

「こ、これを。これを――」


 そう言って差し出された文を受け取り、眼を通す。

 一瞬、意味が解らなかった。


「桃狩様……芙蓉様、一体どうなされたのですか?」


 戌斬に問い掛けられ、桃狩は掠れた声で呟いた。


「――『鬼ヶ島』が、乗っ取られた」

「は?」


 その間の抜けた戌斬の声が、桃狩には随分と遠くに聞こえていた。


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