(2)

「桃狩……そなた、本気で『鬼ヶ島』へ行こうと言うのですか?」

「はい」


 半年前、草禅がしつらえてくれた防具を引っ張り出し、具合を確かめていると、背後から芙蓉の戸惑う声が掛けられた。


「ですが、草禅様からの文はついこの前も来ていましたよ」

「だからこそ、確かめに行くのです。ついこの前と言いますが、それがいつだったか覚えていますか」

「……っ」振り返ることなく問い掛けられ、息を飲む芙蓉。

「私の記憶が確かなら、もう六日は前になります。少なくとも、私はそれ以降に文を読んだことはない。それとも、私にではなく母上だけに宛てられた文が送られて来ていたのですか?」

「それはありません」即答だった。


 勿論、桃狩も本気で疑っているわけではない。


「だからこそ、私は確かめに行きます。父上がいる限り大丈夫だとは思っていましたが、もしもその報せが本当ならば、私は父上の安否を確かめに行きたい。いや、それ以上に、『鬼ヶ島』に収監されていた妖達……特に『我鬼』がどうなったのか、私は知りたいのです。

 あのような、弱き人間にとって脅威となる存在を野放しには出来ません。また、父上も望みません」

「ですが、あなた一人でどうすると言うのです?」


 確かに、それを言われてしまえば心もとない心境にもなるが、救いの手はすぐに現われた。


「桃狩様はお一人ではありません。この戌斬。全身全霊命を懸けて、桃狩様をお守りすることを芙蓉様にお誓いします」

「母上。私も戌斬と共に誓います。必ず生きて帰って来ること。

 そして、必ず父上を連れ戻り、人間にとっての災悪を討ち滅ぼして来ることを!」


 対して芙蓉は、我が子と思う二人に頭を下げられて、胸の内に膨れ上がる様々な感情に押し潰されそうになっていた。

 もしも報せが本当ならば、最悪、愛する夫は既に亡き者となっているかもしれない。

 そこに来て、息子と望んだ我が子を送り出し、万が一帰って来なかったらと考えると、是が非でも行かせるわけには行かないと思った。


 だが、ここで二人を止めてしまえば、万が一草禅が生き残っていた場合、助け出せなくなるかもしれない。脱獄した妖達によって、もっと多くの犠牲が出るかもしれない。

 身内びいきによって、無関係な人間達が不幸に見舞われる。もしもそれを草禅が知ったなら、息子達が知ったなら、とてもではないが芙蓉は顔向け出来なかった。


『力ある者がやらずにどうする。この力は皆を守るために与えられた尊いものなのだ。それを蔑ろには出来ぬよ』


 そう言って、少し恥ずかしげに、少し誇らしげに笑った草禅の顔を思い出したなら、芙蓉の腹は据わった。

「――解りました」搾り出すような声になっていた。


 それでも、許しがもたらされたことで、桃狩と戌斬が顔を上げる。だが、


「ただし。出立は明日にしなさい」

「母上!」

「何事にも準備と言うものは必要です。無謀に突っ走るのは愚の骨頂。辿り着くまでに野垂れ死にでもしたらどうするのです」

「うっ」

「そなた達は妖退治などの荒事は得意かもしれませんが、通常の旅などしたことはないでしょう」

「うっ」

「ですが、芙蓉様……」

「戌斬。自分は人外の者ゆえ、野宿なども気にはなりませぬ――などと言うつもりではありませんね?」

「うっ」

「そなたは平気でも、桃狩はどうします。過保護に育てた付けが来たと言われれば、何一つ反論も出来ませんが、体調を崩して肝心なときに役に立たねば本末転倒。

 だからと言って、宿に泊まるとなると路銀が必要となります。そなた達、物の相場と言うものを把握していますか? お金の基準などを知っていますか?」

『うっ』

「そのようなことも知らずに、『鬼ヶ島』までどうやって行くつもりです?

 そもそも『鬼ヶ島』の場所は知っているのですか。

 そのような基本的なことも知らずに息巻いて出たところで、途方にくれて終わりです。

 あなた達二人は、これから世間の勉強をしなさい。

 私はこれから草禅様の同僚の方々に対して文を書きます。

 それを別な者に『式神』にしてもらって飛ばしますので、答えが返って来るまでの間、普通の人間の常識と言うものを体と頭に叩き入れて置きなさい。良いですね?」

『――はい』

 

おっとりとした口調でありながら、言い知れぬ迫力を有しつつの矢継ぎ早な問い掛けと忠告に、ぐうの音も出ずに頷くしかない桃狩と戌斬。

 そんな二人が旅立ったのは、翌日の昼過ぎのことだった。

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