桃狩鬼譚

橘紫綺

序章『我鬼(がき)襲来』

 その村は、今まさに滅びようとしていた。


「な、何故お前さん方はこんな酷いことを……。この村に何があると言うのだ……」

「ああ?」


 最後の村人は、くしくも村長を名乗る者だった。

 元々、嵐が来れば吹き飛んでしまいそうな家は、今はもう半壊状態。その戸口に背中を預けて腰を抜かしながら、恐怖に血の気を引かせ、涙と鼻水を垂らしながら、瘧のように体を震わせ、声を震わせ、村長は問い掛けた。問わずにはいられなかった。


 目の前で、村は滅びようとしていた。

 目の前で、村人達が食われていた。


 その日も、これまでと変わらない一日が始まると、誰もが思っていた。

 実際、夕日が村を橙色に染める頃まで、誰も疑ってなどいなかった。

 良くも悪くも何も変わらない。ただ一日精一杯働いて、貧しいながらも飯を食い、隙間風の入る家で、家族揃って薄い布団を被って夢を見る。いつも通りの一日が終わると思っていた。


 そう。そいつらが、現われるまでは――


 そいつらは、夕日を背にして現われた。長い長い絶望の影を村に伸ばしてやって来たのは、妖どもを引き連れた『鬼』と呼ばれる存在だった。

 形は人と殆ど変わらない。ただ、皮膚の色や体格は明らかに人間とは異なっていた。

 野性味溢れた顔立ちを醜く歪めたその顔は血のような赤い色。眼は金色に爛々と輝き、適当に伸ばしっぱなしの白髪を風になびかせ、何貫あるとも知れぬ巨大な棘付きの棍棒を手に、ふてぶてしく笑っていた。袖を破った宵闇色の着物を着流し、腰には虎の毛皮を巻き、酒瓶を括り付け。太く鋭い爪はあらゆる物を抉り、はちきれんばかりの筋肉は破壊をもたらし、その大きく裂けた口は、手当たり次第に獲物を噛み切る牙を備えていた。


 だが、それだけならば少し名の通った妖にも同じことは言えた。

 しかし、妖と『鬼』を比べるのは大きな間違いだった。妖の中でも『鬼』は特殊な存在。何よりも特徴的な角が頭部に生えた『鬼』は、人間のみならず、妖すらも喰らい続けた証拠。

 

 そもそも『鬼』には二種類ある。その一つが、初めはただの妖だったと言う場合。

 その妖が、強くなるための方法に『妖喰い』と言うものがある。呼んで字の如く、妖自信が妖を喰らい、他者の力を吸収する方法だ。その一定の量を超えたとき、妖は頭部に角を生やし、『鬼』となる。ただし、その数は千、二千ではきかない。故に、妖達も『鬼』を見れば姿を隠す。


 だが、そんなことをただの人間が知るはずもなく、突如として現われた『鬼』が率いる妖の姿を見た村人達は、一瞬何がやって来たのか理解出来なかった。

 夕日を背にしているせいで、逆光になっていた。影の集団が来たようにしか見えなかった。誰かが言った。


 ――誰か来たようだ。


 次の瞬間、『鬼』達の最も近くにいた村人の頭が飛んだ。

 夕焼けに染められた村に、小規模な赤い雨が降った。遅れて崩れる体が一つ。

異様な沈黙が村を飲み込み――誰かが劈くような悲鳴を上げた。


「鬼だああああ! 妖が来たああああ!」


 瞬く間に村は恐慌状態となった。農具を捨て、籠を捨て、子供を抱きかかえて逃げ惑う。

 そんな中、誰かが聞いた――


 ――さあ、狩りの時間だ

 

 後は、一方的な殺戮だった。

 悲鳴が上がる。泣き声が上がる。怒号が上がり、破壊音がいたるところで上がった。

 気が付くと、村長は自分の家の前にいた。その目の前に、白髪の赤い肌の『鬼』がいた。

 地面に立てた棍棒に寄り掛かるようにして立ち、腰の酒を煽りながら、目の前で繰り広げられる一方的な殺戮を眺めていた。

 

 その横から、村長は見ていた。己が治めていた村人達が、人間達が、意図も容易く殺されて行くところを。あまつさえ、喰われる様を。

 骨と皮だけの老人達はそのままに、妖達は女や子供をこぞって食っていた。

 

 悪夢だと、村長は思った。

 地獄だと、村長は思った。

 

 あまりに圧倒的な暴力と理不尽さに、怒りすら湧かなかった。

 自分には何も出来ない。何一つ出来ることはない。諦めることを選択出来るような状況ではなかった。厳然たる事実を目の前に、村長はただ、無力感と絶望感に苛まれ、疑問だけを口にしていた。

 対して鬼は振り返ると、吐き捨てるように答えた。


「俺の通り道にあったからだよ」


 意味が判らなかった。この村を通って、一体どこへ行こうと言うのか?

 だが、村長はその答えを聞くことは出来なかった。


「あ? なんだ、もう空か。仕方ねぇ。おい! 誰かこの村ん中で飲めそうな酒を見つけて来い。見つけた奴には『免罪符』をくれてやる」


 その途端。村人達を貪っていた妖達が、弾かれたように壊した家々に散って行った。

 そして村長は――おもむろに『鬼』が放った空の酒瓶によって頭を潰され、絶命した。




 時は、怨霊生霊、魑魅魍魎が跋扈する時代。

 金のある連中はお抱えの術者を雇い、結界を張って身辺を守り、金のない者は常に妖や『鬼』の恐怖に晒されている時代。

 そこに、負の伝説として語り継がれようとしている一匹の鬼がいた。

 その鬼。肌は赤く、髪は白く。背丈は六尺半。宵闇色の着物を着流し、腰には虎柄の毛皮。手には棍棒。酒をこよなく愛し、気まぐれに村を滅ぼす。

 多種多様な妖を引き連れて、縄張りを拡大中。被害は国中に広がり、『都』はその鬼を『我鬼(がき)』と名付け、全力で捕縛することを決定していた。

 気まぐれに、我が侭に、我が物顔で力を揮う、額に反り返った二本の角を有する『鬼』。

 そんな『我鬼』に関し、いつの頃からか、まことしやかに囁かれる噂があった。

 曰く――『我鬼』は本来、人間であったらしい……

 当然のことながら、真偽の程も話の出所も不明なまま、噂だけは流れ続けた。

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