(3)
「……しっかし、地味な作業だなぁ……」
行く先々で、おそらく猿我がやったと思われる妖の惨殺死体を数珠に封印させながら、思わずぼやく鵺。
「転がってるのはどいつもこいつもゴツイ奴ばっかだし。今まさに襲われそうになってる女もいねぇし、男に襲い掛かろうとしている美人な妖もいねぇし。正直、やる気なんて起きねぇなぁ~」
実際、鵺にはやる気などなかった。猿我に続いて飛び込んだのも、猿我が半妖で、いざと言うときに助けに入って恩を売ろうと下心満載だったから。
だが、どれだけ奥に踏み入ったものか、まるで猿我を見つけることが出来なかった。
どこまで行っても転がっているのは、ざっくりと容赦なく四肢を切り離されて止めを刺された妖の残骸と、元は人間だった連中。壊れた家に、燃え盛る炎。
中には赤子の片腕も落ちていた。その傍に落ちているのは、黒く染まって見える布の切れ端。
それを見ても、鵺は全く心を動かされなかった。
だが、それを見て、猿我が逆上したことは容易に想像出来た。
「その辺が、半妖の悲しい性(さが)なんだよなぁ~」
人間にもなれず、妖にもなれず、どちらを選んでもその相手からは疎まれて、けして安住の地を見つけられず、妖に喰われるか、人間に殺されるか、どちらにしろ不運な人生を送るだけ。
それでも、人間が殺されると知ったら、決して報われる訳がないと言うのに飛び出して行った猿我。きっと猿我に流れる人間の血がそうさせたのだと鵺は思う。
「そうでもねぇと、人間殺す妖に対して怒りなんて込み上げねぇもんな」
そこが、純粋な妖である自分との違いだと、鵺は鼻先で嗤う。
「気に入った女を鼻先で嘲嗤うんだから、相当酷ぇ男だよな。そうは思わねぇか?」
と、振り返れば、一体いつの間に現われたものか、自ら燐光を発した艶やかな姿の女が立っていた。
ヒューと一つ、感心したような口笛を吹く鵺の口元に、満足げな笑みが浮かぶ。
「どうしてなかなか、かなりの上玉じゃねぇか」
上から下までを品定めをするかのように見回して、ニヤリと嗤って見せると、猿我以上に盛り上がる白い胸元を盛大にはだけた色白の女は、ゾクリとするほど色香の漂う笑みを浮かべ、こう言った。
「そう言うあんたもいい男だねぇ~。相当女を泣かして来た酷い男の匂いがするよ」
何とも男心をくすぐる良い声だと鵺は思った。
「こんな所で会ったのも何かの縁。どうだい? あたしと一緒に、取れたての生き肝、食べないかい?」
と、誘った傍から、朱に濡れた手に持った何かを口に運び、滴る血を顎から白い胸へと塗りたくり、ニィ――と笑みを深くした。
白い肌に赤い色が恐ろしく扇情的に映える。
「いいねぇ。ここは一つ、俺も御相伴に預かろうか」
鵺はさっさと数珠をしまい込んで歩を進めた。
生き胆片手に、鵺がやって来るのを待つ妖の、猿我と同じ金色の瞳がぬらりと光る。
頭のてっぺんで結わえられた紫色の髪が、時折熱風に煽られて揺れる様を見ながら、鵺は当然のように妖の腰に手を回して引き寄せた。
豊満な胸が鵺の胸に押し付けられ、盛り上がる。
女は誘うような眼をしながら、口をつけていない肝を、自らの胸の上に乗せた。
「夢中で喰ったら、お前さんの大事なものまで食い千切るかも知れねぇぞ?」
少し屈めば食らいつける位置にある肝と胸に、冗談めかせて忠告すれば、
「お前さんがそうしたいなら、それでもいいさ」
と、妖は受けて立つ。
妖の白い足が着物の裾を割って現われると、当たり前のように鵺に絡み付き、鵺も応えるようにその足へ手を伸ばし、腿へと這わせ、妖が恍惚の表情を浮かべて吐息を吐くと、求められるがままに唇へと顔を近付け――寸前で、あることを思い出した。
『でも、覚悟は決まったよ。ありがとう』
『砂粒ほどでも見た目を裏切って『良い奴』なのかもしれないと思った自分に腹が立つ!』
(おかしいな……)と、鵺は素直に思った。
目の前の妖は久々に上玉だった。しかも、まったく警戒心を解いてくれない猿我と同じ瞳の色を持っていて、猿我以上に豊満な胸を持っていて、それでいて、猿我とは違い存分に楽しめそうだと確実に思っていると言うのに――
(何だろうなぁー、これ……)
鵺は、不意に湧き起こる感情に、思わず苦笑いを浮かべていた。
「ちょ……と、一体っ……どう……し、たん……だい?」
口付けは辞めたが愛撫は続けているせいか、何とも言えない顔と声で問い掛けて来る妖に対し、鵺はすっと顔を寄せ、その耳に唇を当てながら囁いた。
「お前さん。人間殺すのは、楽しかったかい」
その囁きが、ビクリと妖の躰を震わせた。ぎくりとしたわけではないことは分かっている。隠していたことがバレて、焦っているわけでもないことは分かっている。
証拠に、妖は何度も頷きながら答えた。
「最高に、楽しかった……でも、あんたの方が、もっと、いい――」
「そうか。そうだよな。楽しいよな」
実際そうだと鵺は思う。
何を隠そう、かつての鵺もそうだったから。
鵺が一番最初に覚えている光景は、血の海に沈む、滅ぼされた小さな村で、血にまみれた手を見下ろしている自分。
そして、何か大切な物を失ったと言う喪失感と、人間が憎いと言う強い衝動だけ。
鵺は、喪失感を覆うように、衝動と本能に従って人間を襲い続けた。
襲って襲って、襲い続けて、村を滅ぼして、町を恐怖に陥れて。
その他にやったことと言えば――口にしたら最後、きっと猿我に殺される。
今は昔ほどではないとしても、決定的に嫌われるようなこと。軽蔑されるようなこと。
だが、鵺はそうせずにはいられなかった。何かで気を紛らわせていなければ、鵺は訳の分からない喪失感に悩まされ、いても立ってもいられなかった。
やがて鵺は名の知れた妖となった。術者が大勢、鵺を仕留めようとやって来たが、悉くを返り討ちにした。時にはその生き胆を食らって、力を付けた。
そんな折に、鵺は師匠と出逢った。
人間よりも妖らしい思考を持った破戒僧。
簡単に殺せると思った。自分を止められる者は誰もいないと思った。
だが、実際は完敗だった。殺されると思ったし、殺されたと思った。
でも、鵺は生きていた。
眼が覚めたとき、その生臭坊主は美味そうに酒を飲んでいた。
呆気にとられた。何が起きているのか分からなかった。
それからずっと、一緒に旅をして妖退治を手伝わされた。
そのうち、ふとしたことで、鵺は自分の抱える悩みを口にした。
すると、師匠は言った。
『妖退治して、人間様を救っていれば、そのうち思い出すもんさ。少なくとも、人間殺してぇな~って衝動の方が強い内は、そこにあっても見えねぇだろうがな』
さすが坊主は言うことが違う。
全く持って意味が分からん――と不平を洩らしたものだが、あまりに長く一緒に居過ぎたせいか、説教癖が付いたらしく、少し前に言わなくてもいい事を口にして、柄にもなく礼を言われたばかりだった。
そのとき、柄にもなく鵺は心が震えたのだ。
特に、猿我にお礼を言われ、勝気な笑みの後に浮かべられた、はにかむ様な笑みを見たとき、今まで感じたことのない温かさを覚えた。
躰の内側から叩きつけるような心臓の鼓動と衝撃に、一体何が起きたのか解らず、鵺は呆然とした。
そのときの気持ちが――そのときの猿我の顔が、魅力的な肉体を持つ妖の金色の瞳を通じて思い出されたなら、鵺は思ってしまったのだ。
「――すまねぇな。本当に勿体ねぇと思うし、本当に俺は馬鹿だと思うが……」
「え? な、んだい?」
喘ぐように言葉を搾り出す妖を愛撫したまま、鵺は告げた。
「砂粒ほどでも『良い奴』だと思われたい女がいるから、この先はお預けだ」
「え?」
と、咄嗟に上体を逸らした妖が、困惑気味に鵺の顔を覗き込んで来れば、鵺は言った。仕方がねぇんだと言わんばかりの苦笑を浮かべて――
「せめて、あっさりと昇天させてやるよ」
「何を?」と、妖は言い切ることが出来なかった。
「がっ」と、口から鮮血を吐き出すと、躰をくの字に折って、鵺の腕に縋りつく。
胸に乗せられた肝が落ち、やがて妖は光の粒となって、妖の腹を貫いた鵺の腕、その腕に巻きつけられた数珠に吸い込まれて消えた。
「――いや本当に、どちらかと言うと断然おまえさんの考えの方が理解出来るんだぜ?
昇天させるにも違う意味でさせたかったし、本当に勿体ねぇって思ってるんだがな……
お前さんの眼の色が、同じだから、どうしても思い出しちまうんだよ。
逢ったばかりの嫌われている女の顔がチラつくもんで、勘弁してくれ。
あー、もう! でも、本当に、勿体ねぇ! どうせなら違う眼の色で出て来りゃ良かったんだ!
ったく、俺の欲求不満をどうしてくれる! 抱かせろ、別嬪さん!」
妖の姿消え失せて、人の屍が転がる炎に照らされた破壊された村に、鵺の切実な欲求だけが響き渡り、星はただただ呆れるように冷ややかに見下ろしていた。
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