(3)
(なんだか調子が狂うんだよねぇ……)
着物屋に入り、「いらっしゃ――」と出迎えた店の人間が――いや、店の中にいた客も含めた全ての人間が、猿我の格好を見て言葉に詰まっても、絶句しても、顔を赤らめても、眉を顰めても、特別に気にせず、猿我は着物をとっかえひっかえ掴み上げて見ながら、複雑な心境になっていた。
昨日一目見て心を奪われた桃狩。絶対に手放したくないと、その瞬間思ってしまった。
自分でも何故そう思ってしまったのか分からない。分からないから、一晩ずっと考えていた。何がそこまで桃狩に心を奪われなければならないのかと考えて、考えたまま寝入っていた。
そしたらその夜、夢を見た。とても懐かしい、『過去』と言う名の夢を。
その頃の猿我は、見た目は人間で言うところの六歳ほどの外見をしていた。
その頃既に、優しかった母は人間達に殺されていて、猿我は独りで生きて行かなければならない状態だった。生きて行くために色んなことをした。少なくとも桃狩には知られたくないことも多くした。時には人助けもしたことはあるが、外見ですぐに人間ではないと知られると、罵られたり石を投げられた。
猿我はそれが悔しくて、悲しくて、人間のことなど二度と信じるかと思っていた。
それでも、死ぬ前の母の言葉が頭から離れず、妖らしく人間を襲うことも、人間として生きることも、両方出来ずに途方にくれていた。
そんな頃、あの山に辿り着き、独りで生きていると、どこかで幼子の泣き声が聞こえて来た。
山の中で何故泣き声がと思って捜して見ると、二歳か三歳ぐらいの男の子が、稚児の服を来てわんわん、泣いていた。
猿我は迷った。助けに行くべきか、見捨てるべきか。
母が生きていれば、間違いなく助けただろう。だが、自分が行ったところで、拒絶されて更に泣かれると思えば、猿我は足を踏み出せなくなった。
だが、目の前の幼子は泣いている。不安で、怖くて、悲しくて。助けを求めて泣いている。泣くことしか出来ないから、精一杯泣いて、助けてくれる人を捜している。
そのあまりにも悲痛な泣き声が、自分とぴったり重なってしまった猿我は、幼子に声を掛けていた。
「どうしたの?」
と聞くと、幼子は驚いたように泣くのを止めた。
そして、大きな眼を猿我に向けると、再び顔をくしゃりと歪ませ――
やっぱり、怖がらせるだけだった! と、痛切に後悔した猿我の胸に、突然飛び込んで来た。
何が起きたのか、猿我にはさっぱり理解出来なかった。
何故、自分の腕の中に、人間の子供がいるのか分からなかった。
だが、猿我の服に必死にしがみ付いて、安心したように泣きじゃくる幼子を見下ろして暫し、猿我は恐る恐る、幼子の背中に手を回し、かつて母親がしてくれたように撫でてあげた。
「よしよし。怖かったね。もう、大丈夫だよ」
そうやって暫く抱き締めてあげていると、やがて幼子は泣き止んだ。
スン、スンと鼻を鳴らして、もぞもぞと動く。
もう抱き締めていなくてもいいのだと察した猿我が、腕を解くと、幼子は言った。
「あいがおー」
多分、『ありがとう』と言いたいのだと思うと、微笑ましくて、嬉しくて。母親以外の誰からも向けられたことのない、初めての「ありがとう」を貰って、今度は猿我が泣きたくなった。
緊張の糸が切れたように、ボロボロと涙が零れた。拭っても拭っても止まらない。
助けに来た自分が、自分より幼い子供を困らせてどうするのだと思っても、涙は止まらなかった。
その頭に、ふと小さな重みを感じた。
何かと思って顔を上げると、幼子が、精一杯心配そうな顔をして、ぺしり、ぺしりと、猿我の頭を叩いていた。おそらく、撫でてくれているのだろうと察すれば、猿我は母親がいなくなってから初めて胸の奥が熱くなった。嬉しくて嬉しくて、幼子に気を遣わせた自分がおかしくて、思わず笑ってしまったなら、釣られるように幼子も笑った。
思わず抱き締めたくなるほど愛らしい笑みだった。
その後、猿我は幼子が迷子になっていることを知った。下手に連れ回すとすれ違いの危険性があるため、猿我はその場で幼子と話をして時間を潰した。
幼子は全く自分のことを怖がらなかった。それどころか、『好き』だと言ってくれた。
きっと幼過ぎて、猿我が半妖だと言うことも、半妖が人間にとって危険な存在だと言うことも解らないのだろうと思いはするが、正直とても嬉しかった。
その後、自分達に向かって来る誰かの気配を感じた猿我は、『今お迎えが来るから、ここで待っているんだよ』と言って、姿を隠した。
そのとき、幼子は手を振って言ったのだ。
「またねー」
――――――
夢はそこで終わった。
だが、起きた瞬間、猿我は分かった。
かつて出会った幼子と、桃狩の醸し出す雰囲気が似ていることを。
勿論、自分に都合よく解釈しているという自覚はある。だが、ある意味猿我があの山に拠点を置いて山賊をしているのも、自分より歳下の外見の子供を捜しているのも、全てはそのときの幼子ともう一度会いたいと思っていたからかもしれないと、その瞬間思ったなら、もう、居ても立ってもいられなかった。
幼子と桃狩が同一人物かどうかは分からない。分からないが、離れたくないと思った。何が何でも付いて行こうと思った。
あのときの幼子のような笑顔で『ありがとう』と言ってもらいたいから。『好き』だと言ってもらいたから。
自分でも馬鹿だとは思う。だが、そうしたいと思ってしまったのだからどうにもならない。だからこそ、桃狩が望むのであれば、出来うる限りのことをしようと思った。嫌われたくないから、拒絶されたくないから。
だが――
「……気乗りしないもんは、やっぱり気乗りはしないんだよねぇ」
色とりどりの着物を物色しながら、つい本音が零れて落ちる。
「昔一度着たことあるけど、あたしのこの、育った胸がきつくて、半刻ともたなかったんだよねぇ」
と、自らの胸を擦りながらぼやいていれば、鼻の下を伸ばした旦那を叱る女の声が上がった。
「でもなぁ~。焦って嫌われたら嫌だしなぁ~。仕方がない。これにするか」
と、両手で赤い着物を持ち上げたときだった。
「そんなん着るのはもったいねぇな」
真上から降って来る無駄に色気のある声と突然生まれた気配に、ぎくりと躰を硬直させた次の瞬間!
「――ひっ!」
猿我の脇の下から突如差し込まれた大きな両手が、無遠慮に猿我の豊満な胸を下から持ち上げて鷲掴みにした。
「――い、やあああああああああああっ!!」
店内に、割れんばかりの悲鳴が響き渡った。
「猿我殿!」
「どうした!」
悲鳴を聞きつけた桃狩と戌斬が駆けつけると、胸を抱え込み、しゃがんでいる猿我と、
「ん。なかなか♪」
満足げに、手を開閉している凄まじく派手な形の男が立っていた。
歳の頃は二十代の半ばだろうか。額を出すように編み込まれた沢山の細かな三つ編みを、頭の後ろで一つに束ねた髪の色は緑色。結んでいる結い紐がまた赤・黄・青・黒・緑の五色。着流している着物もまた派手で、一体何色使われているのか咄嗟に判断出来ないほど。おそらく下地は黄色なのだろうが、細かな模様で彩られ、恐ろしく人目を引いた。
しかも、右腕は袖すら通しておらず、着物の下には桃狩が見たことのない前合わせのない深緑色の衣を着ていた。
着物を止めている帯は紺色。そして、着流した着物の下に、漆黒の細袴。足は膝下まである長い革靴。耳には金物製の装飾具。首や手首にも革や紐や金物で出来た装飾具をぶら下げた、本当に度肝を抜くほどに派手な男が立っていた。
漂う雰囲気はどこか粗野で野蛮そうなものだが、容貌自体は悪いものではなく、好きな人には好かれるもの。ただ、髪の色といい、どこか嘲りを含んだ真紅の瞳といい、彼が人間ではなく妖であると主張していたが、更に異様に見せるのは、その首にジャラリとかけられている凄まじく長い数珠だった。
「そなた、一体猿我殿に何をした!」
通常では絶対上げそうにない悲鳴を聞いた桃狩が、怒りも露に詰問すれば、
「な、何だその派手な色の髪は……もしかして」
と、誰かが震えた声を発した瞬間、
「貴様! その紛らわしい髪の染色を止めろと、いつも言っているだろうが!」
「は?」
戌斬が唐突に男の手を取って、戸惑いの声を上げる男を店から引きずり出し、
「さ、行こう、猿我殿」
「うん」
震える声で素直に頷く猿我を連れて、桃狩も慌てて外に出た。
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