第六章『諸事情』
(1)
「おいおい、一体どこまで連れて行く気だい、兄さんよ」
初めてやって来るはずの町中を、どんどん進んで行く戌斬。
次第に人気のない道へと踏み入って、最後にはひっそりとした掘りまでやって来た。
おそらく、戌斬の嗅覚が水辺を嗅ぎつけて一同を誘導したのだろうと桃狩が察する目の前で、
「貴様! 一体何を考えている!」
堀の近くにひっそりと立っていた見事な柳に男を押し付けて、胸倉を掴んだ戌斬が詰問した。
だが、戌斬より頭半分背の高い男は、怯えた様子も、気分を害した様子もなく、嘲るような笑みを口元に浮かべて答えた。
「男たるもの、見事な胸を目にしたら、揉まずにどうする」
「ふざけるな!」
と、声を上げたのは、戌斬ではなく、桃狩。
そのままつかつかと男に近付くと、
「猿我殿に謝れ! そのようなふしだらなこと、見知らぬ男にいきなりされて、喜ぶ女人がどこにいる! 猿我殿に謝れ!」
だが、男は反論した。幾分真面目な表情を浮かべて。
「お前達こそ、彼女に謝るべきじゃないのか」――と。
「何?」
気色ばんで桃狩が聞き返せば、男はニヤリと笑って言った。
「あんな魅力的な躰持ってるって言うのに、女として相手にしてもらえなけりゃ、女としての価値が下がるってもんだ」
「なっ」
「どんな女でも――いや、男でもそうだが、女には女の、男には男の自尊心ってものがある。認めてもらいたいものがある。それをちゃんと読み取ってやらずにどうする?
もったいないじゃねぇか。せっかくそれだけ魅力的なのに。
だから俺はお前さん達の代わりに、彼女の期待に応えてやったんだぜ? まさかあんな可愛らしい悲鳴上げるとは思わなかったがな――」
『ふざけるな!』
今度は、桃狩と戌斬の怒りの声が見事に揃った。
思わず耳に指を入れて顔を顰める男。
「猿我殿は、そなたの言うようなふしだらなことなど考えてはいない!」
「そもそもワタシは、そのことを怒っているわけではない!」
『え?』
てっきり、そのことで怒っていたとばかり思っていた、戌斬以外の三人の声が、これまた見事に揃えば、戌斬はきっぱりと言い切った。
「そもそも、女がそのような格好をしていれば、貴様のような思い込みの激しい男が、都合よく解釈して手を出して来ることは先刻承知。不意を突かれたからと言って、あのような情けない悲鳴を上げる方がどうかしているのだ!」
「――おい」
「……い、戌斬?」
「あらら?」
猿我が額に青筋を浮かべ、桃狩と男が戸惑えば、
「だからワタシは再三、慎みを持てと忠告して来ていたのだ。桃狩様だってそうして来た。
それを初めから聞き入れなかったのは、お前だろ、猿我。これに懲りたら、少しは身なりを整えろ」
「くっ」
振り返ることなく発せられた容赦ない突っ込みに、自分でも驚くほど恥ずかしい悲鳴を上げた猿我は、結局何も言い返せずに、悔しげに呻いただけだった。
「んじゃあ、お前さんは一体何に怒ってるってんだ? 彼女に何かした以外に、俺が何か気に触るようなことでもしたか?」
「しただろうが!」
「何だよ。身に覚えがねぇぞ」
と、本気で不思議そうに問い返されれば、
「その外見だ!」
「……………………は?」
優に一呼吸分の沈黙の後、眉を顰めて、心底意味が分からないとばかりに男は疑問の声を上げた。
「いやいやいやいや、兄さんよ」――と、次の瞬間にはどこか小馬鹿にした笑みを口元に浮かべて男は続ける。
「いくら俺がイイ男だからって、嫉妬されても困るぜ。
それとも何かい? 見た目で負けた上に、自分でも彼女に出来ないことを俺がしたもんで、尚更気に入らねぇのかい? だとしたら、悪かったな。その彼女は俺が頂くぜ」
と、何かを掴む動作をしながら見下してくれば、
「――桃狩様」
「ど、どうした?」
あまりに平坦な呼び掛けに、思わず突っ掛かりながら返せば、
「――この男、食い殺してもよろしいですか?」
「待て待て待て待て待て! 戌斬、少し落ち着け」
「大丈夫です。ワタシはすこぶる落ち着いています」
「それだけ殺気を振り撒いておいて、落ち着いているも何もないだろ!
いつもの冷静な戌斬はどこに行ったのだ?」
「大丈夫です。冷静な判断をした結果、勘違いに生き、他人に不快感を与える存在は抹消すべきと判断しました」
「していない! していないぞ、戌斬!」
「ですが! その女といい、この男といい、どうしてこう、てんで的外れなことでワタシ自身が貶められねばならないのです! ワタシがそんなに欲求不満に見えますか?! ワタシはただ、あからさまに妖だと主張して、正体を隠そうともしないことを憤っていると言うのに! ワタシはそんなに物欲しそうに見えるのですか?!」
「見えない! 全然見えない! だから、落ち着け! 他の誰かが貶めようとしても、私はお前を信じる! だから、早まるな! 確かに昨日からそなたに対する誤解が多いが、私は信じているぞ! お前がこの程度のことで我を失わず、いつものように冷静に対処すると。だから、今一度考え直せ!」
と、焦って桃狩が落ち着かせようとしたときだった。
「あっはははははは」
『!』突如、男が楽しげな笑い声を上げ、三人はビクリと肩を竦めた。
「あー、悪ぃ悪ぃ。別にこれはあんたらを馬鹿にして笑ってるわけじゃねぇ。
なんか久々に面白いもん見たからよ」
と、右手で顔を覆いながら、涙まで流して、本当に楽しそうに笑われると、何となく三人は男から引いた。その際、戌斬は掴んでいた胸倉を放している。
「ほんと、あんたら面白ぇな。あんたらでほんと良かったよ」
と、身を折りながら告げて来て、
「……何を言っている?」と、戌斬が代表して怪訝そうに問い掛けた。
すると男は、目尻を拭いながら爆弾を落とした。
「いや、俺が付いて行く連中が、あんたらみたいな面白い三人で良かった――って言ってんだよ」
と、少しだけ安心したような笑みを浮かべて向けられたなら、
『――――はぁああっ?』
力一杯の疑問の声が、人通りのない掘りに響き渡った。
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