第八章『滅ぼされた村』
(1)
「あの村か?」
「……うん」と、桃狩の問い掛けに、虫の息で頷く子供。
その子供は、桃狩の傍で倒れると、村が妖に襲われているから助けて欲しいと、息も絶え絶えに訴えて来た。
反射的に顔を見合わせる四人。鵺以外の三人の表情が引き締まる。
「何の抵抗もしない子供まで襲うなんて……」
燃え立つような怒りの気配を膨らませる猿我の横で、
「――て言うか、子供だから襲うんだろ? 妖は。硬い肉より柔らかい肉の方が……」
「鵺!」
「はいはい。黙ります」
戌斬に一喝されて肩を竦める鵺の見ている前で、子供は殆ど開かない眼で必死に桃狩の眼を捉えて、村を助けて欲しいと訴えた。
そんなことを言われて断る桃狩ではなく。桃狩が決めたことに逆らう戌斬ではなく、子供を襲うと言う当然の妖の行動に怒りを爆発させている猿我が逆らうこともなく、結果的に鵺も妖を狩るために同行することになった。
夜である。見上げた空は満天の星空ではあるが、周囲は見渡す限りの闇である。
先導するのは子供を抱えた戌斬。その後ろを鵺に背負われた桃狩。最後尾を猿我が疾走した。その方が断然村へ辿り着くのが速いと判断した結果だったのだが、初め鵺は桃狩を背負って走ることを拒絶した。だったら猿我が桃狩を背負って走ると申し出れば、桃狩は遠慮し、鵺が本気で反対した。
結果、鵺が不承不承であるが桃狩を背負って走ることになった。
怪我をした子供の足。ならば村も近いはずと思い走ること暫し、桃狩以外の妖達は、村人達の悲鳴を耳にした。
「あっちだ」と、子供が指示するよりも先に速さを増す一同の足が唐突に止まったのは、戌斬がいきなり足を止めたから。
「どうした?」と、追い抜かして止まった鵺が問い掛ければ、戌斬は答えた。
「この子供はもう……」
みなまで言わずとも、戌斬の腕に抱かれた子供の、だらりと垂れ下がった腕が何もかもを物語っていた。
「――許さない」
と、闇夜に金色の瞳を光らせた猿我の燃えるような赤い髪が、怒りに煽られるかのようにざわめき、
「先に行く!」
止める間もなく走り出していた。
「鵺殿、追ってくれ!」
「はいよ」
背中の上の桃狩の願いに、からかいもなく頷く鵺。
その後ろを、木陰にそっと子供を下した戌斬が付いて来た。
猿我は許せなかった。妖の本能として、弱い子供を襲うのは分かってはいたが、それを実行する卑怯さが、嫌だった。
猿我の母親は人間だ。その人間の母親は、猿我が妖の強さを持った人間らしい優しい子になって欲しいと、いつも言っていた。
優しい母親だった。そうなれるように努力して来た。
だが、人間はそんな母親と猿我を裏切った。常に裏切り続け迫害し続け、山で猪に襲われそうになっているところを助けたこともあると言うのに、返って来たのはお礼の言葉ではなく、恐怖と拒絶の言葉。挙句の果てに雇われ術師を差し向けて、猿我の前で母親を殺した。
あのときほど、猿我は自分が妖混じりだったこと後悔し、怨んだことはない。
同時に、人間に対して憎しみを抱いたことはない。皆殺しにして根絶やしにしてやろうと思ったことはない。
だがその度に、微笑みながら繰り返し言い聞かせられて来た母親の言葉が蘇った。
『猿我は強い子だから、弱い子を助けてあげるんだよ。そうすれば、いつか猿我のことを分かってくれる人間と出会えるからね』
だから猿我は弱い存在には手を出さないようにした。幼くして母を守れなかった子供の頃の自分と、母自身――女と子供にだけは絶対に手を出したりしなかった。
たとえ怯えられようが罵られようが、裏切られようが、女と子供にだけは手を出さなかった。山賊家業をしていても、それだけは徹底させた。
襲うのは大人の男のみ。こちらの話を聞こうともしない術者のみ。弱い者を虐げる存在全て。そこだけは、譲らなかった。
そうしなければ、そうして来なければ、自分の中の妖の血が目覚めてしまう。
そうなれば、大好きだった母の、人間としての自分が消えてしまう。
唯一自分の傍にい続けてくれた、大好きだった人の血は消したくない。何が何でも消したくない。だからこそ、妖だから子供を襲うのは当然。喰らうのは当然と言う考えを受け入れるわけには行かなかった。
そんなことを許しては、自分が人間の母とは違う、母を無理矢理孕ませた、顔も見たことのない憎たらしい父親の妖と同じになってしまう。どんなに否定したところで、猿我が妖の血を引いていると言うことは変わらない。
だが、両者から疎まれている存在ならば、どちらにでもなる権利もあると猿我は思っていた。母親がそう言っていたから、猿我は母親の望んだとおり、人間として憤りを感じ、今ここに、妖を狩ることを誓っていた。
村の入り口が見えて来た。這うように出て来た村人の頭を、七尺はあろうかと言う大きな人型の妖が無造作に掴み上げる。
跳躍。
大きく踏み込み飛び上がり、到達地点から縦に回転。そして――
「あ?」
七尺もある妖は、人間の頭を掴んだ自分の腕が、軽い衝撃と共に切り落とされるのを、間の抜けた声を上げて見下ろした。
噴き出す血液が遅れて上がり、直後に目撃した物は、金色に光る一対の瞳と、翻る赤い衣。そして、全身を引き裂かれる痛みだった。
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