(3)

 桃狩に対して言ったことに関して言えば、戌斬も反論したように、鵺だって本気でそうは思っていない。出会ってまだ一日足らずだが、そんな傲慢なことを考えられる性質ではないことぐらいはすぐに分かった。だが、あまりにも気負い過ぎる。屋台で売られている水風船に、どんどん、どんどん負担みずを注ぎ込んで行けば、やがて水風船は破れて壊れる。そのことに気が付いて欲しかった――と言えれば、良いヒトを気取られるのだろうが、鵺は自分がそんなお人よしだとは思っていない。

 あまりに真面目だからこそ、困らせてみたくなったのだ。


 だが、猿我に向けて言った言葉は本心だった。野宿するまでの道中、桃狩から話を聞いた限りでは、何故猿我が同行することになったのか良く分からなかった。

 惚れた弱みと言われてしまえばそれまでだが、それだけで命の危険を冒すことが出来るのか疑問だった。少なくとも鵺にして見れば、人間だろうが妖だろうが、どれだけ気に入った女がいたところで、命を掛けて何かをしてやろうとは思わない。


 気に入ろうがどうしようが、所詮他人は他人。熱に浮かされている間はいいが、熱は冷めるもの、冷ますもの。程なくして夢から覚めれば、はい、さようなら。


 気に入ったから力づくで奪おうが、相手から求められようが、自分も相手も少しの間夢を見られればそれで良い。人間も妖も死ぬまでが人生だ。寿命を迎えて死ぬも、術者に滅ぼされて消え去るもどちらもそうそう変わらない。だったら、少しでも長く生きて好きなことをしている方がどんなにいいか。


 一人の女にこだわって、刺激も何もない人生より、常に色んな女と出会って刺激を求めている方が、断然楽しい。

 それが独り身の、何一つ守るものがない鵺の人生論だった。


 だからこそ、そんな感覚しか持っていないからこそ、自分の帰りを信じて待っている連中がいるのに、命を失う可能性があると分かっていながら付いて行く思考回路が理解出来なかった。


 ただ、本人がそれで良いと言うのなら、それ以上は何も言えない。自分だって、自分の生き方を変えろと言われたところで、自己責任で対応するから放っておけ。と突っぱねて、後のことは右から左に受け流す。


 そんな男が吐いた言葉だからこそ、それこそ簡単に突っぱねてくれても良かったんだが、猿我は見ずに済まそうとしていたことを突きつけられて、その綺麗な顔を歪ませていた。


 炎に照らされた顔が赤味を帯びて、より一層そそられる。

 猿我のことを気に入ったと言う言葉に嘘はない。死んでしまうのはもったいないと言う思いも嘘ではない。出来ることなら――いや、絶対に何が何でも物にしたい! その気持ちだけは一目見た瞬間から鵺の中にあった。


 それが、猿我が桃狩に向けるものとは違うものだと言うことは充分承知している。この世に生まれて数十年。好いた惚れたなどという飯事遊びに心をときめかすことなど既にない。


 あるのは己の欲望を満たすこと。そのためなら、猿我が心を開いてくれそうなことを全力でする。落とした後は拾い上げれば良い。その落差が大きければ大きいほど、女は落ちる。そうなってしまえば、たとえ『嫌だ』と言っても、それは言葉上のお飾りにしか過ぎず、多少強引でも物事は進む。


 本来ならば、速攻で強引に攻めてもいいのだが、どうにも取り巻き二人が邪魔でしょうがない。

 純粋真面目一直線の桃狩は絶対怒るだろうし、戌斬だって、猿我のこと……と言うより、猿我のことに腹を立てた桃狩を見て、余計なことをして桃狩様の心を掻き乱すな! と言って立ち向かって来るだろう。


 正直、一人一人だったらまだ何とかなるような気がしたが、二人がかりで来られると、正直きついと鵺は判断していた。


 決して強そうに見えない桃狩だが、何か隠しているような雰囲気がずっとしているし、戌斬にしても、何か油断できないものを本能的に感じていた。


(――と言うか、この面子で一番意外だったのは、何よりも戌斬が大人しくなったことだよな)


 鵺にして見れば、戌斬が最も激昂すると踏んでいた。

 自分が仕える主のことを馬鹿にされ、主のために……と、やっていたことを否定されたのだ。それも、どう見ても、戌斬とは相容れなさそうな外見と志向を持つ鵺に。


 自分で言っておきながら、逆の立場だったらそれはもう、すぐにでも決闘を申し込んでいただろうと思うと、意外過ぎて拍子抜けしたほどだ。

 とりあえず、気に入らないからと言って、何でもかんでも拒絶するような考えの妖ではなく、どんなに気に入らなくとも、耳を傾ける場所があるならば、一応検証する程度の柔軟さがあるのだと理解する。


(だからこそ――面白い……)


 三者三様に、鵺に言われた言葉を噛み締めているらしい面々を見て、鵺は笑わずにはいられなかった。傍からは、「まったくこいつらは……」と落胆しているように見えるよう、胡坐を掻いた左膝に右肘を乗せ、その手を額に当てて顔を隠しながら、その陰で思いっきり口元を吊り上げる。


 真面目な奴ほどからかうと面白い。

 良い女ほど悩ませると堪らない。


 こんな面白い連中と数日間を共にして、妖どもを適当に倒して封印して持ち帰れば、自我を持ち始めてからずっと感じている、もやもやとした『何か』の正体が判るかもしれないと言うのなら、こんな楽しいことはない。もやもやの正体が判れば、焦燥感からも解放されるし、虚しさからも解放される。良いこと尽くめだと思う反面、いきなり地雷を踏みまくったから、やっぱり一緒に……と言うよりは、離れて勝手に付いて行くだけになるんだろうな――と、一抹の残念さを覚えていると――


「――確かに、お前の言葉にも一理ある」

「は?」


 突如上がる戌斬の真摯的な声に、自分の耳を疑った鵺が戌斬の方を見た。

 すると、声と違わぬ真剣な緑色の眼と合った。

 炎に照らされ、輝く眼と合ったなら、思わず鵺は息を飲んだ。


「自分が良かれとしていたことが、桃狩様の負担になっていたとは思わなかった、確かに己の行動を振り返ってみれば思い当たることがないわけでもない。

 まさかそれをお前のような妖に看破されるのは甚だ気に喰わないものもあるが、だが、それはそれとして、大いに反省出来た。感謝する」

「お、おい」と、突然頭を下げられて戸惑う鵺に、

「――あたしも、確かに覚悟が足らなかったと思う」

「別嬪さんまで、一体何を言うつもりだい?」

「命あってのモノダネだと、あいつらには言って来てたのに、あたしはあいつらより桃狩を取った。それがどういうことになるのかも、何にも考えていなかった。桃狩に付いて行って、そこであたしが命を失ったとしても、桃狩のことを守れるならそれで良いと、本気で思ってた。あんたが『その後』のことを突きつけるまで、あたしは全く考えていなかった。だからこそ、あたしはちゃんと考えた。ちゃんと考えて、結論を出した。

 あたしは、必ず生きて、桃狩を守って、あいつらのところに帰る!

 あたしの家族はもう誰もいないけど、あいつらがあたしの帰るところだから。

 桃狩はあたしが守りたい存在だから。

 あんたの言うとおり、欲望のままにあたしは生きる。たとえどんな手を使っても、あたしはこの二つを必ず手に入れる。あんたの言い方は気に入らないけど、でも、覚悟は決まったよ。ありがとう」

「……」


 何かを吹っ切ったかのような、晴れ晴れとした勝気な笑みと、輝く瞳が鵺に向けられ、咄嗟に言葉が出ないほど魅入られる。


「……だからこそ、おそらく鵺殿は私達に必要なヒトなのだと思う」


 と、おもむろに止めを刺しに来る桃狩。

 一体こいつまで何を言い出すのかと顔を向ければ、桃狩は穏やかな表情を浮かべて告げた。


「戌斬は近くに居過ぎて、猿我殿は私を好いてくれていて、嫌われたくないと思い、私を否定することを真っ向から言うことが出来なかった。逆に私も心のどこかで嫌われたくなくて遠慮していた面もあったかもしれない。

 だがそれを、出会って一日足らずの鵺殿がして下さった。

 眼の覚める思いとは、こういうことを言うのだと、改めて思った。

 こう言っては何だが、鵺殿は見た目を裏切ってよく物事を見ておられる。私はつくづく見た目で判断してはいけないと言うことを学んだ気がする。

 だからこそ、改めてお願いしたい。どうかその観察眼を持って、私達を諌め、その力を持って妖退治に協力して頂きたい」


 などと信頼を寄せられたなら、鵺は呆気に取られて桃狩を見返した。

 戌斬を見て、猿我を見た。

 三人の真剣な視線が鵺に注がれ、正直鵺は混乱していた。


 普通怒るところで、何故感謝の言葉が返って来るのか理解出来ない。

 何故、自分のような妖の言葉を良いように捉えるのか分からない。


(……こいつら、馬鹿だ。大馬鹿者だ。俺みたいないい加減な奴の言葉を真に受けるだなんて、本当に馬鹿だ。どれだけ目出度いのか分かりゃあしねぇ)


 と、呆れ果てたなら――


(目出度過ぎて、お目出度過ぎて、おかしったらありゃしねぇ)


 だからこそ、鵺は言ってやった。腹を抱えて吹きだしながら、


「ば、馬鹿じゃねぇのお前達。何真面目になってんの?

 俺がお前さん方のことどうこう言い出したのは、単に宿屋に泊まらず、野宿させられた軽い仕返しに嫌味を言ってやっただけだって言うのに、感謝するとかって、ありえねぇから」

『は?』「え?」


 露骨に戌斬と猿我の顔が引き攣り、桃狩が豆鉄砲でも食らったかのような間抜け顔を向けて来る。


「だから、単なる嫌がらせ。嫌がらせをしただけだ。

 それをそこまで前向きに捉えられるんだから、お前らお人よし過ぎて涙が出て来る。

 そんなんじゃ、これから先どんな奴に言い包められるか分かったもんじゃねぇからな、この俺がちゃんと道中眼を光らせてやるよ。ま、ドーンと俺に任せな。な?」


 と、戌斬の肩に馴れ馴れしく鵺が手を置いた一拍後――


『……ふ……ざけるなぁああああっ!!』


 思わず桃狩が両耳を塞ぐほどの大音声が、桃狩の両隣から上がり、驚いた鳥達が一斉に飛び立つ音がした。


「前言撤回だ、鵺! 貴様に砂粒ほどでも感謝した自分が恥ずかしい。

 今すぐその減らず口と、無礼な言葉を並べ立てたことに対する報復をさせてもらう!」

「あたしも乗った! 砂粒ほどでも見た目を裏切って『良い奴』なのかもしれないと思った自分に腹が立つ!」

「え? マジで? だったら寝技に持ち込んでもいい?」

「そしたら、迷わずこいつの首を切れ、戌斬!」

「心得た、猿我」

「――って、おいおい。世の中では犬と猿は犬猿の仲って言うほど、仲が悪いんじゃないのか?」

「敵の敵が共通のときは、共闘するのが定石だと思うがな」

「覚悟はいいか? この変態鳥。八つ裂きにして焼いて食ってやる」

「いやいや勘弁。マジ、勘弁。俺、別嬪さんみたいに極上の脂肪付けない主義だから、喰っても不味いって」

「あ? 殺す。マジ、殺す。あたしのどこが太ってるって言うんだ!」

「違う! 太ってるんじゃなくて、胸のこと!」

「そのような下種なことを喋るなと言っただろ!」


 途端に始まる追いかけっこ。

 鬼のような形相で、それこそ本気で命を取られかねない殺気を迸らせながら追い掛けて来る二人を見て、半ば本気で逃げならが『こうでなくちゃ』とにやける鵺。


(俺が『実は良い人』なんて誤解されるなんて堪ったもんじゃない)


 内心で自嘲的に笑いながら、鵺は背後から襲い来る、避けなければ本気で首を取られかねない攻撃に冷や汗を掻きながら逃げ惑い――


「どうしたのだ?!」


 かなり距離を開けてしまった遠くから、桃狩の驚いた声がして来れば、


「桃狩様?!」「桃狩?」「坊主?」


 ハッと我に返った三人が、弾かれたように戻ると、そこには傷だらけの子供を抱き起こしている桃狩の姿があった。

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