(4)
実際、そう言って送り出しては見たものの、正直鵺は面倒くさかった。
元々人間を殺していた鵺だ。勿論食ったこともある。それを今更否定するつもりはないし、特別得意げに語るつもりもない。人間が、腹が減ったら何でも見境なく食べるように、鵺もそうして来ただけだ。
(別に生きたまま食ったわけじゃねぇんだけどな……)
だからと言って、死んでたものを食ったわけでもない。
だとしても、今は人間なんぞ余程のことがない限り喰う気も起きないというのが、鵺の心境ではあるが、村人達にとっては、何一つ関係ないことで。
殺されて喰われると思っている中、一向に襲い掛かっても来ない村人達を見て、どうしたものかと嘆息する。
ふと見れば、猿我の顔は真っ白になっていた。心なしか震えているようにも見える。
何となく、場違いなほどに何となく、そんな猿我を抱き締めたい――などと思ったりもする。
考えても見れば、可哀想な人生だなと同情する。
山賊家業なんぞをやって来た猿我だ。清廉潔白を主張することは口が裂けても出来ないだろうが、少なくとも、妖の力を疎んでいる以上、人間に拒絶されることは想像以上に精神的な苦痛を受けているのだろうと言うことは想像出来た。
人間の村が襲われて、子供一人が命を失ったのを見て激昂して、我を失って妖の姿にまでなって、それでも一人も救えずに、自分の受け入れられない姿に絶望して、それでも別な人間を助けてやろうと頑張ってるのに、人間には何一つ受け入れられない。同じ人間の血が半分も流れていると言うのに、妖の血が混じっているからと拒絶される。
いっそのこと、妖として生きた方がよっぽど楽なのに――と鵺は思う。
そして、どうしてこれほどまでに半妖の猿我のことが気に掛かるのか、鵺は今更のように首を傾げた。
好みと言えば好みだ。顔も体つきも、気の強いところも。
だがそれは、今までにも何人もいた。数え切れない女遍歴を覗いても、確かにいたはずなのだ。だが、鵺には確信めいたものがあった。猿我はどこか違うのだと。何かが違うのだと。
(まさか今更、愛だの恋だのが芽生えたわけでもあるまいに――)
と、自分の考えに自分で寒気を覚える。
人間達は一向に襲って来ない。誰が先に行くのかで、互いに目配せをしたまま来る気配がない。だから鵺の思考は加速する。
(でも、他とは違うことだけは確かなんだよなぁ~)
何なんだろうなと思いつつ、顎に手を当て見下ろして、適度に破けた着物から見える素肌がそそられるな……などと堪能していても、猿我は全く気が付いていない。
それだけ猿我は葛藤しているのだと察する。察した瞬間、何かが鵺の脳裏を掠めた。
(……半妖?)
確かに、これまでの女遍歴の中に半妖はいなかった。だから自分は珍しくて、ちょっかいを掛けたくなっているのかと、唐突に鵺は気が付いた。だが、何かが違うような気がした。
何かがしっくりと来なかった。自分が何かを忘れているのに、何を忘れているのか分からない感じ……師匠が、人間を殺す気がなくなったら思い出すかもしれないと言っていたこと。自分の遠い遠い過去のこと。自分が妖として、再びこの世に生を受けた理由――
だが、考えたところで思い出すことではない。思い出すならとっくの昔に思い出していただろうし、それで思い出さずに来たのだから、考えるだけ無駄だ。
「あー、めんどくせぇ」
「っ!」
何故か猿我がビクリと躰を強張らせ、怯えた眼を鵺に向けて来れば、何故か鵺は笑ってしまった。
「何て顔してんだ、別嬪さん。そんな押し倒したくなるような顔されたなら、俺もいい加減我慢しねぇぜ」
と、茶化して見せれば、
「あ……う、ん。ごめん……なさい」
「…………?!」
ある意味、雷に打たれたような衝撃だった。
まさか、素直に謝られるとは思っていなかった鵺は、一度天を仰いで、その顔を手で覆って、ガックリと項垂れた。
(これはマズイ。本格的にマズイ。なんか俺、トキめいちゃったよ。
じゃなくて、どう扱えばいいんだ、こういうとき? 本当に押し倒す? さすがにそうなれば、別嬪さんも素に戻る? でも、抵抗せずに泣き出したらどうするよ? 見たいけど、見たくねぇぞ? 本気で困るぞ、俺?)
と、凄まじく動揺した後、一度大きく深呼吸し、鵺は決めた。
「よし。向こうも攻撃して来る気配がねぇから、俺達も行くぞ」
「え?」
「だから、坊主達を追うんだよ。どうせこいつら、喰われるのが怖くて動けねぇからな」
と、態と聞こえるように宣言して、鵺は猿我の肩を引き寄せながら歩き出した。
「ちょ、ちょっと、鵺……」
と、怯えた子供のように名を呼ぶ猿我を無視して、堂々と人間に近付く鵺。
その、あまりにも堂々とした足取りに、人間達の腰が引けて来る。
人垣が割れる。突き進む。恐怖と怒りが突きつけられるだけの得物から伝わって来るが――
「な? 結局何も仕掛けて来なかっただろ?」
と、人垣を完全に抜け切った鵺が見下ろして言った時だった。
ドーン
と、一発の銃声が辺り一帯に鳴り響いた。
「っは。猟銃なんかでどうしよってんだ。俺にはそんな物……」
――効かねぇよ。と言い切る前だった。
猿我の躰が押し出されたと思うと、ずるりとその躰が落ちた。
『え?』
猿我と鵺。両方の口から戸惑いの声が零れる。
跪いた猿我の腹を押さえた手に血が付いていた。
咳き込んだ猿我の口元に落ちる一筋の赤い線。
まさかと言う思いに駆られて、鵺が猿我の躰を起こしてみれば、無視するには大き過ぎるほどの穴が腹のど真ん中に開いていた。
「あたし、撃たれた……」
呆然とした声が鵺の耳を打つ。
だが、本来妖に対して銃弾は通じない。こんな有様になるのは人間だけ……と、頭を巡らせて、鵺は知る。猿我は半妖なのだと言うことを。それがどういうことなのかを。
「なんか、痛い……」
ポロリと猿我の頬を一筋の雫が落ちて行く。
「ここが――」
血に濡れた手で胸を押さえ、猿我は言う。
「――痛い。痛いよぉ……」
ボロボロと涙を零して、腹よりも胸が痛いと、心が痛いと訴える猿我を見下ろして、鵺は頭の中が真っ白になっていた。
ドクドクと体中の血潮が滾っていた。頭の中が熱くなる。
脳裏に何かが蘇る。
一面の芒野原。
自分を抱いて泣いている、赤い着物の女の子。
雉も鳴かずば撃たれまい――
心無い言葉。
心無い仕打ち。
憎しみを植えつけられた幼女が願う。
――どうか、あいつらを殺して。お父を奪ったあいつらを。
――お父は妖でもお母を大切にしていた。あたしを、大切にしてくれた。
――村の人達が困っていれば、そっと妖の力で助けていたのに。
――あいつらは、お父をあたしから奪って行った。
――そしてあんたのことも、奪って行った。
――あたしは悔しい。とても悔しい。
――でも、あたしには何の力もない。だからお前、妖となって、復讐しておくれ。
――あたしの命を上げるから、あいつら全員、皆殺しにしておくれ。
――わたしを助けるために、わざと音を立てたお前なら、きっとやってくれるよね。
その瞬間、鵺は暗闇の中から蘇った。
そして、鵺は現実に戻って来た。
全身がざわめいていた。怒りに頭がどうにかなりそうだった。
鵺は思い出した。忘れていたことの全てを。
自分が何故、村人ばかりを襲っていたのか。
自分が何故、猿我に惹かれていたのか。
(俺は、あの子のために妖になった。
俺は、あの子と猿我を重ねていた。
だから、俺は、猿我が特別だった。
それなのに俺は、また、あの子と同じ苦しみを抱えた半妖を救えなかった。
そう。俺は、あの子を救いたかったんだ!)
怒りと憎しみが、刹那にして鵺の中を駆け巡り、
「誰だあああっ!」
解き放たれた咆哮は、その場の空気を言葉通り震わせた。
ビクリと首を竦める人間達を睨み付け、鵺は問う。
「今撃ったのは誰だ! 黙っていれば見逃していたものを。見逃すと言っていたものを! 救ってやると言っていたものを! 足蹴にした奴はどこの誰だ!」
怒りに鵺の髪や着物が、風もないのに煽られて、全身から解き放たれる殺気に、完全に気圧された村人達が、完全に血の気を引かせ、腰を抜かして座り込む。
その中で、ガチャリと猟銃の落ちる音を聞いたなら、鵺は見た。一人の男の子を。
「お前か。お前が撃ったのか」
「違います! 私です」
決然と、子供の前に回り込む女が一人。その女に、子供は『お母』と抱きついた。
だが、そんなものはどうでも良かった。早かれ遅かれ、こいつら全員皆殺しだと、鵺は心に決めていた。
「雉も鳴かずば撃たれまい――」
かつて向けられた無慈悲な言葉を口にして、鵺は怯える親子に手を上げた。
「恨むなら、余計なことをした自分達を恨みな」
無慈悲な最終通告を口にして、鵺の手刀が振り下ろされる――その手が途中でがくりと止まる。何事かと肩越しに見やれば、倒れながらも鞭を揮った猿我の姿。
「邪魔するな、猿我。俺は生ぬるいお前らの約束など知ったことじゃない」
「でも、桃狩が……誰も、殺すなって……」
「知るか! 俺はこいつらを許さねえ。一人残らず食ってやる」
「駄目だよ……。あたしの母さんは、そうやって、その人みたいに、あたしを守って、殺された……。
そんなの、もう、見たくないんだよ。母さんを殺されたくないんだよ。あたしのせいで殺される母さんを、もう、見たく――だから、おねがいだよ、鵺――どうか、かあさんを――だれも――ころさ……ない……で」
本当は、無視をすれば良かったのだ。振り下ろしてしまえば良かったのだ。
腕に巻きついた鞭が力尽きたように落ちなければ。その鞭が、ジャラリと数珠を鳴らさなければ。
「うおおおおおおおっ!」
『ひっ!』
雄叫びを上げて、鵺は手刀を親子の横へと振り下ろした。直撃すれば間違いなく絶命させていたと痛感させることが出来るほど、陥没させた穴。
あまりの恐怖に声すら出せない親子を見下ろして、鵺は吐き捨てるように言った。
「あいつは
そして涙を流して眼を閉じた猿我をそっと抱き抱えると、鵺は一歩一歩を踏みしめて、宿舎へと向かった。
鵺に向かって攻撃する人間は誰もいなく、鵺の腕から垂れ下がった数珠が淡い光を放っていた。
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