(5)
そこは、四方を石の壁に囲まれた広い座敷だった。
調度品の類は皆無。敷かれた畳は既にボロボロ。ある場所は焼け焦げ、ある場所は斬り裂かれ。ある場所はめくれ上がり、ある場所は陥没している。
石の壁に等間隔で開けられた穴に収められている鬼火によって照らされている室内は、一騒動も二騒動も起きた後のような爪痕がハッキリとクッキリと残されていた。
その上座の一角に複数の術者と、一匹の鬼がいた。
「もうそろそろ、お前の呪力とやらも消える頃じゃねぇか? 人間」
我鬼が鬼の姿となって舌なめずりをしながら、真正面に胡坐を掻いて座る草禅に訊ねた。
対して草禅は、やや血の気の引いた顔に余裕の笑みを浮かべて返した。
「まだまだ。これくらいでは根を上げられぬ」
「どうだかな。まったく、一番厄介なお前さえいなくなればどうとでも出来ると思って仕掛けてみれば、すぐさま戻って来やがって。お陰で仲間が大分減った」
「それはこちらの台詞だ。せっかく息子にと思って選りすぐって来た妖と鬼達を、まさかこの手に掛けることになるとは夢にも思わなかった。お陰で鬼はそなただけだ」
「だが残念だな。お前はもうすぐ俺に喰われる。それとも、お前を助けに来た息子を先に、お前の前で喰ってやろうか? さすがのお前もその澄まし顔は出来なくなるだろうな」
「さぁ、どうだろうな。息子は結構手強いと思うが……」
「確かに、あの蛇野郎を殺れる程度には強いことは分かっているが、術の方はからっきしだって話じゃねぇか」
「おや。どこからそんな話を?」
「そこで固まってる奴らだよ。お前、人望があるんだかねぇんだかな」
「ほぉ、そうか。何やら興味深い話ではあるが……」
と、自分の背後をチラリと見れば、ぎくりと顔を強張らせる同僚達。
「今はほら、そのような話をしているときではない」
「そうだな。もう少しでその命は俺の物になるからな」
と、腹を叩いてにやける我鬼に、笑みを深くした草禅は言った。
「それはどうかな? 私の息子二人は手強いぞ?」
と、意味ありげに言ったときだった。
「父上!」
「草禅様!」
座敷の東西に一つずつある出入り口の一つ、東側の襖を蹴り倒し、草禅によって息子と認定されている桃狩と戌斬が飛び込んで来た。
「父上!」
「我鬼!」
二人同時に声を上げ、先に攻撃を仕掛けたのは戌斬。一蹴りで畳を抉り、滑るように草禅と我鬼との間に入り込むと、二蹴り目で方向転換。低い姿勢から伸び上がるような一撃を我鬼へと放つ。
「っとっとっと」
反射的に仰け反って、第一刀を躱した我鬼が、慌てて右腕を顔の横に持ってくれば、バチンと響く破裂音のような音を立てて、戌斬の縦の回転蹴りが受け止められた――が、その腕に足を引っ掛けた戌斬はそのまま躰を持ち上げて肩車のように我鬼の肩に座ると、すかさず自由な左足を我鬼の首に巻きつけ、勢い良く後ろへ倒れた。
堪らず倒れる我鬼。倒れ切る前に離れる戌斬が、両手の短刀を揃えて我鬼の胸に突き刺そうと降り立てば、存外素早い身のこなしで、畳の上を転がって逃げられる。が、戌斬はすかさず深々と刺さった短刀で畳を持ち上げ投げつけた。
起き上がりかけていたところへの投擲に、再び身を低くしてやり過ごした我鬼の顔目掛け、掬い上げるような戌斬の蹴りが命中する。
首が取れるのではないかと思うほど、大きく反り返りながら倒れる我鬼の、がら空きになった腹部を斬りつける。
だが、我鬼の肌は鋼のような強度を備え、浅く傷を付ける程度の効果しか発揮されなかった。
「ちっ」と思わず舌打ちする戌斬の耳に、風を切り裂く音が飛び込む。
倒れかけながらも放たれた我鬼の重い蹴り。畳にへばりつくようにしてやり過ごし、その反動で後ろへ飛べば、寸前で踵落としが畳を凹ませた。
「やって来て早々、やってくれるじゃねぇか」
「お遊びに来たわけではない。早々に片を付けさせてもらう」
そして再びぶつかり合う一方で、桃狩はようやく草禅と再会していた。
「大丈夫でしたか、父上? 遅れてしまい、申し訳ありません」
「いやいや。よくぞ来た。もしかしたら間に合わないかと思ったがな」
「そうならずに済んで安堵しました。もう少しお待ち下さい。今あ奴をしとめて見せます」
「おお。頑張れ息子よ。お前なら出来る」
「はい!」
と背中を押してもらった桃狩が、早速参戦する。
戌斬の攻撃を躱して飛び下がった我鬼に対し、斬撃を放つ。
ぎくりと振り返った我鬼が棍棒を振り抜けば、真っ二つに砕かれる蒼白い光。
「二対一は卑怯じゃねぇのか」
我鬼がニヤリと茶化して見せれば、
「鬼退治が目的ならば、手段など選ばぬ!」
きっぱりと宣言し、桃狩が畳を蹴った。
その両手に手袋はない。刀身は常に蒼白い光に包まれ、桃狩に迷いは一切なかった。
さすがに桃狩の力を恐れたものか、素手で刃を掴むようなまねはせず、棍棒で、上段からの振り抜きの一刀を受け止める我鬼。
束の間の鍔迫り合いの後、我鬼が思いっきり棍棒で桃狩を押し返せば、すかさず戌斬が足払いを仕掛ける。
相当な重量のある我鬼の足を、戌斬の細い足が見事に払えば、両手を突いて転倒を免れる我鬼。その手が真下の畳を鷲掴みにし、今が好機とばかりに駆け込んで来た桃狩に投げ付けた。
風を切り裂く勢いで飛んで来る畳の下を、膝を折って身を倒し、滑り抜けた後立ち上がり、斬撃を放つ。
その斬撃を、気合の声と共に棍棒で叩き割る我鬼が余裕の笑みを浮かべれば、背後から迫っていた戌斬が、我鬼の首筋に向かって短刀を下す。
さすがに鋼の皮膚を持ってしても、弱い場所というものはあるのだろう。それまで斬るに任せていた我鬼が、棍棒で初めて防いだなら、一つはそこかと戌斬は確信する。
刹那、我鬼は振り返り様に棍棒を振り抜いた。
身軽な戌斬は勢いに乗り、一度大きく後方へ飛び退くと四肢を付いて着地。後に、直進。
我鬼は、馬鹿正直に突っ込んで来る戌斬を叩き潰さんと、振り上げた棍棒を雷の如き速さで振り下ろす。
ドゴンと言う鈍い破壊音と共に畳が陥没し両側が捲れ上がるも、そこに戌斬の姿はなく。
視界を覆う捲れ上がった畳を吹き飛ばす勢いで我鬼が棍棒を振り払えば、畳は木端微塵に砕け散り。その舞い上がった破片の隙間から、桃狩が蒼く光る斬撃を放ったのが見えたなら、我鬼はニヤリと嗤い、足元の畳を捲り上げて蹴り飛ばした。
なされるがまま。起き上がらされた畳が、勢いよく桃狩へと襲い掛かる。
同時に、畳の陰に隠れて桃狩へ近付こうとした我鬼だったが、不意に降って来た死の気配に棍棒を振りかざせば、刹那の間も置かずに、縦の回転を加えた戌斬の一撃が腕を痺れさせた。
我鬼が畳を叩き割った瞬間、上に飛んでいたのかと理解する。だが、
「まだまだ軽い!」
体格差は歴然。腕を痺れさせられたことには軽く驚いたが、脅威には程遠いと言わんばかりに、受け止めた一刀ごと戌斬を吹き飛ばす。
そして、勢いそのまま回転し、飛んで来た畳を躱して斬り付けて来た桃狩の逆袈裟懸けを受け止める。我鬼にしてみれば軽過ぎて話にならない一撃だった。
余裕の笑みが桃狩の表情を険しくさせる。その悔しげな表情が我鬼の心を高揚させた。
(どう贔屓目に考えたところで、お前の剣技で俺に勝てるわけがないだろう)
分かり切った結末を、根性だけで変えられると思っている奴を叩き潰すのは快感に近いものがあった。ましてや、油断していたとは言え、初めて自分を捕えた上に完全に動きを押さえつけられてしまった術者の息子だと知ったなら尚更だった。
ほんの少し棍棒に力を込めるだけで、桃狩は苦しげに顔を歪ませ畳に膝を着く。
「桃狩様!」
我鬼の背後で、桃狩のお守りが焦った声を上げる。
愉快だった。この刀身を輝かせている蒼白い光には危険なものを感じるが、それを操る人間があまりにも小さく、弱く、脆くて。そんな人間に鬼である自分をどうにか出来ると言い続けて来た術者の頭を疑って。我鬼は『はっ』と嗤うと、背後から凄まじい勢いで突進して来る気配を感じ、
「ほら。お迎えが来たぜ」
目の前で必死に我鬼の重さに堪えていた桃狩に一言。
声を掛けられた桃狩が下から睨み付けて来る様を見下ろして、我鬼は素早く動いた。
棍棒から力を抜き、拍子抜けたような顔で伸び上がった桃狩の、がら空きの左脇腹に向かって重い回し蹴りを叩き込む。
防ぐ隙など与えぬ速度。それはものの見事に決まり、我鬼は右足に桃狩を引っ掛けたまま一回転して、突っ込んで来ていた戌斬に向かって蹴り飛ばした。
「桃狩様!」
狙い違わず蹴り飛ばされて来た桃狩を抱き止める戌斬。お陰で両手を塞がれて。
絶好の機会だとばかりに我鬼は突進した。
一瞬、戌斬の顔に忌々しいものが通り過ぎるが、構わず棍棒を振り下ろす。
戌斬は避けた。左側に。人一人を抱えているとは思えぬほどの素早さで。
我鬼はそれを眼で追った。すぐに追いかけようとは思わなかった。
余裕があった。桃狩のあばら骨を折ってやった自覚もあった。骨が折れて自由に動ける人間は少ない。だとすれば、戌斬は桃狩を自分から離れた場所に隔離しようとするはずだと、初めから分かっていた。
だから少しばかり待ってやった。桃狩をとりあえず安全だと思える場所に置けば、必ず自分一人で立ち向かって来ることが分かっていたから。
人間を守るために勝ち目のない戦いを挑んで来る、偽善的な妖を葬るために。
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