(2)

 気力を振り絞って体を起こしたものの、本調子で動けぬ桃狩は、戌斬に背負われ村へと向かい、目の前の光景に言葉を失っていた。

 そこは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。


「遅ぇぞお前ら!」


 逃げ惑う人々と逆行するように入り口に立ち、逃げ出す人間を追い駆けて出て来る妖を捕まえては撃退している鵺が吠える向こうで、悲鳴や高笑いや泣き声が木霊して、その全てを紅蓮の炎が飲み込んでいた。


「一体どうなってんだい?!」

「俺が知るか! 食い物漁りに来たら襲われてたんだよ」

「それであんたが人助けかい?」

「違ぇーよ! 命知らずの妖が、俺に向かって喧嘩吹っ掛けて来たからぶっ飛ばしたら、人間どもが勝手に助けを求めてこっちに向かって来てるだけだ!」

「で、その人間を追い駆けて来た妖に、裏切り者扱いされて攻撃されてるわけだ」

「悪いかよ!」

「いや。見直したよ。理由はどうあれ女子供助ける奴はあたしにとって『良い奴』だからな。だから頑張れ。こいつら全員根絶やしだ!」


 燃え盛る炎に照らされて、瞳を爛々と輝かせた猿我に褒められると、鵺は一瞬驚いて。ついでニヤリと笑みを浮かべると。


「ご褒美くれるなら頑張るぜ」

「調子に乗るな、変態鳥」


 前言撤回とばかりに嫌悪感を浮かべて切り捨てて、真顔に戻った猿我は腰の鞭を取り出すと、迫り来る妖に狙いを定めた。

 


 ◆◇◆◇◆



 その光景を見て、暫し桃狩の思考は止まっていた。

 何故突如としてこの村が妖の群れに襲われているのか理解出来なかった。

 吹き付ける熱風。立ち上る黒煙。紅蓮に染まる世界に影の如く蠢く妖。


 何故ここに妖がいるのか。これは本物の光景なのか?


 桃狩にとって妖の襲来を目にしたのは、我鬼討伐の際に作られた架空の村だけ。

 作り物の村に作られた人々。それを蹂躙する妖達。

 作り物だと分かっていても、桃狩は気が気ではなかった。だと言うのに――


「桃狩様!」


 戌斬の背中から降り、ふらふらと歩みを進めて恐怖に支配されている様々な音を聞き。逃げ惑う人々の影を見て。襲われる様を見て。助けを求める声を聞き、弱者を甚振る声を聞いたなら――それが、作り物ではなく、本当に目の前で起こっているのだと知ったなら――自分の知らぬところで起きていた酷い所業を目にしてしまったなら、桃狩は何も知らなかった自分自身に強い憤りを覚えた。


『我鬼が率いる妖の群れが村を潰した』と言う話は、これまでも桃狩は耳にしていた。

 その度に『酷いことを』『惨いことを』と憤りを感じていたが、想像はあくまでも想像でしかなかったと、今、痛感していた。


 桃狩の目の前で一つの村が滅ぼされようとしていた。

 親を求める子供の泣き声が。子を失った親の叫び声が。大切な者を奪われて逃げ惑うしかない人々の助けを求める声が、桃狩の心臓を握りしめた。


(私は今まで何を知った気でいたのだ!)


 妖の脅威が如何ほどのものなのか、桃狩は初めて思い知らされた。

 自分がどれだけ安全な場所で暮らして来たのかを思い知らされた。

 頭を殴られたような衝撃だった。

 もしも草禅救出が間に合わなければ、妖達を島に閉じ込めていた結界が消え去ってしまう。

 そうなれば、目の前の光景が至るところで見られることになるだろう。

 それだけは断じて許してはいけない。許せるはずがないと強く強く思ったとき、弱り切っていた心身に、怒りと言う名の気力が漲り、全身の血が滾って巡る。


 妖の全てが悪だとは思わないが、一方的な殺戮だけは容認するわけにはいかない。

 妖に対して何一つ対抗手段を持たぬ弱き人々を守るため、


「妖どもを殲滅せよ!」


 気が付くと叫んでいた。

 桃狩の怒りに感応し、戌斬・猿我・鵺が異議を唱えることなく散開する。



  ◆◇◆◇◆

 


 桃狩がその場所に駆けつけると、そこには妖によって命を奪われた者達が、燃え盛る家があった。妖がいた。血溜まりがあり、生者はいなかった。


「うぉおおおおおっ」


 雄叫びを上げ、妖の注意を引き付けながら、群れの中へと飛び込む。

 袈裟懸けから旋回して、横振りの一刀。青白く輝く一太刀で、数匹の妖の躰を無へと返す。地面に片膝をついて掬い上げ、取って返して地を這う一刀へと続け、次の群れへと飛び込む。足はけして止まらない。すり抜け様に刀を振り、斬撃を飛ばし、浄化された妖の光を浴びながら、打ち払い、振り下ろし、反転し、掬い上げ、突き出して。


 討ち洩らした妖達は戌斬達が狩り尽くすと信じて次へ飛び掛かる。

 突如乱入して来た四人によって同族が消滅させられているのを見て、人間達を追いかけ回していた妖達が、敵と判断して殺到する。


「あいつって、あんなに動けるんだな……」


 軽く驚いたような、感心した声を上げて、桃狩が討ち洩らした妖を殴り倒し、蹴り倒して行く鵺。


「普段のおっとり具合から見てもそうだが、さっきまで全く身動き出来なかった奴の動きじゃねぇぞ、あれ」

「何を言う。あれこそが真の桃狩様のお姿だ。偉大なる術師であらせられる草禅様の名に恥じぬよう、日々努力を重ねられているのだ。罪なき人々を守るためならば如何なる状態であろうとも駆け付け、全力でなすべきことをする。それが桃狩様だ!」

「――って、なんでそこでお前が得意げに顔輝かせるかね」

「――と言うか、桃狩一人で突っ込み過ぎだよ。あれじゃあ周りを囲まれたら危ないよ」

「いや。ある意味では今の桃狩様に近づく方が危険だ。ワタシ達は桃狩様の打ち漏らした妖を相手にしつつ、逃げ遅れている人間がいたら村の外へ誘導した方がいいだろう」


 と、向かって来る妖を切り刻みながら戌斬が提案すれば、


「冗談! 俺は俺のしたいようにするぜ。逃げられる奴ぁ勝手に逃げてりゃいいんだよ。

 俺はあいつらの相手している方が断然マシだね!」


 と、言うが早いか桃狩を追い駆ける妖に狙いを定めて飛び出す鵺。

 だが、元より言うことを聞くとは思っていなかった戌斬は、『勝手にしろ』と言い捨てて、有言実行とばかりにはぐれた妖へと向かって地を蹴って。

 取り残された猿我は――


「おうおうおう。何だか人間臭ぇ半端者の臭いがすると思って来てみれば、なかなか上玉な半妖じゃねぇか。半端者は半端者らしく、オレらの相手をしてもらおうか?」


 徒党を組んで神経を逆撫でして来た妖達に狙いを定めて、その一歩を踏み出した。

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