(4)
「桃狩様、近くの林の中も捜しましたが、残念ながら生存者は見当たりませんでした」
と、沈痛な面持ちで戌斬が帰って来たのは、夜が白々と明けて来た頃だった。
村一つ滅びようとも、何一つ変わらずに日は昇り、いつものように陽光が夜を駆逐して白日の元に曝け出す。
火も下火となり、消し炭と化した残骸だけが残された村の惨状は、予想よりも酷い有様だった。見えなかったものが見えるようになるだけで、ここまで衝撃を与えるものかと、居た堪れなさに眉を顰める桃狩。
「……桃狩様、大……」――『丈夫ですか?』と続ける言葉を飲み込んで、
「失ったものはどうしようもありません。猿我と鵺と合流し、一刻も早く南へと向かいましょう」
「ああ。そうしよう」
ここでうじうじ後悔していても何も始まらない。
自分達は助けようとした。だが、間に合わなかった。
そのことを後悔するぐらいなら、この先を急いで南下した方がいい。
己が大将だとのたまった黒い珠の妖が、討ち取られる前に言っていた。
自分達は連れて来られただけだと。『鬼ヶ島』から脱獄した妖が、自分の勢力を伸ばすために多くの妖を集め、村を襲っているのだと。
それが本当だとしたら、いつまでもぐじぐじと後悔などしていられない。早く手を打たなければ、この先誰一人として救えないかもしれない。
もしかしたら、南から北上して来ているとすれば、逆行する先には壊滅した村しか残っていないかもしれない。生き残っている人間がいないかもしれない。
だが、それでも希望を捨ててはいけない。もしかしたら間に合う村があるかもしれないのだ。
少なくとも、ただの人間より妖に対抗する力を有している以上、今戦わずにどうすると言うのか。だからこそ、桃狩は言った。
「まずは、猿我殿と、鵺殿との合流だ」
そう言って、二人を捜しに向かった桃狩と戌斬だが、一足早く猿我を見つけていた者がいた。鵺だ。
「すげぇなぁ、別嬪さん。こんなでかいの、あんた一人で倒したのか?」
と、膝を付き、呆然とした様子で目の前に横たわる大猿の如き妖を見上げていた猿我が、ビクリと躰を震わせると、慌ててボロボロになった赤い着物を頭から被っ
て『来るな!』と叫んだ。
「来るな――って、そこまで邪険にしなくても良いと思うんだけどなぁ~。せっかく別嬪さんのためにお預けして来たのにさ、そいつぁあんまりだって話じゃねぇか」
と、全く動じずに猿我に近付くと、気配を察した猿我が慌てて逃げようとした。
何となくムッとして、思わず鵺の手が伸びる。
(こんなんじゃ、やっぱりお楽しみを充分に味わっておくんだった)と、逆恨みしたと言われても仕方がない感情のなせる技だった。
だが、その爪に引っ掛かったボロボロの着物を剥ぎ取った瞬間――その下から現われた、驚いた顔の猿我の姿を見たなら、鵺は一瞬にして言葉を失った。
「見るな!!」
悲鳴染みた声を上げて、猿我が背中を向けて蹲る。
「……別嬪さん」
「来るな!」
その背中が震えていた。
「お願いだから、来ないでくれ。見ないでくれ。こんな姿、見られたくない。桃狩達に知られたくない! あたしがあんな大猿の――」
そこまで言って、言葉を飲み込み押し黙る。
その姿を見て鵺は、勿体ないと思った。
ボロボロの着物の下から出て来た猿我は、妖の姿になっていた。
頬まで覆う短い赤毛。着物の下から覗く腕にも同じ色の獣毛が覆い、不釣合いな太さを有した腕。輝く金色の瞳。見られたくないと自らの腕を抱える指に生えた鎌のような爪。
あれで斬られて、妖達はばらされたのかと納得する。
確かに、女である以上、到底受け入れられない姿かもしれないが、陽光に煌くその姿を見たとき、強烈な気高さを鵺は受けた。
「何も恥じることはない」――と言葉を掛けるのは簡単だった。
だが鵺が、己を『良い人』と思われることを受け入れ難いように、猿我は人ではなく妖寄り己の姿を受け入れられないのだ。
猿我とは出会ってまだ一日。その短い間で、随分と色々な面を見たような気が鵺はした。
(――ここで優しくしたら、イチコロな気がする)
不謹慎ながら、鵺は思った。
行ける! と思った。
だが、泣いているのか怯えているのか、蹲る猿我はとても小さく見えた。
山賊家業をやっていて、露骨に邪険にして、全長十尺と半分以上はありそうな大猿をたった一人で倒した半妖とは思えぬほどの弱弱しさに、柄にもなく鵺は躊躇った。
どうしたものかと途方にくれる。いつものようにからかってみたところで乗って来てくれそうにはない。下手に手を掛けようものなら、鵺自身無事では済まない確信があった。
そんなとき――
「猿我殿お! 鵺殿お! どこにいるのだぁ?」
「見つけました、桃狩様。二人の匂いが同じ場所からしています」
遠くから桃狩の呼び声と戌斬の声が聞こえて来た。途端に、あからさまに猿我が躰を震わせた。おろおろと周囲を見回し、自分の姿を隠せる場所を探してみるも、まともに隠れられそうなところがない。
まるで親に見捨てられた子供だな――と思ってしまえば、鵺は腰帯を解きながら猿我に近付いた。別にこのまま襲い掛かっているところを、遅れて来た二人に見せ付けようとしているわけではない。
(それはそれで面白そうだが……本気で命の保障が出来ねぇな……)
と苦笑いをしつつ、着物を脱いで猿我に掛ける。
「その姿は元に戻るんだろ?」
溜め息混じりに問い掛ければ、おずおずと、合わせた着物の隙間から眼だけを覗かせ頷く。
「だったらそれまで被っとけ。後は俺が誤魔化してやるから」
と言えば、猿我からは戸惑いの気配が流れて来て――
「おお。ここにいたか、鵺殿。しかし、この大猿は……」
「おそらく、この大猿が大将となり、他の者達を呼び寄せていたのでしょう」
「これを鵺殿が一人で?」
「いや、別嬪さんと一緒にだよ」
「おお。それは凄い……だが、猿我殿はどうしたのだ? どこか怪我でも?」
と、桃狩が近付きかけると、さっと間に入るように鵺が足を踏み出して、
「何。ようやっと日が出て、ホッとしたら気が抜けたんだよ。
おい。もう大丈夫だろ。さっきまでの威勢の良さはどうした。ほら」
と言って、立たせて背後に庇って見せれば、
「……猿我。何故鵺の着物を被っている」
疑わしげに戌斬が問い掛けた。
途端にビクリと猿我が震えて鵺の背後に隠れてしまう。
「猿我殿?」と、桃狩まで不思議そうに呼び掛けると、鵺は言った。
「被るも何も、お前達のせいだろうが」
「何?」
「どういうことだ?」
「どうもこうも、坊主の前でふしだらな格好をするなと言ってたのはお前達だろ?
だから俺は、日が昇る前に着物を剥ぎ取られたんだ。脱がすのが専門のこの俺が、容赦なく着物を剥がれたんだからな。風邪を引いたらどうしてくれる? あ?
それとも何か? あられもない別嬪さんの躰でも拝むか?
俺は全然構わんが、見るか?」
と、当たり前のように猿我が被っている着物を引っ掴むと、
「待て! それは待て。そのようなことをしてはいけない!」
「仮にも女の肌を男の前に晒そうとするとは何事だ!」
「結局そうやって俺は怒られるのかよ!」
頬を引き攣らせ、強張った笑みを貼り付けて、ドスの利いた声で不満を上げる鵺。
その背に、コツンと軽い物が当たった。
「――ありがとう」
と、消え入りそうな猿我の声が続いて聞こえて来れば、鵺は何故か心が浮き足立つような感覚を味わった。だから鵺は囁いた。
「これで一つ、大きな貸しが出来たな」
その背で一つ、頷く気配がしたならば、鵺は言った。
「さあ、次に急ぐのもいいが、とりあえず一眠りだ! 無理を押して向かったところで疲れてたら役に立たねぇぞ」
そう言うと、着物を被ったままの猿我を抱き締めて、さっさとその場に寝転がる。
「貴様っ!」
と、殺気立つ戌斬だが、猿我が何も言わない以上何も言えず、
「桃狩様、ワタシ達はあっちで休みましょう」
憤懣やるかたないとばかりに言い捨てて、手を引っ張られた桃狩は素直に付いて行った。
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