(5)

「ちょっ!」「っな!」「うわああああっ」


 猿我と戌斬の驚きの声に被るように、投げ飛ばされた桃狩の悲鳴が上がり、落下する直前に左右が受け止めれば、


『何をするんだ、お前は(あんたは)!』


 三つの声が鵺の行いを非難した。だが鵺は、知ったこっちゃないとばかりに耳に指を突っ込み、明後日の方を不貞腐れたように見るだけで、非難の声をあっさり無視した。


『大丈夫ですか? 桃狩様』


 左右と戌斬が、涙目になって座り込んでいる桃狩に安否を問えば、桃狩はぎこちなく頷いて見せ、次いで、ハッと気づいたとばかりに左右から離れ、戌斬側に逃げると手を後ろに組んで俯いた。それを見た戌斬は左右に同情の目を向けて。

 向けられた左右は悲しげに微笑んで。一歩下がって膝を折り、静かに語りかけた。


「桃狩様。どうか本当にもう、お気になさらないで下さい。ワタシも草禅様も、桃狩様を恨んではおりません」

「だが……」

「もしもワタシに後ろめたいことがおありなのでしたら、どうかそのお力でもって草禅様をお救い下さい。草禅様は笑っておられましたが、草禅様のお力も無尽蔵ではありません。ですからそのお力で一刻も早く『鬼ヶ島』へお出で下さい。草禅様を見事お救い出来た暁には、ワタシは桃狩様を誇りに思います」

「え?」

「ですから、どうかご自身のお力を恥じないで下さい。草禅様を救い出せるとすれば、桃狩様のお力が頼りなのですから。

 ですからどうか一刻も早く草禅様の元へ。ワタシは一足お先に草禅様の元へ戻ります」

「何故だ? もしや父上の身に何か?」


 と顔色を変えて身を乗り出せば、左右は微笑みを深くして頭を振った。


「違います。ワタシが草禅様の元へ帰ることで、ワタシが桃狩様に出会えたことを伝えることも出来ますし、ワタシに割いていた力を取り戻すことも出来ます。

 ですが、正直あまり時間はありません。如何に草禅様の結界が強力だと言っても、呪力が弱まれば我鬼の餌食となってしまいます。我鬼は草禅様を喰らう気でいます」

「何?!」

「ですから、お急ぎください。

 大丈夫です。桃狩様には戌斬が付いております。それに、お味方もいるようですし、『鬼ヶ島』はもう少しです。きっと間に合います。ワタシはそれを信じて戻るのです。

 ですからどうか、御自分の力に自信をお持ち下さい。ワタシは一足お先に草禅様の元へ戻り、共に桃狩様がお出でになることをお待ちしております。

 では、戌斬。後は頼んだぞ」

「ああ」


 その頷きを最後に左右はあっさりとその姿を消すと、後には置いてきぼりを喰らったような顔の桃狩と、事態について行けぬ猿我。全てを知っている戌斬と、全く無関心な鵺が残り――


「まぁ、何だ。とりあえず、坊主の父親は鬼のように強くて無事だってことが分かったことだし、これから少しばかり一眠りしねぇか? 俺はもう眠くて眠くて上瞼が勝手に落ちて来るぜ?」


 と、思いっ切り欠伸をしながら提案すれば『却下』と即座に否定する猿我。


「まーじでー」


 と、心底嫌そうに顔を顰める鵺に対し、猿我は腕を組んで反論した。


「当たり前だろ? あの白いのが言ってただろ。一刻も早く来て下さいって。

 だったら休んでなんていられないよ。そうだろ、桃狩!」

「ああ。早く行かなければ、我鬼に父上が食われてしまう。そんなことになれば、あの村のようなことが至るところで起きてしまうし、術者にも式神にも甚大な被害が出てしまう。

 それを止めるためには、休んでなどいられない。少しでも早く『鬼ヶ島』へ向かわねば!」


 と、それまでの怯えっぷりなどなかったかのように、決意を固めた顔で頷いたときだった。鵺に対する援護は意外なところから飛んで来た。


「いや。鵺の言う通りだ。一度ここでしっかりと休もう」

『は?』


 と、これまた見事に戌斬以外の言葉が揃った。

 中でも一番驚いた表情を浮かべたのは鵺。


「おいおいマジかよ。明日本当に槍でも降るんじゃねぇの?」


 と、冗談めかして冷やかすも、猿我と桃狩に笑い飛ばす余裕はなかった。


「ちょいと戌斬。あんた何考えてんだい? このままさっさと桃狩の親父さん助けに行けばいいじゃないか!」

「そうだ、戌斬。何故こんなところで道草を食わねばならない? 私なら大丈夫だ!」


 詰め寄る猿我と桃狩。その顔にありありと浮かぶのは不満の表情。

 だが、戌斬は努めて冷静な顔で、


「とりあえず、お座り下さい、桃狩様。猿我も……」と、座ることを促した。

『戌斬!』と、抗議の声を二人が上げるが、


「とりあえず座ったらどうだよ、お二人さん」


 ニヤリと嗤って鵺が戌斬の真正面に座り込みながら促した。

 座った途端に視界を覆う芒が邪魔で、不快げに眉を顰めて芒を倒す鵺。足まで使って周辺の芒を倒すのを見たならば、桃狩と猿我は互いに顔を見合わせて。

 その横で戌斬も腰を下ろし、芒を倒して視界を広げて行けば、不承不承ながら二人も戌斬と鵺に倣って腰を下ろした。


「で? 一体ここで何しようって言うんだい?」


 胡坐を掻いて座った猿我が喧嘩腰に戌斬に問い掛ければ、ある物が目前に突き出された。


「…………なんだい、これ」

「大福だ」

「見りゃあ、分かるよ」

「食わんのか?」

「だから、何で今なんだよ!」

「今しか食う時がないからだ。腹は減っていないのか?」

「そんなこと、今は気にしている場合じゃない」


 と言い切る前に、猿我の腹の虫は声高に戌斬の誘いに乗っていた。

 一瞬の静寂。赤く染まる猿我の顔。そして上がる、鵺の爆笑と猿我のうろたえる声。


「こ、これは、あの、違うんだよ。そうじゃなくて――」

「ん」

「…………いただきます」


 誤魔化し切れない現状に観念し、素直に大福を受け取る猿我。

 猿我が受け取ってしまえば、鵺も桃狩もそれぞれに大福を受け取った。


「こいつも美味いが、坊主の母親が作ったって言うキビ団子。あれをもっ回食いてぇな」


 と、唐突に鵺が言ったのは、三つ目の大福に手を伸ばしたとき。

 対して、口の周りを大福の粉で白くした桃狩が申し訳なさそうに答える。


「母上のキビ団子は、あのとき全て食べつくしてしまった。もしもあのキビ団子が気に入ったのであれば、今回の件が片付いたら、一度私の暮らす屋敷に来ればいい。その際には母上に頼んでキビ団子を沢山作ってもらう」

「ズルイ! あたしも桃狩の母上の作ったキビ団子食いたい!」


 と、弾かれたように口に出す猿我の必死さに、桃狩は嬉しそうに微笑んで、『是非、来てくれ』と誇らしげに誘った。

 次いで渡されたのが、お猪口。


「で? 今度はなんだい? 酒でも振舞うのかい?」


 突っぱねた矢先に自分の腹の虫に裏切られた猿我が、皮肉を籠めて受け取れば、

「そのとおりだ」と、あっさりと頷いて、小さな朱塗りの瓶を取り出す戌斬。


「おっ♪ いつの間にそんないいもん買ってたんだ?」


 と、身を乗り出して食い付く鵺に、ふっと笑った戌斬が否定する。


「残念ながらこれは町で買ったものではない。これは『御神酒』だ」

「げっ」と、鵺の顔が露骨に引き攣った。

「お前、何て物飲ませようとすんだ。俺を殺す気か? 妖に対して神様って……天敵躰ん中に入れるようなもんだろうが。俺はいらねぇ」


 と、ドン引きして全否定する鵺に対し、戌斬は幾分呆れた顔をして言った。


「貴様……キビ団子を人の三倍は食べておきながら、そんなことを言うのか?」

「え?」

「芙蓉様の作るキビ団子も、神のご利益がかけられていたのだぞ」

「ホントか?! うわぁ、怖っ……。知らねぇ間に攻撃されてたのか?」

「失礼な。あれだけ食べておきながらその言い草。どこにも不調は来たしていなかっただろうが!」

「では鵺殿は、母上のキビ団子など二度と食べたくはないと言うことか?」


 と、戌斬に怒られ、桃狩に傷ついたような顔を向けられたなら、さすがに

「うっ」と小さく呻く鵺。


「そもそも、神聖なもの全てが妖にとって脅威になるわけではない。この御神酒だって、芙蓉様が体力回復を願ってワタシ達に持たせて下さったものなのだ。つべこべ言わずに飲め!」

「かなり美味いよ」と、満足げに猿我までが援護する。

「うぇー」と嫌そうに、それでもとりあえずお猪口を受け取る鵺。

 その傍で同じようにお猪口を持った桃狩が、悲しそうな顔で見ていれば、


「あー、もうっ、分かったよ! 飲めばいいんだろ、飲めば!」


 破れかぶれになって一気に煽った。

 刹那、鵺は眼を見張って驚いたようにお猪口を見た。


「――うめぇ! 何だこれ。何でこんなうめぇんだ? うめぇぞ、坊主」

「そうか? 良かった」


 眼を輝かせて絶賛する鵺を見て、ホッと笑う桃狩。


「戌斬、もっとくれ!」

「がっつくな! それに、むやみやたらと飲むものではない。飲み過ぎると逆に、貴様が危惧するように障りが出るぞ」

「いいだろが別に。固いこと言わずにもう一杯。この、体の隅々にまで染み渡るような味! 力が漲るようなこの感じがいいんだよ」

「だから、それが御神酒の効果だと言うのに……天敵を躰の中に入れるのは嫌だったのではないのか」

「大丈夫だって言ったのは、お前だろ、戌斬。

 ああ~桃狩をずっと背負って来たからまだ完全回復には程遠いなぁ……」

「くっ……」


 痛いところを突かれ、思わず忌々しげに呻くと、


「戌斬。後一杯だけ頼む」


 苦笑交じりの桃狩にまで促され、不承不承のままに酌をする。


「くぅぅうぅぅっ! うんめぇ~。

 桃狩! お前ん家に行ったら、キビ団子と御神酒を出してくれ。それで俺は満足だ」

「ああ。分かった」


 と、嬉しそうに頷く桃狩の後ろで、『全く、現金な奴だ……』とぼやく戌斬の声は、都合よく鵺によって無視された。

 だが、大福と御神酒によって笑顔が戻りくつろぐ面々を見て、戌斬は満足げに頷いた。


「やはり皆、疲労が溜まっていたようだな」

『!』

「気が高ぶっていると気付かぬものだが、ワタシの考えに間違いがなくて良かった」


 そうしみじみと呟かれたなら、桃狩と猿我は気まずそうに下を向いた。


「……責めるようなことを言ってすまなかった、戌斬」

「あたしも、悪かった……」

「いえ。お二人の気持ちは分かりますから。

 ただ、今ここで休まねば、この先休めるかどうか分かりません。この旅において、ゆっくりと休んだためしがありませんでしたから。

『鬼ヶ島』に辿り着いたとしても、万全の力を発揮出来ねば意味がありません。それに、『鬼ヶ島』に入ってしまえば、すぐに逃げ帰ることは不可能となるでしょう。陸続きならばまだしも、『鬼ヶ島』は海に囲まれていますからね。

 それ以前に、『鬼ヶ島』付近には妖が集っていると左右も言っていましたから。ここを置いてじっくりと体力回復が出来る場所があるとは限りません。故に、この場で休息を取ることにしました。

 故に桃狩様。これより先は努々(ゆめゆめ)油断をなさらぬようお願い申し上げます。

 お前達も引き返すなら今だぞ。『鬼ヶ島』に足を踏み入れてしまえば本当に命の保障はない」

「ああ」

「大丈夫だよ」

「誰に言ってる」


 力強い三人の笑みに覚悟を見出し、戌斬も満足げに笑みを浮かべたなら、四人は満天の星空の下、芒のさざ波の音を聞きながら深い眠りへと落ちて行った。


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