第14話
アイが作り上げた穴はトキコよりもずっと小さかった。そんなところに引っ張られれば、頭をぶつけないということの方がありえなかった。
ゴッという短く鈍い音と、鋭い痛みにトキコは灯台の中に入れず、その場にしゃがみ込んだ。悲鳴さえ出ずに、小さな呻きが口から漏れた。
トキコの額は切れたらしく、血が流れていた。触れるとズキンと痛みが走り、腫れ上がっているのがわかった。
「トキコ、怪我シタ……」
そう言って、心配しているのかはわからないが、アイはうずくまるトキコの前にしゃがみこんだ。この怪我の原因はアイである。それでも怒る気にはならなくて、「大丈夫、大丈夫」とアイをなだめた。
だけど、せめてもう少し危険を予測できるとありがたいのだが。
アイは置いてきてしまったカバンを取りに行き、ツバメが用意してくれた荷物の中から、アイは消毒と絆創膏を選んで、不思議なくらいに手際よく、トキコの傷口の処置をしてくれた。
上手だねと褒めると「アイノ、ツトメ」と答えた。
塔の中見た目よりも狭く、暗かった。真ん中に白い柱があり、そこを軸にぐるりと巻きつくようにそこもまた鈍く白い階段が設置されている。アイと並んで登るのは狭くて難しそうだ。階段の先はねじれているため、よく見えないが光源があるようでオレンジ色に少しだけ明るい。
「この階段……なんて言うんだっけ……」
「螺旋階段。グルグル……シタ、階段」
トキコはツバメが登れと言っていたことを思い返しながら、階段を一歩ずつ登り始める。壁に手を触れると思った通り冷たかった。トキコが足を運ぶたびに甲高い音が鳴り響く。後ろからは少しずれて、トキコの足音よりもずっと大きなアイのそれが聞こえた。
途中の窓からはオレンジに変わってしまった海や遠くの木々が見える。高くなればなるほど、遠くのものがよく見えた。
天辺まで登り切ると、壁のない柱で囲われた円形の部屋だった。オレンジの光が差し込んでいる。真ん中に黒い目玉のような機械が置いてある。
トキコは小走りで一番明るく照らされている柱に近づいた。
「すごーい!! アイちゃん!! 綺麗だよ!!」
トキコは空がオレンジから、少しずつ深い青に変わっていくのを見た。それに伴うように海の色も変わる。
「トキコ」
アイが呼ぶ。振り返ると黒い目玉の機械の隣から顔を覗かせていた。
「なあに?」
「ココニ、何ガアル?」
そうか、アイには何も話してない。ただ、塔に行くとしか言ってないのだ。
── 都市の場所を確認する。大釜って言って、白くて巨大な街……本で見たことあるよね。それを探すんだ。
ツバメの声が頭の中で響く。あの時のツバメの主語は「僕たち」じゃなくて、「キミは」だった。どうして、自分はそんな違和感に気づかなかったのだろう。
トキコは頭を振って後悔を振り払う。過去は何をしても変わらないのに、間違えた選択を正そうと自然と頭の中でやり直そうとしてしまう。
「街を探すの。白い都市だよ……大釜って呼んでるんだけど……」
「ジャア、アッチ」
アイはトキコのいる反対側を指している。トキコはアイの方へ行き、横を通り過ぎて反対側の柱の横に立ち、暗い空の先を見た。
一目でわかった。白くて平たい塊が遠くに見える。太陽とは反対側で青く薄暗い中にはっきりと浮かんでいる。大きさは、遠くていまいちわからないが、きっとここまではっきり見えるのだから大きいのだろう。
「あれが……大釜……」
「ミンナ、住ンデル」
白い建物は全然違うのに、なんとなく地下都市と似ている気がした。
「アイちゃんは、あそこに住んでたの?」
アイはトキコの質問には答えずに、柱の外へ出る。トキコも外に出てみる。
柱の外は外からもよく見えた所。塔から突き出してぐるりと一周できる。トキコの胸くらいの高さにこれまた白い柵も設置されていた。
柵を掴んで大釜を見る。あたりは暗く灰色がかった茶色の大地だ。何もない。そこから目線を右のほうにずらしていくと、赤に照らされた工具のような、おもちゃのような四角い建物がたくさん見える。そこも地下都市と雰囲気がよく似ている。建物たちからまた左下に目線を向けていくと深い緑の塊が広がっている。あれは、たぶん森というものじゃないだろうか。
森の中には人間じゃない動物がいるらしい。図鑑で見たものは兎や熊にライオン、犬や猫というものもいた。キュティやハクのような小さい子がよく抱えていたのもその動物をモチーフにしたぬいぐるみだった。
トキコは視線をどんどんと下に、こちらに近づけた。白い箱の廃墟が連なっている。この高さだと本当に、白く塗りつぶした積木のように見える。
ふっと、下から風が吹き上げ、ヒリヒリと痛む額に当たる。足元を見ると初めて見る高さにギョッとし、数歩後退りし、柱に背をつけた。
柵の隙間から下を眺めていたアイがトキコの方を振り返る。
「アイちゃん、落ちたりしないでよ……」
「落ナイヨ。アイ、気ヲツケル」
アイはそう言いながら、ゆっくりと立ち上がる。逆にトキコはズルズルと座り込んでしまった。力が抜けて、足が重たく感じる。
アイは少し首を傾げたかと思うと、トキコの隣に膝を曲げてピタリと座る。ひんやりとした硬い感触がトキコの左腕に伝わった。
「アイちゃん? どうしたの?」
「トキコ、疲レテルカラ」
「うーん……休んだんだけどね……」
「モット、休ンデイイヨ」
「ありがとう」
疲れが取れていないのは事実だ。
トキコはアイに体重を寄せた。
「休むなら、ソファーの方が良いかなって思ったけどここはここで気持ちが良いね」
「ココハ寒イ?」
「大丈夫……」
トキコはしばらくぼんやりとしていた。頭も相当疲れていたようで、何もかんがえられなかった。空は暗い青から黒に変わっていく。だんだんと黒い空にはキラキラした粒が数え切れないくらいに現れる。
「あれは、星?」
「ウン、オ星サマ。キラキラ」
「ここは本に書いてあるものが全部あるんだね」
暗くなればなるほど、無数の星を空は連れてきた。集まった星たちは夜空に見惚れるほどに美しく明るい雲を作った。
「綺麗なものがたくさんありすぎて、言葉が足りなくなっちゃうよ」
トキコは膝を抱えた。時間はわからないけど、きっと直に長い一日が終わる。
ツバメに連れ出されてまだ一日も経っていないのに、疲れきってしまうほどに感情が目まぐるしく変化した。
今は、自分の居場所もツバメの居場所もわからない。だからツバメに言われた通りに都市を目指すしかない。
「アイちゃん、わたしね。ツバメを迎えに行くの」
トキコはポツリと言葉を零した。
「ツバメ……幸セノ鳥」
「そう、ツバメは鳥の名前だよね。わたしの捜してるツバメは、人なの」
トキコは自分の膝に顎を乗せて目を閉じる。昨日までは普通に見て触れられていたツバメの姿が思い浮かぶ。
「ヒト……。ツバメ、ドコニイル」
「地下だよ。どこかの地下都市にいるけど、地下都市の場所がわからないの」
鼻の奥がツンと痛い。
トキコはゆっくりと目を開けた。辺りが溶けてしまったようにぼんやりとしか見えないのは暗いせいだろうか。
「あの、ね……酷い話……なんだよ。アイちゃん、聞いてくれる?」
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