第9話

 いつのまにか曇り空から光が射し始めていた。

 きっとそれは美しいものであるはずなのに、トキコの目の前はぼやけて、上手く見えなかった。

 ツバメはわたし一人に行かせたのだろう。どうして一緒に来てくれなかったのだろう。どうして死ぬかもしれない賭けをわたし一人にやらせたのか。

 こうなるんだったら、わたしなんか失敗して死んでしまえば良かったのに。


 ツバメへの疑惑と、一人で外に放り出された虚無感に、悲しいのか、怖いのか、それとも怒りなのか、何の感情なのかわからない。わからないそれは、心の奥底から込み上がって、むせ返るような声になり、涙になった。


 トキコは瓦礫の山に座り込んで、涙が止まらなかった。


 「トキコ」


 単調な、機械の声がした。

 鼻水をすすりながら顔を上げると、ツインテールのロボットがこちらをジッと見ている。

 結局、アイには何も話していない。トキコが突然泣き出したのだから、きっとアイも驚いているのかもしれない。ロボットに驚くなんて感情があればだが。

 無機質な顔はトキコをレンズに捕らえて動かない。感情のない、ロボットが羨ましい。

 トキコはまた、顔を伏せてすすり泣いた。

その時、頭に硬いものが触れた。もう一度顔を上げると、驚いたようにアイが両手を少し上げて一歩退がる。顔は無表情だ。


 「アイちゃん……?」


 「トキコ、泣イテル。泣イテル、ソレハ、ツライカラ……」


 アイは抑揚もなく、淡々と話す。


 「アイ、トキコ、慰メル。トキコ、笑ウマデ、待ツ。ダカラ、トキコ、イッパイ泣イテ、イイ」


 アイはそう続けて、ゆっくりとトキコに近づいて、トキコの隣にピタリと座った。金属の体は冷たくて気持ちが良かった。

 トキコは感情の蓋が弾け飛んだように、大声で泣き叫んだ。どれだけ叫んでも、声は青い空のどこかに吸い込まれて消えていく。地下都市では絶対にそんなことなかった。自分の発した声は、全て壁や天井に響いて、戻ってきた。どんなに気分を晴らそうとしても、悲しみや辛さや怒りも、何もかも返ってくる気がしていた。

 こんな、ロボットに慰められ、泣かされるなんて思いもしなかった。


 どれだけの時間、こうして泣いていただろうか。すっかり空は青くなっていた。トキコの方も、喉は枯れて少し痛いし、鼻は詰まって息もしづらい。悲しさは消えないけれど、少しだけすっきりした。痛みが消えて、傷痕が残ったような、そんな気分だった。


 「トキコ、ダイジョーブ?」


 「多少……ね」


 トキコは、鼻声でそう言った。笑う気にはなれないが、泣かなくても大丈夫だった。


 「アイちゃん、どこでそんな優しい言葉を覚えたの?」


 ロボットが優しいなんて不思議でおかしくて、トキコはつい聞いてみたくなった。


 「メモリーバグ、発生……解析、困難」


 アイは的外れに答えた。よくわからないが、簡単に言うと忘れたのだろう。

 トキコは息を吐いて、空っぽになった肺を満たそうと、空気を吸い込んだ。地下都市とは違う味だ。ずっしりと重いような空気をしていた。でも、それは嫌な感じではなかった。


 出てきてしまった……生まれてしまったからには仕方がない。今できることをするしかないのだ。

 ツバメは白い塔を探せと言っていた。見ればわかるって……

 キョロキョロと辺りを見渡しているとそれらしいものを見つけた。その瞬間に風が強く吹いた。黒髪が顔を覆い、視界が悪くなる。髪を束ねたい……。


 「リボン……ッ!?」


 トキコは左腕を見た。ツバメがくれた白くて綺麗なリボンは、そこには巻かれていなかった。

 血の気が引く。頭から体温が下がり、指先まで冷えていく感覚を覚えた。

 トキコは慌てて辺りを見渡すが、重苦しいガラクタの中に、軽やかで美しいものなんて見つからない。


 「ツバメにもらったのに……っ!! アイちゃん!! 白いリボンを探して!!」


 「了解シタ」


 アイは、瓦礫の山を降りていき真っ先にガラクタたちの間から何かを引っ張り出した。あまりに自信ありげだったから落ちてる場所を知っていたのかと期待したが、その期待は、しゅるしゅるとしぼんだ。見てわかる。ただの白っぽくて汚い毛布くらいに大きな布だ。


 「白イ」


 「リボンだって!! それに、もっと綺麗なの!!」


 トキコもしゃがみこんでガラクタをどかしてみたり、自分が倒れていた場所も見てみたが、見つからなかった。

 一方のアイは、綺麗と言って、ガラス片を持ってきたり、細いと言って、ただのバネを持ってきたりと、記憶を上書き保存しているのか的外れな物ばかりをトキコに見せてきた。


 しばらく探していたが見つからなかった。アイが捨てた白くて汚い布が風で飛ばされるのを見ると、リボンもどこかに飛んでいってしまったのではないかと、落胆する。


 「トキコ」


 アイが後ろから、トキコの背中をトントンとつつく。今度は何だと、トキコはアイの方を見る。そして目を疑った。

 アイの手には白くて細くて綺麗なリボンが乗っていた。紛れもなく、ツバメからの贈り物だった。


 「こ、これ……!!」


 トキコは、アイの手からそっとリボンを大事につまみ上げた。太陽の光に透けて、淡いピンクがキラキラと白に入り込む。太陽の下だと、もっと綺麗だってツバメが言ってたのは本当だった。

 トキコは安堵しながら高揚するという、複雑な気分を味わった。鼻が少し痛くて、涙が溢れそうになる。


 「トキコ、笑ッタ。トキコ、タカラモノ」


 アイはトキコの顔を覗き込んで、そう言った。平坦な声に無機質な顔なのに、心なしか……というよりも、トキコがそう思ったからなのか、少しだけ嬉しそうに見えた。


 「そう。宝物なの。見つけてくれてありがとう。どこにあったの?」


 アイは「アノ中」と転送装置を指差す。

転送中に解けて落ちたのか。お陰で飛ばされなくて済んだみたい。最初からそこを見てみれば良かったと、少し後悔した。

 ふと、アイがアイの体にしては大きなカバンを肩から提げているのに気がついた。どこかで拾ったのだろうか。

 トキコは、一先ずカバンのことは置いておき、髪を束ねようとした。しかし、上手くできず、スルスルと髪が落ちてきてしまう。

 何度か挑戦したが、一向にできる気配もなく、腕も疲れてきた。


 「アイ、ヤッタゲル」


 「できるの?」と少し不安に思いつつ、トキコはアイにリボンを渡してみた。大きな手じゃ難しいだろうと思ったが、アイは一瞬でトキコの髪をまとめ上げた。


 「は、早いね……器用なんだ……」


 「カンタン」


 アイはそう言う。無表情なのに、少し誇らしげに見えた。

 ちゃんと、結べるように練習しないといけないなと思う。髪を結んだだけなのに、気分が少し晴れた。


 トキコはもう一度白い塔を目視する。


 「アイちゃん、わたしね……あの塔に行こうと思うんだけど……そういえば、そのカバンはどうしたの?」


 やっぱり気になった。話の途中だが、アイに聞いてみた。アイはカバンを肩から外して、トキコに渡す。


 「転送装置……入ッテタ」


 転送装置の中で……ということはツバメが用意したものだろうか。トキコはまずは、カバンの中を確認してみることにした。

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