第2話

 「広いね、空」


 トキコが空を仰ぐと、アイも顔を空に向ける。関節がどうも球体になっているらしく、アイの首は人間ではありえない角度をつけていた。

 雲の隙間から日が射しはじめている。こうして、座って本物の空を見上げるのは初めてなのかもしれない。


 「天気、晴レ」


 アイはトキコをもう一度見る。風がふわりと吹いていて、その音の合間にアイの機械音が途切れ途切れに聞こえる。


 トキコは何から話そうかと考える。自分自身がなぜここにいるのかよくわからない。どう切り出せば頭の中にされた記憶の蓋が開くだろう。

 そう思っていると突然、冷たい機械の手が、トキコの右腕にそっと触れた。


 「腕、ドウシタノ」


 単調な声でアイは聞いた。


 「イタイ?」


 「痛くないよ。わたしの腕はこういうものなの」


 トキコは空に右腕を伸ばした。赤い手のひらに薄っすらと日光が透けて眩しい。


 トキコの右手は赤く、皮膚が無かった。指先から肘の手前までは人工物だ。手掌部分は剥き出しだが、前腕部分は機械ですっぽりと覆われている。

 この機械は体外的に電気信号を送ることができる。すると、皮膚の無い腕の筋肉は増幅し鉄のように硬くなる。

 良かった。これはしっかりと細かく覚えていた。


 トキコは左手で、右腕の機械に触った。決められた順番でボタンを押す。

 ピッと音がして、ビリビリと少し痺れた感覚が右腕に走り、熱を帯びた。見た目からではわからないが右腕はいつもの倍くらい重たく感じる。


 「見ててね」


 トキコはちょうど自分の真横に落ちていた廃棄物を拾う。コンクリートに鉄の棒が二本突き刺さっている。両手で持てるくらいのサイズだ。

 トキコは三本指に力を入れて突き刺さる鉄の棒を折り曲げた。このくらいなら容易い。その次に、鉄の棒を握り直し、ぐるぐると螺旋状に巻いてみせた。これはちょっと力が要る。


 「こんな感じ」


 トキコはアイに廃材を渡し、ボタンを押して、電流をシャットアウトする。手は怠く重い上に痺れている。


 「あまりたくさん使うとしんどいんだけどね」


 アイはトキコの顔を見てから、自分も鉄の棒を曲げようと奮闘するが、ビクともしなかった。


 「トキコ、強イ」


 「アイちゃんは戦えるロボットじゃあなさそうだもんね」


 トキコにペシペシと軽く叩かれてアイは首を傾げた。よく見ると、所々ひび割れて随分と昔に造られたロボットだということがわかる。


 ツバメや職員に聞いたところによると、外にはアイのように行き場をなくした、たくさんのロボットがいるんだという。


 過去にロボットの開発が盛んだった時期があった。このアイのようなはぐれロボットはその時代の置き土産のようなものだ。


 というのも、実は地上には人間には耐えられない毒が蔓延しているらしい。トキコたちはその毒に対抗できる"調査対象"なのだ。

 その出所が不明の毒は百年かけて世界中に広がり、人間たちをじわりじわりと追い詰めていった。そうしていつしか、とうとう人類は人工都市──大釜を造り、そこに逃げることで毒から命を守る計画が立てられた。

 問題は、その大釜はたくさん造られるようなものではなく、それだけでは全ての人類を救うことができないことだった。助かりたいと願った人々は大釜をめぐり毒に侵されながら争ったとか。

 その時に兵器として、または生活の助けとしてたくさんのロボットが開発されのだ。

 いつしか、毒が完全に広がり人類が大釜の外ではまともに暮らせなくなった。

 ロボットたちはその場に取り残されたのである。


 当時はロボットたちが自給自足できるような技術が人気だったようで、外の廃墟にはひとりでに動くロボットが元気に活動しているらしい。

 アイもそういうタイプなのだろう。


 「トキコ……ロボット」


 アイはペタペタとトキコの腕を触る。冷たい。


 「違うよ。わたしが変なのは、ここだけ。あとは人間だよ」


 「デモ、トキコ……マスク、シテナイ」


 今度はトキコのほっぺたに手を伸ばしてきた。毒に耐えられる人間はいないと言いたいらしい。

 トキコはアイの大きな手の上に、手を重ねた。痺れもだいぶ治った。


 「わたしは大丈夫なの。地下都市のね、一部の人たちは大丈夫なようにされてるの」


 「ワカラナイ。人間、ナゼ」


 アイは手を膝の上に置いた。


 「トキコ、ロボット、違ウ。ナゼ」


 「なぜって……ほら、わたし生きてるから」


 トキコは両手を広げて言った。

 ちょうど風が少し強く吹いて、トキコの髪をバサバサと乱暴に揺らした。


 「アイ、アイモ、生キテル、動ク」


 アイは立ち上がって、腕を回したり、ツインテールのような重たそうな装飾をうねらせた。

 人間、髪の毛は操れないんだよなと思う。


 「動くっていうか……ほら、わたしは暖かいし、鼓動もある」


 トキコはアイの手に触れた。自分の熱がアイに伝わればわかるんじゃないか。そう期待したのに、アイは首を振った。


 「アイモ、動力源、熱イ。生キテル音、スル」


 「だから、その……動くと生きてるっていうのは違うっていうか……ね……」


 うまく言えない。困りきって、トキコの口から渇いた笑いが漏れた。


 「質問、変エル。生キテル、ナニ」


 まさか、自分の記憶を整理しようとしているのに、答えのない問いを考える羽目になるなんて思いもしなかった。


 「生きる……って……自由になることだよ」


 答えなんて出ないと思ったのに、思考する前に勝手に口が喋った。

 ただ、声は自分で発したはずなのに聞こえてきたのは自分の声ではなかった。そして、口はまた勝手に喋り出す。


 「だからね、わたしたちは外に出るべきなんだと思う」


 そうだ。ツバメにそう言われた。だから、ここに来た。だから、地下都市から出たいと思うようになったんだ。


 わたしは、自由になるために、生きるためにここに出てきたんだ。

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