第一章「生まれた世界」
第3話
「自由?」
トキコが聞き返すと、ツバメは自信ありげに笑った。
「トキコはさ、ここの生活どう思う?」
「えー……?」
ここ──地下都市と呼ばれる施設のことだ。今は夕食を終えたところ。ここから就寝までの一時間だけは談話室で過ごすことが許されている。トキコとツバメは部屋の隅で壁にもたれながら話しているが、他の調査対象の子供たちは本を読んだりカードをしたり、音楽を聞いたりして過ごしている。
子供たちは全員で二十一人、いつのまにか年長者はトキコとツバメだけになっている。
「別に、何も思わないよ」
「えー……」
ツバメはあからさまに残念そうに目をも口も半開きの、可愛らしいアホ面になる。
「地下都市って……自由ないじゃん」
「ふむ……」
トキコは自分の一日を振り返る。
朝は電子音で始まる。身支度は二十分で済ませて不味くも美味しくもない朝食を子供たち全員一緒に摂る。後はテストと、施術や検査の繰り返し。
例えば、具体的にはトキコの場合は筋力テストやガス交換が多い。筋力テストは文字通り筋肉の強さとか、どれだけ耐えられるかを見るもので、終了後はヘトヘトになるし、痛みを伴うこともある。それでも、筋力テストの日は早く休むことができる。それから、ガス交換はマスクをつけて呼吸をするだけのテストだ。体は筋力テストより幾分か楽だが、気絶するほど苦しい時もある。失神したり、血を吐いたりなんてことが何度もあった。
後は毎週注射で血液を採られたり、筆記のテストも定期的に行われる。その合間に昼食でブヨブヨした美味しくないゼリーを食べて、少し休憩した後に再開する。合間にやることがなくなれば談話室の本を読んで勉強している。わからないことは先生と呼ばれる職員たちが教えてくれる。
また時折、右腕の改造部分を診ると言って、切られたり注射されたりもする。こればっかりは痛くて嫌いだ。
そうだ。あと、嫌いといえば、クリーチャーの始末が一番苦手だ。時々、職員は謎の生き物を連れてきて、トキコに殺すよう命じた。気味の悪い生き物ではあるが、さすがに死ぬ時の断末魔を平気で聞いていられるほどトキコは冷徹ではない。これは……年長者にだけ任される仕事のようなものだった。
一日のやることは職員が付き添うが殆ど一人きり。テストや検査すべて終わった後に入浴がある。そして、夕食の時にようやく他の子供たちと朝以来の再会をするのだ。
嫌なこともあるが基本は淡々と行なっている。トキコはずっとそうやって生きてきたし、いずれこの調査を卒業することになる。それに、この調査が未来の人類を毒から救うためであるのも知っている。
自分が頑張ってたくさんの人が救われるなら、そんな誇らしいことはなかなかにない。
「わたし、ここにいて困ったことはないかな」
トキコは両手を組んで前に突き出して筋肉を伸ばした。赤い手も、みんなとお揃いの機械のリストバンドも、なんだか誇らしい。
「それにね」
手を下ろして指を組み、少し俯く。
「毎日こうしてツバメとお話できるなら……それが……すごく楽しいから、ここで良いんだ」
そう口にしながら、自分で照れているのがわかってしまう。耳が少し熱くなるのを感じた。顔をゆっくりとあげると、ツバメはキョトンと目を丸くしてトキコを見下ろしていた。
変なこと言ったかなと、少し焦ってツバメから顔を背けた。
「だからね、ツバメといると楽しいの……って同じこと言ってるね、わたし」
トキコは口元に手を当て、無理やり笑いながらツバメを見上げた。
「僕も、トキコといるのが一番楽しいよ」
ツバメは目を細めた。もっと、今日のテストのことや、100番が似顔絵を描いてくれたこと、新しい図鑑で面白いロボットを見つけたこと……なんて、話したいことがたくさんあったが、ツバメを見ていたら何も言えなくなってしまった。それは、ツバメが少し、いつもより元気のない笑顔をしていたからだということに気づいたのは、就寝の合図が鳴った後、布団に入ってからだった。
翌日。
この日は週に二回ある、地上に出る日であった。二十一人の子供たちが軽く遊べるくらいのスペースがある運動場に全員で出る。時折、ツバメは姿を見せないが、今日は一緒に陽の光を浴びることができた。
トキコは、床に足を投げ出して座り込み、壁に囲まれた丸くて青い空を見上げていた。あの空にはガラスが被せてあるらしく、ここは地上とは言うものの、室内である。
トキコの膝には最年少組の98番が座り、ウトウト昼寝をしていた。その昔で言う白人の子は愛らしい見た目から職員からキュティと呼ばれていた。
「キュティ、寝ちゃったよ」
トキコはキュティの金髪に触れた。陽の光に溶けて消えそうなほど細くキラキラしている。キュティはまだ、施術を受けておらず彼女の二本の腕も足も真っさらで綺麗だった。
「暖かいし、気分が良いね……本当は本物の風を感じてみたいところだけど」
ツバメはポツリと不満を漏らす。
「ツバメ……」
トキコはキュティを起こさないように小さな声でツバメを呼んだ。
「なに?」
「昨日言ってたのって、なに?」
「昨日?」
「自由だよ。自由になりたいってどう言うこと?」
トキコはキュティの頭を撫でながら、ツバメの顔を覗き込む。昨日の元気のない笑顔がツバメの顔に被る。
「ああ……そうだな……」
ツバメは丸い空を仰いだ。ツバメの顔いっぱいに光が注いで、違う人に見えた。いったい、空の奥に何を見ているんだろう。
「トキコにとって自由ってなんだろ?」
「え? 自由?」
トキコは俯いて思考する。キュティの顔にかかる髪をそっと直してあげた。
辞書には、束縛を受けず思うままに振舞うことと書いてあった。でも、自分自身にとって……だから辞書のまま言う必要はない。だとすると……
「夕食の後の時間……? あ、それと今の時間もかな」
空の先を見ていたツバメは、トキコと目を合わせ、優しく緩めて笑う。
……やっぱり少し寂しそうだ。
「ありがとう。トキコはそう思うんだね。僕も、夕食の後の時間は好きだよ」
「うん……」
ツバメは俯いて、冷たいコンクリートの床を見つめる。そして、小さく口を開く。
「でも、僕とは違う。僕はね、自由は生きることだと思う。そして、未来を選べるんだ」
トキコにとってその発言は思いも寄らない、雲をつかむように突拍子もないものだった。だって、ここでは未来を選ぶ余地なんてないのだから。
「未来を選ぶ? どういうこと? わたしたちはいつか卒業して、ここで働くんでしょ? 職員はみんなそうじゃん」
「違うよ、トキコ」
トキコの声に被せるようにツバメは言い放った。声のトーンも低く、そのせいなのかトキコの背中の筋肉は強張った。
「トキコ、もし……テストも検査もない、好きな時に眠り、好きな人といられる世界があったら、そっちにいきたい?」
ツバメは打って変わって柔らかい声でそう聞き、そうして、ゆっくりと顔を上げた。表情は優しいがどことなく不安げだ。
でも、もしツバメと一緒に過ごせたら、それはどれだけ嬉しいだろうか。でも、そんなものがないことはトキコだって知っている。
「そんな世界、あったらいいのにね」
トキコはため息混じりに、すっかり眠りこけたキュティを抱きしめて呟いた。
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