第13話
「大丈夫?」
聞き慣れた声に、目を覚ます。
「顔色が良くないね。悪い夢でも見たの?」
ツバメは心配そうにトキコの髪を撫でた。トキコはソファーから起き上がって、ぼんやりと目をこする。談話室で、寝ちゃったみたいだ。
ツバメもトキコの横に座る。
「長い夢を見てたみたい……わたしは外に行くの……」
口から勝手に言葉が出る。随分とくたびれてしまった。
「もうすぐ消灯時間だよ」
「そっか。髪、くちゃくちゃになっちゃったかな。せっかくツバメがリボンくれたのに」
「ふふ。また結んだらいいよ」
ツバメは笑う。直後に消灯の音楽が流れた。あれ、こんな音、昔からあったかな。
そして消灯時間にも関わらず、灯りは消えなくて、むしろ明るさを増していて眩しく、少し暑いくらいだ。
トキコはどうしてか、よくわからないけど寂しくなってツバメに寄り添うようにもたれかかった。
「ツバメはさ、意地悪だよね。顔を見せてくれないの? 真っ白だよ」
「そうかな?」
ツバメは首を傾げて答える。ツバメを見上げても顔がどうにもこうにも見えないのだ。
「ああ、時間だ。そろそろ行かなきゃ」
ツバメはトキコを気にする様子なんてなく、突然立ち上がる。
変だ。行かなきゃいけないのはわたしのはずなんだ。ならば、止めなきゃ。ツバメに二度と会えなくなる。
トキコはツバメに右手を伸ばす。ツバメは近くにいるのにどれだけ手を伸ばしても届かない。
早くしないと、ツバメはオレンジの強い光に溶けて消えてしまう。
「やだ!! 行かないでツバメ!!」
叫んだと同時に目を覚ました。
身体は強張り、伸ばした右手が虚しく空気を掻いていた。
「嫌だ……変な夢……」
夢のくせにツバメの顔さえ見せてくれない。まともな会話にならなくたって、夢でくらいもっと話がしたかった。顔だって見たかったのに。
そんなこと考えても仕方ないと、トキコは起き上がり、その時に外が、空がオレンジ色に暖かく染まっていることに気がついた。
「わ……す、すごい……!!」
空は青く広がっていた時よりもずっと果てしなく広く見える。太陽がはっきりと海の奥にあって空に穴が空いたみたいだ。
視界全てが同じ色に照らされているのは初めて見た。だから、自分の言葉じゃどうやってそれを表現したらいいのかわからないほどにそれは美しく、一瞬全てを忘れさせた。
空を時々、オレンジで塗っている絵を見たことがあった。すごい感性なんだなって思って、ツバメに話すと「夜の前にはそういうもんだよ」って言われた。あの時は、半分信じていなかった。でも、本当に『そういうもん』だった。
「ユーヤケコヤケ」
アイの声がして、トキコは振り返った。
薄暗い部屋の中でアイは、パソコンの前の椅子に座っていた。アイの場所は外からの光が入らないため、アイのつるりとした体はパソコンの青い光を浴びて輝いて見えた。
アイはおもむろに顔をトキコの方に向ける。目の青いラインが緑に光っている。
「トキコ、オハヨウ、コンバンハ」
単調に、生きているのかわからないような声でアイは発した。
美しい空を見た後だからなのか、無機質なアイがなんとなく不気味なオバケのように見えてしまった。
「な、なにしてるの?」
トキコは靴を履いて、立ち上がり、アイに恐る恐る近づいた。アイは緑に目を光らせて、トキコを見上げている。パソコンの青い画面はぼんやりと光っている。その中にも数字や文字が羅列していたり、図形がいくつか浮かび上がっているが、それはトキコには何一つ理解ができないものだった。
「更新……バグ、修正……終了……」
アイはそう発すると、パソコンからコードを抜いて腹部の隙間にしまい込み、パソコンのボタンを押した。しばらくしてパソコンはふっと暗くなる。
「電力ヲ供給シテ、自己プログラムノ修正ヲ行ッタ」
「な、なんて?」
「アイ、常二最新ノ状態ガ望マシイ」
アイはそう言うと、椅子から飛び降りてトキコの手を取った。アイの手は少し、熱を帯びている。
瞳のラインはいつもの青に戻っていた。
「体調ハ、ドウ?」
アイは妙に抑揚のついた言葉で話した。トキコは、アイが何をしたのかはたぶん理解できないが、ただ、まだちゃんと自分を気にかけてくれていることだけは感じ取れた。
だから、最初に感じた不気味さは、もうどこにもなかった。
「うん……少し楽になったよ」
「正常値ヲ確認」
アイはそっと手を離した。
「トキコ、アイガ、ドアを開ケル」
アイはそう言うと、突然ドアの方に向かって走りだし、ドアを開けるとこちらを振り返った。トキコはひとまず、アイについていき、一緒に外へ出た。
穏やかに湿っぽい風が吹いて、撫でるような海の音を耳まで届けた。アイは真っ直ぐに灯台のドアの前まで歩いた。
「ああ、ドア……」
トキコもアイの真後ろに立って、灯台を見上げた。アイはドアをまた、大きな掌で叩く。耳の奥を叩くように金属音がじんじんと響いた。
「アイちゃん。わたし、今ならたぶん壊せるよ。少し休んだし、ね」
「退ガッテテ、トキコ。アイガ、ヤル」
アイはトキコをドアから遠ざけるようにオレンジ色に染まった草の中に押しやった。アイの力は強くて、やっぱりよろけてしまう。
「いいよ。アイちゃんは、もう十分やってくれたよ──」
「ダメ、アイ、ヤル」
トキコの話なんか全く聞かないで、アイはトキコを草の中に残し、ドアの前まで走っていく。トキコもいい加減に諦めて、アイの気がすむまでやらせることにした。アイが何度叩いたところで、ドアはビクともしないのだ。それさえ、彼女がわかってくれれば、諦めるだろう。
ふと、地下都市の子供もできないことをやりたがる子が多かったと思い出す。小さければ小さい子ほど、無茶が好きだった。
アイの姿も見た目に相まってか、それに被った。
果たしてどうするのか、トキコは少しうんざりした気持ちで眺めていた。
アイは右手で、今度は叩かずにドアに触れた。そして、ゆっくりと左手を真横に突き出した。左手の、人間でいうちょうど手首がパカリと蓋が取れたように外れた。切断面の真下に掌がぶらりとぶら下がっている。
なぜそうなったのか、よくわからなかった。ロボットは腕が取れるものなのだろうか。
トキコは声もあげずに、アイの手を注視していた。
アイの腕の切断面からどこからともなく突然青白い線が現れて、瞬時に消えた。
「アイ、ちゃん? それは……」
「レーザーカッター。ナンデモ、切レル」
アイはこちらを振り返ることなく、そう言うと、ドアに左手を向けてゆっくりと腕を動かした。
呼吸と悲鳴が混じったような不安感を覚える金属音が響き、アイの手の動きに合わせてオレンジ色の光が瞬いた。
アイが長方形をドアに描き終えて、真ん中を蹴り飛ばすと、綺麗にぽっかりと穴が完成した。
「壊ス、ヨリ安全」
アイはくるりと振り返り、そう言って、腕を元に戻した。
「す、すごいね……!! そんなことできたんだ!!」
トキコはアイに近づいて、穴の中を覗き込む。穴自体はアイの身長に合わせてあるため、地面から一メートルもない。だから、小さく屈まないと通れないが、それでも十分だった。
「更新、シタカラ」
アイと目線が合う。相変わらず無表情だが、少しだけ誇らしげに見えた。トキコはそっとアイの頭を撫でる。
「ありがとう、アイちゃん」
「トキコノ、タメ。暗クナル前二、行コ」
アイは、頭の上のトキコの手を取って灯台の中へと引っ張っていった。
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