第33話

 診察室、という所にシェイリはパーテーションを置いてトキコを座らせた。地下都市で何をしてかどういうところだったか、事細かに尋問みたいに聞かれて、針で刺され、血を抜かれ、その他いろいろといじくり回された。赤い右腕も、傷だらけの左腕も触ったり写真を撮られたり。それからどの程度のものを壊せるか、どの程度のものをねじ曲げられるか、物理的な耐久性はどのくらいか。こういうのは地下都市でもしていた。むしろ地下都市でしていたことよりはだいぶ楽だった。そのはずだったのに、昼過ぎにはヘトヘトになり、ぶっ倒れた。

 トキコはもう動くのは怠くて、リビングの長椅子に座ってぐったりとアイにもたれていた。


 「アイツ、危険人物」


 アイがポンポンとトキコの頭をさすっていた。ミーヴィが静かにトキコのそばに来て立つ。トキコはぼんやりと、向かいの長椅子でシェイリが縮こまって座っているのを見ていた。


 「お前がそこまで人間性失ったなんて見損なったぞ!! シェイリ!!」


 ツルギはロイムと一緒にシェイリを挟むようにして立ちはだかり、声を荒げる。それに対してシェイリはつんと口を尖らせる。


 「ちょーっと血を抜いて、いろいろしただけじゃない……」


 「健康的な人と一緒にするな。トキは栄養失調と脱水と感染症が完治してないんだぞ」


 ロイムの方は冷静に言う。シェイリは不満げな顔で彼らを見上げる。


 「死なないレベルをちゃんと見極めたよ。そのくらい研究者として心得てます」


 「どこのマッドサイエンティストだよ!!」


 「今に始まったことじゃねえだろ。こいつの壊れっぷりはよ」


 ベッドに横になったまま、ウェルがゲラゲラと笑っていた。それをシェイリとツルギが同時に睨みつけてた。ロイムが頭を押さえてため息を吐く。


 「俺が監督してなかったのも問題だったな」


 「いや、それにしてもだ」


 「お前は接近禁止だ」


 その言葉にシェイリは立ち上がって、ロイムに詰め寄った。


 「は……はあ!? そんな日々の世話はどうするのさ!! 女同士じゃなきゃできないこともあるんだよ!!」


 「世話をするほど子供じゃないだろ。よっぽど何かあればミーヴィだっているんだ」


 ロイムは呆れたようにシェイリの言い訳を跳ね返し、近すぎる彼女から数歩離れる。それと同時にウェルがまたも下品に笑う。


 「このサイコパスが言うこと聞くかや」


 「ちっこいボディガードがいるからよっぽど大丈夫だろ。アイの凶暴さはウェルは身をもって知ったろ」


 「ああ。こんなのをケアロボットとしたやつに会ったら前歯へし折ってやろうと思うぜ」


 ツルギとウェルはケタケタと笑っている。その中でもシェイリだけは仏頂面で髪をぐしゃぐしゃに掻きむしり、「最悪だ」と繰り返していた。

 話が終わると、それぞれは仕事のために解散した。その中でもウェルだけはベッドを陣取ったままゴロゴロとだらけている。アイは「トキコガ寝ル」と彼をベッドから追いやり、トキコを布団で休ませた。

 ウェルは不満そうな顔をしながらも素直に退いて、長椅子の方に移動した。少し、バツが悪くなって、トキコは「ごめんなさい」とぼそりと謝った。だけど、ウェルは何も気にしていないようで、こちらを見向きもしない。

 トキコは横になって目を閉じた。


 「お前さ、どっから来たんだ?」


 少し間があってウェルがそう聞く。体をこちらに向けて大股広げて片肘をついている。


 「ウェル。トキコ、体調悪イ」


 「話くらいできんだろ?」


 アイに嗜められるが、そんなの無視してウェルはぶっきらぼうに顔をしかめる。彼は黒髪に筋肉質な体をしている。背は高くないが、大柄でロイムほどじゃないけど少し怖い。あまり逆らいたくないなと本能的に身震いし、「地下都市……」とトキコは消え入るように答えた。

 トキコに話す気があると判断したのか、アイはそれ以上何か言うこともなく、静かにベッドの端に座り、足をぷらぷらと遊ばせ始めた。


 「それは、なんなんだ?」


 「……わたしたちを、保護してるの。人類が毒に打ち勝つために……研究して……」


 「毒の研究機関はいくらでもあるけどよ。洗脳と人体実験してるとこもやっぱあんだな」


 アイが「ウェル」と鋭く声を出す。何か言うかと思ったけど、それ以上何も言わなかったので、トキコは話を続ける。地下都市は厳しいけどそんな非道なことはしていないのだ。だから、その間違いは訂正しなくてはいけない。


 「洗脳も人体実験もないよ……。わたしは保護されてる、調査対象だし……」


 ウェルは目をパッと丸くして、痺れて引きつった時のような顔して笑った。ぼそりとギリギリ聞こえる声で「こりゃ根深い」と呟く。


 「でも、逃げたんだろ?」


 逃げた? だれがそんなことを?

 あれはツバメの意思だ。ツバメの願望で、わたしは悔しいけどツバメに騙されたのだ。わたしは地下都市で良かったのに、ツバメの意思でここまで来た。


 「違う。ツバメが……そうしたから……」


 「まるで自我のないやつだな、お前。お前の頭、ツバメに侵されてるみたいだ」


 それも違う。ツバメは小規模都市まで行けと言っていた。それはここに来て達成した。だから、もうツバメの旅は終わったんだ。これからはトキの旅だ。わたしはこの先ツバメに会いに行く。


 一言も言い返せないで息だけが漏れる。そうして肩を落とすと、アイが突然ベッドから飛び降りて、ウェルに迫った。アイの巨大な金属の手で胸ぐらを掴まれてもなお、ウェルは余裕そうに笑みを浮かべていた。


 「ヤメロ、ウェル。オマエ、話スナ」


 「だ、大丈夫だよ!! アイちゃん、やめて!! 暴力は嫌だよ!!」


 トキコは出ない声を無理やり絞り出し、勢いだけで起き上がるが、くらくらとめまいがして視界がじわじわと黒く塗り潰された。突発的な頭痛に頭を抱えると、急いだ様子でアイが近づくのがわかった。


 トキコはもう一度横になって天井を見ていた。暗い灰色の天井は錆なのかシミなのかよくわからないが至るところが汚れている。日が射すのにこの部屋は暗く、寝る時以外は明かりが灯っているのだ。

 めまいはすぐに治まって、アイは水を取りに行った。「モウ話スナ」と釘を刺されたウェルは呆れたようにため息を吐く。

 トキコは天井の汚れを眺めながらウェルのため息に聞いてみる。


 「ウェルはどうしてここにいるの? ウェルの意思なの?」


 「俺は生きたいだけだ。生きたいからここにいる」


 一呼吸あって、ウェルは答えた。


 「つーか、ここにいるやつはそんなんばっかりだ」


 シェイリは、ここに来た人はみんな事情があると言う。それでも根っこは一緒なのだろうか。みんな生きたいのだろうか。

 ──自由は生きること。そして、未来を選べること──数日前に話したツバメの言葉は太古の言い伝えみたいに遠く聞こえる。


 「ウェルは自由なの? 自由になりたいの?」


 「またなんか哲学的な……俺嫌いだわ、そういうの」


 「……ごめんなさい」


 「まあ、大釜よりは自由だな。管理者に怯えることもねえし」


 「管理者って……?」


 「あー……説明もだりぃわ。管理者は管理者だ」


 目線だけ、ウェルの方に向ける。彼は両手を天井に向かって伸びをして、大欠伸をしていた。もう話す気は無さそうだった。トキコはふと彼への疑問がもう一つ浮かび上がる。


 「そういえば、みんなはやることあるけど……ウェルは暇なの?」


 「うっせーよ、クソガキ」


 ウェルはそう吐き捨てて、そっぽを向く。トキコはなんだか怒られた気がして、身を竦めた。そんな最中にアイはコップを持って戻ってくる。そして、「仕返シスル?」と聞いてきたためトキコは首を振って答え、布団に潜り込んだ。

 

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