第34話

 シェイリが近づかない2日間は実に穏やかなものだった。朝はアイに起こされて、ミーヴィが食事を用意してくれる。栄養ブロックと時々スープも出た。スープの中身は半透明で細長い変なものや薄っぺらい物体も入っていたが、それらは、野菜だったり何とも癖の強い味の合成肉だったりするのだ。昼間はアイと日向ぼっこして過ごしていた。トキコのいる、この建物は3階建てで、屋上と呼ばれる広いスペースが屋根の上にある。その屋上にやってきては、干された洗濯物の間にアイと一緒に横になって過ごしていた。地下都市で見上げた丸い空よりもずっと大きくて、歪な形をしている。だけど、ここでも空は透明な天井に遮られていた。


 なるべく安静にと過ごしているうちに、少しずついろんなことを知った。思い返すと何から話したらわからないくらい、たくさんのことだった。

 例えば、洗濯の仕方や食器の片付け方、機械に投げ込むだけだから、体調が良ければ最低限これはやるようにツルギに言われた。

 そんなツルギは回線と配電の管理の他に街中の機械の調整や修理、物資調達、イラハ周囲の警備など、2本ずつの手足で足りるのか不安になる程の仕事を抱えていた。だからウェルみたいに昼間から寝ている時間なんて皆無だ。

 ロイムはツルギに比べると仕事量は少ないみたい。医者としての仕事は物資調達から帰ってきた人の手当てと、風邪をひいた人を診るくらいだ。シェイリが部屋の隅から、薬の調達が難しいから大したことができないんだと教えてくれた。だから、回線と配電の管理と機械整備もするのだという。それから、彼は少し体が弱いようで、咳き込んだり少しのことで息切れを起こしていた。心配して声をかけると「歳だから仕方ない」と言う。「わたしがベッドを奪ってしまったせい?」と恐る恐る聞くと「思ったより診察台の寝心地が良くて調子が良くなったくらいだ」って笑って答えたのだった。

 あとは、着替えを用意してくれたり、食事を持ってきてくれたりする女性型のロボット、ミーヴィは喋られない。発声装置が壊れてしまっているとロイムが言っていた。だから彼女からの言葉は彼女の手の甲から小さなホログラムとして浮かび上がるのだ。


 ミーヴィの指先がトキコの額に数秒触れて『ピッ』と短く鳴った。ロイムは手元のタブレットを見ながらうんうんと一人で満足そうに頷いた。アイはその様子を診察台に座ってジッと微動だにせず見ていた。

 イラハの診察室は、地下都市の医務室に比べると随分と暗い上に狭く、むせ返るような埃っぽさがある。ヨーゼフは医務室は地下都市でも綺麗さは5本の指に入る部屋だという。バイ菌が入ったらダメだからって、風邪をひいて寝込んでいたサヤの顔も見させてくれなかったことを思い出す。


 「熱はすっかり下がったな。少し頻脈だが、バイタルサインの異常はなさそうだ。傷口の経過も良好だ。食欲もあるし、夜も寝られている。申し分ない」


 ロイムが淡々と満足そうに言葉を並べるため、トキコはそれを一言にまとめた。


 「うん、元気だよ……」


 トキコは椅子に座っているものの、対面しているロイムに少し緊張していた。氷の支柱を背中にピタリと入れられたみたいに、背筋がしゃんと伸び、そのくせ足はふらふらと落ち着かない。それでもロイムの顔を少し上目で見ることはできる。怒ってないのにしかめっ面で無精髭。好感の持てる表情ではないけども、華奢でニコニコの仮面をボンドでくっつけたようなヨーゼフよりはずっと優しいと思った。


 「それでもまだ体力は戻ってないだろ。街のことを手伝いながら元に戻すといい」


 「つまり研究解禁!?」


 パッと明るい声に後ろを振り返る。開け放たれたドアの向こうでシェイリとツルギが顔を覗かせていた。目も合わないうちにシェイリはトキコに飛びつく勢いで近づく。アイがそれに反応してパッと飛び上がり、重たく床が振動した。


 「どこから湧いてきた?」


 「だって、心配だもん」


 「研究が続けられるか、が?」


 シェイリは短く笑い、トキコの右腕に自分の両手を甘えるように絡めて、指先で撫でる。ゾッとして首筋に鳥肌が立って、凍ったみたいに手が動かなくなった。


 「この手。きっとこの手に秘密がある。回復が異常に早いのだって」


 「やめろ。手つきが犯罪者だ」


 ミーヴィがロイムの代わりにシェイリの頭をノックするみたいにコツンと叩いた。アイは赤いレンズで真っ直ぐにシェイリを見据えて、彼女の服を強めに引っ張った。シェイリはわざとらしく舌打ちして、トキコから数歩離れる。トキコは左手で右手を摩る。熱を持った腕がなんだか冷たく感じた。

 ドア付近の壁にもたれていたツルギはふっとシェイリを鼻で笑った。


 「ならさ、トキ。デートしないか?」


 ツルギはパッと明るく言う。トキコはあまり聞き慣れない言葉に椅子を回してツルギを見る。アイがトキコの横からトコトコとツルギの方へ小走りに向かっていく。


 「デート?」


 「そ。オレと2人でさ──ぎゃっ!!」


 話し終える前にアイは勢いよく、ツルギの砂塗れのブーツを踏みつけた。ツルギは踏まれた左足を上げて、悶えながら涙目になる。トキコはまるで自分が踏まれたような気がしてしまう。肩を竦めて「大丈夫?」って恐る恐る聞いてみたが、ツルギは泣きそうな顔するばかりで返事はなかった。

 一方周りは、その様子にシェイリは仕返しと言わんばかりにゲラゲラ笑い、ロイムも笑いの篭ったため息を吐いた。


 「ソレハ、許サナイ」


 「お前はトキの何なんだよ……」


 「アイちゃん、そんなことしちゃダメだって!! デートってそんな悪いことなの?」


 座ったまま、言いながら思い出す。デートって男女2人が出かけることだ。それは、別に悪いことでも変なことでもないよな。男女2人で出掛けたことはないけども、ツルギともウェルともロイムともお話はするのだ。


 「嫉妬でもしてるの? アイ」


 シェイリがお腹を押さえながら、上擦った声で言った。アイはツインテールを揺らして首を振る。


 「アイ、嫉妬シナイ。トキコ、守ル」


 「なら、お前も来たら良いだろ。別にただイラハの案内するだけだし……」


 ツルギは痛そうに左足首をパタパタと屈伸させている。大事には至ってないようで、トキコはほっとする。


 「アイからの信用ないんだな、ツルギ」


 「トキに何かするって思われてるね」


 「それはお前だろ、シェイリ」


 「思われてるって言うか、シェイリには前科がある」


 「本当、人聞きが悪い。そういう契約だって言ってんのに。こっちは詐欺にでもあった気分」


 シェイリは腰に手を当てて、不服そうに鼻を鳴らした。トキコはどう返事をして良いか分からなくて、へらりと表情を崩していることしかできなかった。

 その最中にアイはトタトタとトキコのそばに戻り腰に抱きついて、シェイリをジッと見る──というよりは睨み付けているように見えた。


 「オマエ、嫌イ」


 「ロボットに好き嫌いがあるのは興味深いね。ツルギ、解析は進んでる?」


 意地悪くシェイリは顔を歪めた。それにツルギは不快なものでも見るみたいに、顔を背けた。答えるのを拒否してるみたいに。そうして、徐ろにトキコの横まで来て、腕を取り軽く引っ張る。


 「行こうぜ、トキ、アイも。昼は兄ちゃんのとこで食うから」


 立ち上がって、ツルギに引っ張られるまま、アイと一緒に出て行く。もう、ロイムは興味なさげにミーヴィに何か話している。シェイリは体を伸ばして、欠伸をしていた。

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