第35話

 ツルギは少し不機嫌だった。子供みたいに唇をつんと尖らせて、訝しげに眉を寄せていた。手首を掴まれたまま、トキコもアイもおとなしくついていった。廊下を抜けて、外に出てシャワーの小屋の前を通り過ぎたところでようやくツルギは手を離して、トキコの方へ振り返る。


 「シェイリ。あいつは変わり者なんだ。こんな場所ですら、異端者扱いだ」


 不機嫌そうな顔のまま、目も顔も伏せた。ガラス越しの陽の光に照らされて、ツルギの焼けた顔に黒く影が落ちた。


 「それは否めないし、許せないこともやる。だけど、あいつはここに生きる人には必要な人材だ」


 「……シェイリは、悪い人なの?」


 トキコはそう口にしてから、ドキドキと緊張が走った。ツルギはパッと顔を上げて、目を丸くする。

 もし。もしも、シェイリが悪い人だったらどうしよう……そう思うと、真っ直ぐ前を見ていられなくて、トキコはツルギから目を逸らし、硬い土の地面のひび割れを見つめた。一呼吸間があった後、ツルギは「どうかな」と鼻で笑った。顔を上げると、眉を潜めたまんま、口元を緩めている。


 「世界も人間も、一緒くたに良い悪いで測れるほど単純にできてないんだ」


 ツルギは少し屈んで、トキコの横に立つアイの頭をスルスルと撫でた。短い爪と黒っぽく汚れた指先には絆創膏がいくつも巻かれていて、アイのテラテラとした頭とは対照的に際立って見えた。


 「ああ、でも……想いや願いは単純だよな。シェイリは『知りたい』だし、アイは『守りたい』というよりは……『トキコ』だな」


 そう言ってツルギは手を離す。少し俯いて撫でられていたアイは彼を見上げて「ワカッテル」と一言。どうやら、アイはツルギを嫌っているわけではなさそうだ。


 「ツルギは?」


 「オレは『楽しく生きたい』かな」


 ツルギはニヤッと笑って、「行こう」と歩き出す。トキコはアイの手を取って歩調を無理やり合わせた。

 トキコはツルギの後ろ姿を見つつ、良かったと胸を撫で下ろした。だって、「トキコはどう?」なんて聞かれたらなんで答えて良いのかわからないのだから。


 わたしは、わたしの願いと想いはどうなのだろうか。わたしの根底にはいつもツバメがいる。ツバメの笑った顔と泣きそうな顔と冷徹な横顔、目を閉じるだけで簡単に現れる。女の子みたいな含み笑い声も得意げな声も全部がわたしの中にある。だけど、ツバメの自由に生きたいって願いは今どこにあるのだろう。わたしの中なのか、それともあの白く暗い地下の底なのだろうか。その願いを叶えるのはツバメとトキコ、どちらなのだろう。

 一つ確かなのは、わたしだけが陽の光を浴びているということだけだ。


 ツルギはイラハの中を矢継ぎに紹介してくれた。

 イラハは廃墟都市の一画を利用して造られたのだという。この背の高い建物をビルと呼び、そのビルと壁をパッチワークみたいにくっつけて浄化装置で囲い、外の毒から守っている。それから天井は、ビルや壁の天辺を鉄骨で繋ぎ、骨組みを造り、強化ガラスで蓋をしている。だからイラハで空を仰ぐと青色は黒い蜘蛛の巣状にひび割れたように見えるのだ。ツルギはそんな人々を守るイラハの壁を整備もしているという。

 建物同士の合間の暗い路地を縫うように歩きながら、そんな説明をしてもらった。それぞれの建物は居住地らしい。大半の人は一階から二階に住んでいる。その他には食材や物資の倉庫に、草木──いわゆる野菜の栽培場やシェイリがしていたネットワークや配電管理の施設は予備としていくつもあるらしい。

 ツルギが話終えたと同時に、すぐ側の建物の窓から若い男性が顔を覗かせた。トキコは驚いて、アイの手を掴んだままツルギの後ろに退がる。すると、彼はニヤリと笑って「新入りか?」と聞いた。


 「トキと、こっちはアイ。3日前に外を彷徨いてたからこっちに誘った」


 彼は面白い物でも見るような目でトキコ……ではなくアイの方を見ていた。ツルギが彼の名前を教えてくれたが、トキコは凍りついたみたいに返事もできなかった。彼は十分にアイを眺めた後、トキコの方をちらりと見る。


 「で、そいつ。何ができる?」


 「すっげえ豪腕を持ってる。廃材の破壊とか、そういう仕事をしてもらおうかと思うけど」


 彼はトキコには髪の毛一本ほどの興味もないみたいで、「役に立てば良いけど」と鼻で返事をした。ツルギは適当に別れを言って、トキコの腕を引っ張った。彼も窓の暗闇に引っ込んでいく。

 早足にツルギは数メートル進み、立ち止まる。キョロキョロと辺りを気にして、トキコの腕を掴んだまま引き寄せた。アイが僅かに抵抗するみたいにトキコの手を強く握った。


 「一つ言っとくけど、あまり周辺部でマスクせずうろうろすんなよ」


 声を低く落としてツルギは言った。トキコはツルギから一歩離れて首を傾げ、彼の顔を見上げた。


 「ここの空調設備は所謂基準値ってのをクリアしてないからな。毒だって普通に入り込む」


 トキコのまるでわかってないと言った様子にツルギは少し得意げな笑みを浮かべて続けた。なんだかトキコの知らないことを話す時のツバメと似ている。


 「例えば、大釜の中心部は毒素がほぼゼロだ。んで、大釜の周辺部は浄化して……確か濃度が10%未満。10%未満なら人体に大きな影響はないんだ。血が止まりにくいとか、そのくらい。でもイラハだと濃度が大体25%……周辺部だと30%だな。そうなると内臓への負担が大きいんだ」


 「周辺部、誰モ寄リ付カナイ。怪シマレル」


 アイがトキコの手を離し、ツルギとの間に割り込み、オチを言ってしまう。それにツルギはちょっとムッとして、頬をピクリと動かした。


 「噂じゃ、毒に強い奴もいて。それこそトキみたいにマスクなしで何日か過ごせる奴もいるらしい。ま、そんなことして寿命縮めるくらいならマスクするだろうけど」


 「もしかしたら、そういう人たちは本当に外にいるのかもしれないね」


 「そうだな。羨ましい」


 話はそれとなく終わり、また、狭い路地裏を進んだ。ものの数分歩いて、建物に囲まれた中でも開けた場所に出る。「集会場」とツルギは教えてくれた。そこは、むせ返るような熱と様々な匂いが混ざり、一歩踏み入れただけで目眩を起こすような感覚に陥り、喧騒に足が竦んだ。トキコは咄嗟にツルギの腕を掴んで近寄り、彼の肩越しに辺りを見渡した。

 歪な円形の砂地の広場だ。地下都市の運動場よりも広そうだが、建物や見慣れない物で溢れていて、路地裏や家の中とは違う、どことなく息を詰まらせるような閉塞感があった。

 広場中央はポッカリと穴を開けたようにスペースがあり、岩なのかコンクリートなのか、ゴツゴツとした物が地面から生えているように見えた。そこには、天井に張り巡らされた鉄骨の影が不規則に落ち込んでいた。その空間を取り囲む建物に複数の人がいて、それぞれが何か、作業をしている。機械類を触っている人が多く、無知なトキコは彼らが何をしているかなんて、全くわからない。地下都市の真っ白な職員たちと同じだ。「大事なことをしてる」って笑顔を向けるのに、何も教えてくれない。

 だけど、ここの人たちは、みんながみんな個性的な服を着ていて、表情が自然と目まぐるしく変わる。そして、汚らしく瞳ばかりがギラついていた。それから、どうしてだか、若い人ばかりだった。


 「良いもの、食わせてやる」とツバメはトキコを笑い飛ばして、手招きして歩き出す。囲う建物の一画にツバメは真っ直ぐと吸い込まれていく。

 巨大な金属の筒からもうもうと煙が立つ。それを操作しているのはツルギと似た顔の青年だった。頬に汗が伝ったのは、ここが少し熱気を帯びているからだけではないだろう。妙な予感が胃袋をひっくり返すように突き上がって、舌をビリビリと這っていく。

 動けなかったトキコは、アイに引っ張られて、無理やり足を動かした。知らない人と機械に紛れて、手を振ってるツルギが遠く感じた。

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