第36話

 四角いコンクリートが剥き出しの建物はアイがレーザーカッターを使ってくり抜いたようにぽっかりと巨大な穴が空いている。ツルギはその中で誰が誰だかわからなくなるくらいに溶け込んでいた。

 咽せるような香りが鼻から胃袋に抜けていく。食べ物の匂いだとトキコはそう思った。明かりの灯らないその場所は日差しが差し込んで、白と黒がぱっきりと別れ、絵に描かれたみたいに照らしている。照らされているのは長く大きなテーブルで、3分の2──10人くらいの人が座って飲み食いしている。何を食べているのかはいまいちわからない。

 トキコがアイに引っ張られるがまま、建物内におぼつかない足取りで入り込む。一瞬で複数人の視線が集まったがそれはアイに向けてだった。


 「見てよ、可愛い。ロボット」


 若い女がアイを指して笑うと、座っていた人たちが一斉に沸いた。


 「ロイムのとこに来たやつだろ。こっち来いよ」


 「子供モデルなんて珍しいよな!! ちょっと触らせてくれよ」


 アイは少し後退りして、小さな子供みたいにトキコの腰にしがみつくが、最初に声をかけた女が立ち上がって、アイを引っ張っていく。意外にも大人しく、アイはされるがままにテーブルの方へ連れ込まれていく。


 「あんたのロボットだよね? 壊しゃしないからちょっと見せてもらうよ」


 「ハヤ!! そこの人にも何か食わせてやれよ」


 「ツルギの連れだろ。ツルギとハヤが相手するって」


 トキコは異様な活気に圧倒されて、呆然と立ちすくんでいた。

 誰にも見られていないことと、アイが大人しかったことに、トキコは少しホッとして、上着の右袖を軽く引っ張って袖口を右手で握り締めた。


 「トキ、何してんだ。こっち」


 ツルギは巨大で乱雑なキッチンのスペースにいた。そこはどこよりも香ばしい香りが漂い、初めて嗅ぐのに、トキコの舌を刺激する。彼は何をするでもなく、ただ面白いものでも見るかのような笑顔で手招きしていた。トキコはチラチラとテーブルの方に目をやりながら、ツルギの方へおずおずと近づいていった。


 「アイちゃんは……」


 アイは長椅子に座らされ、3人の男女からベタベタともみくちゃにされている。完全にただの機械の塊にしか見えない。

 不快とか嫌がってるとか、そういうマイナスの思考もアイは見た目じゃわからない。だから、いつ何をするのかだってわからないのだ。トキコの不安はドキドキと心臓を叩いて、額に汗が伝った。


 「大人気だな。この前、話したらすげえ興味持ってよ。あのめちゃくちゃ触ってるゲンとチャミルとリドーは特に、だ」


 「大丈夫かな……アイちゃん、大人しくしてるけど……」


 トキコの不安なんてよそに、ツルギはあっけらかんとして笑い飛ばす。


 「ああ、アイには常日頃言ってる。ここの中でカッターとか、攻撃的なものは使用禁止。トキに危険が及んだ場合のみぶん殴るのは良いぞって」


 ツルギは痛そうに苦笑いし、左足を軽く地面から上げる。ボロボロのタイル張りの床を砂が引っ掻いてガザガザと音を立てていた。


 「さっきもオレの足を踏みつけただけに留めたのも、律儀にそこは守ってんだよな」


 「そうだったんだ……」


 安心していいのかどうかわからないけど、今はアイを信じるしかない。トキコはまだアイから目が離せなかった。


 「それから、お前ら2人のことは、一応別の都市でイザコザに巻き込まれて追われて出てきたって話になってるから。あまり深い話をしないように言ってあるから、なんか聞かれても言いたくないって通せばいいから」


 会話が一瞬途切れたタイミングで「ツルギ」と呼ぶ声が喧騒の中から浮き立った。ツルギの声を穏やかに柔らかくしたような声だった。

 声の主の方を見るとツルギと似た顔の青年が、湯気を纏ってこちらを見ていた。鍋から──筒状の機械だと思っていた──みょんと伸びる棒に片手を添えて、トキコと目が合うとゆったりと微笑む。トキコは反射的にツルギの後ろに隠れるように一歩退がる。


 「いつまでも2人で喋ってないで、俺にも彼女を紹介してくれないか?」


 「ああ、ごめん。いつも言ってるトキだ」


 ツルギもトキコから真横にずれて、横に並ぼうとした。トキコは慌てて、ツルギの右上腕の裾を片手で掴み、それを阻止した。


 「なんだか、ここではあまり見ないタイプの子だね。砂鼠みたいだ」


 トキコはすこし俯きながら、上目で覗き見るように彼を視界に収める。身長がすらりと高く少し痩せている大人の男性。トキコ自身が鼠なら彼は単純に考えると猫だ。鼠は猫に見つかって、観念してじっとしている。猫はツルギを優しくしたような顔だ。そして棒から手を離して、ゆっくりと近づく。


 「オレの兄ちゃん──」


 「ハヤって言うんだ。よろしくね、トキ」


 柔らかく釣り上げたような笑顔に、どきりと心臓が胸壁を突き破るような感覚を覚えた。この異様に柔らかく優しい、何も知らない子供を見るような雰囲気には嫌な既視感があった。


 「こいつ、人見知りってか、大人の男が苦手だよな」


 ゾッとして言葉は凍りついたみたいだった。その様子にツルギはトキコの肩を抱くようにポンと叩いてそう言った。


 「ご、ごめんなさい……」


 「兄ちゃんオレにはおっかないけど、女てか他人には優しいから」


 「そうでもないぞ」


 ハヤは冗談ぽく笑った。その顔はほんの少しだけそれはツルギのそれと似ていた。


 「そこ、空いてるから座りなよ。すぐ用意するから」


 ハヤはキッチンのすぐそばの小さなテーブルを指した。2人、頑張れば3人……座るだけなら4人までいけそうな席だった。

 ツルギに連れられて、向かい合って座った。

 「腹減っただろ」ってツルギが笑いかけるが、今の一連の流れで胃袋はキュッとしぼんだ風船みたいに縮んでしまったみたいだ。


 「ここは、なに?」


 「見ての通り食堂だ。基本的に栄養ブロックが主食だけどな。ほらたまには普通の飯を食いたいだろ?」


 トキコはぽかんとしてツルギの話を聞いていた。

 食堂といえばご飯を食べるとこだ。真っ白な壁と床の部屋に配膳車がやってくる。そこにはトレーが積まれてて、その中に合成肉と栄養ブロックとサプリとスープがきちんと綺麗に並んで乗っかってる。塵も汚れも許さないような空間だった。そんな風景とは似ても似つかないくらい、砂に塗れたここは荒っぽく不衛生だ。

 だけど、ここでもそんな普通の──合成肉やらブロックやらの──食事が取れるのだろうか。いや、でもシェイリは家──というよりは拠点で合成肉もスープも用意してくれていた。つまりどういうことだ? 食事の基準がいまいちわからない。

 トキコは生唾を飲み込んで、いつも通りご機嫌なツルギの顔を窺う。


 「普通……普通のご飯って──」


 トキコの声は後ろでアイを囲んで騒いでいた人たちの歓声に掻き消された。ツルギの目はトキコの後ろを捉えて爛々に輝き、頬を紅潮させる。

 トキコが振り返ると、ウェルと2人の男がいた。3人ともが歓声を浴びて、いつか映画で見た英雄の凱旋みたいだ。それぞれが箱のようなものを抱えていて、きっとそれに価値があるのだろう。

 男2人はアイのいるテーブルの方で箱を開けている。なんだろう、片手で掲げられた灰色の塊。よく見えない。


 「なに捕まえてきたんだよ!? ウェル!!」


 ツルギが、叫んでウェルはニヤリとわらいながら、こちらに歩み寄りテーブルにどしりと箱を置いた。箱からは湿り気のある土と鼻を刺す匂いが漂う。


 「ああ、サキョウがヤグラ兎を捕まえてきたんだ。俺は運ぶの手伝わされただけだ」


 トキコはそっと立ち上がり、箱の中を覗き込んだ。そこには土に汚れた毛むくじゃらの生き物が数匹ぐったりと積み重なって横たわっていた。つぶらな瞳のそれは地下都市の女の子キュティが抱えていた可愛らしいぬいぐるみに似ていたのだった。

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