第32話

 翌朝、「いつまで寝てるんだ」とシェイリに起こされて、シャワーを浴びるように言われた。

 外は薄暗く、夜と朝の中間なんだとトキコは思った。そんな中とろとろと起き上がると頭の中がクラクラして目が回り、身体中の痛みに思わず顔が歪む。シェイリはトキコの様子を見て察したのか、「痛いのは我慢して」と鬼のようなことを言い放った。

 コップ一杯の水をもらって飲み干した後、そのまますぐに鉄錆とカビの臭いがする廃墟みたいな小屋に案内された。シャワー室らしい。電気がついても尚も薄暗い小屋に躊躇していると「無理やり洗う」とシェイリに脅されたため、慌てて飛び込んでドアを閉めた。

 シャワーを終えて、シェイリが用意してくれたシャツと腰巻きのスカートに着替えて部屋に戻ると、長椅子にシェイリは座っていた。タブレットを3台同時に触っていたが、トキコに気がつくと、ひとつだけタブレットを持ったまま立ち上がる。


 「うん、サイズもぴったりね。背丈が似てて良かったよ」


 変なことを言っている、とトキコは思った。シェイリの方がずっと身長は高い。昨日会ったツルギもウェルもロイムもみんな男の人で、トキコとは背丈もずいぶんと違う。もう一人いるとすればミーヴィだけど、彼女は誰よりも身長が高いし、そもそも服も着ていない。

 誰か他に知らない人がいるのだろう。聞こうと思ったが、シェイリの口の方が早かった。


 「お腹すいたでしょ。座ってて。あ、やっぱりついてきて。家の中も案内するから」


 シェイリはトキコの手を軽く引いてドアから、廊下へと出る。足元はまだおぼつかなくて、シェイリの手を離せなかった。廊下は全く日が差し込まなくて、薄暗く、橙のランプが薄汚いタイル張りの床をぼうっと照らしている。


 「ちなみにここはリビングで、ロイムの部屋とも言える。本当ならロイムがいつも寝てるんだけど、トキのために退いてくれたの」


 「え……っと、じゃあロイムは?」


 「こっち。ここ、診察室なんだけど、あの奥のカーテンの中が診察台だから、そこで寝てる」


 シェイリは手招きして、リビングの向かって斜め右のカーテンで仕切られた部屋を指した。そっとカーテンをめくると、リビングの半分くらいの狭い部屋がそこにあった。2つの椅子と簡素な机と、継ぎ接ぎのコンピューターが置いてある。机の上は聴診器やライトなんかが乱雑に置いてあった。机の反対側の壁にはカーテンが吊るされていて、耳を澄ますと深く低い寝息が聞こえてきた。

 トキコは場所を奪ってしまったと申し訳なく思った。ロイムに会ったら、謝らなきゃいけない。


 「たまに呼吸止まってんだよね、ロイム」


 シェイリはトキコの気も知らないでくすくす笑って、ロイムを起こさないようにと、静かにカーテンを閉める。それから、隣の部屋へと移動する。

 そこは暗く涼しい部屋だった。積み上げられた機械の画面から青い光が煌々しており、ミーヴィを冷たく照らしていた。

 

 「こっちがあたしの仕事場。回線と配電のいわゆる管理をしてる。空調設備も管理してるから、すごく責任重大なの」


 2人に気がついたか、ミーヴィの顔がこちらに向く。つるりとした顔はアイ以上に人間味が無いように見える。

 ミーヴィの側では、アイがちょこんと小さな椅子に座って、レンズ周囲を緑に光らせている。


 「アイちゃん……?」


 「更新中。こう見るとロボットの親子みたいね」


 シェイリが手を振るとミーヴィも無表情で振り返した。トキコは不気味さに言葉も出なくて、ドアが閉まっていくのを見ていた。


 「管理の仕事はあたしがメインだけど、ミーヴィとツルギ、それからロイムも他の仕事の合間に見てくれてるの。ウェルにも覚えて欲しいんだよね。大事な仕事だからこそ、代わりは必要だしさ」


 流れるように喋りながら、シェイリは向かいの──リビング横の部屋のドアを開けた。


 「こっちがキッチンね。座って」


 先ほどの診察室くらいの広さの部屋だった。簡素なキッチンと4人掛けのテーブルが置いてある。

 トキコは言われるがままにぐらつく椅子に座った。


 「朝から慣れないもの食べるのもあれでしょ」


 シェイリが出したボウルの中には茶色くドロドロの文字通り謎の物体が入っていた。少し甘い香りがした。


 「……なにこれ?」


 「いわゆる栄養ブロックだったもの。お湯でふやかしたの。消化に良いものの方が良いと思って」


 香り以上に味は舌や喉にへばりついて溶かすような甘さだった。何度も咽せて、水を飲むトキコの姿を見て、シェイリは意地悪に「まずいよね」って笑う。

 聞けば、ここで一番簡単に食べられるのは栄養ブロックという携帯食料に似た物だった。

 シェイリはトキコがシャワーを浴びてる間に固形のブロックを食べたようで、トキコが食事に苦戦してる間は対面に座ってずっと話をしていた。

 

 ここは、イラハと呼ばれる小規模都市。廃都市の中にあり、建物も何十年も前の物ばかりらしい。ここに──というよりも、小規模都市と呼ばれる集落に住む人々は大釜から出てきた人ばかりらしい。それぞれ事情があるというが、シェイリは「好奇心が倫理で縛られるのはアホらしいから」という理由だと話した。そう言ってシェイリが目を細めた時、ゾッと背中に悪寒が走った。


 ボウルの中がようやく半分を減った頃、ドアがゆっくり開いた。小さな背丈とツインテールでアイが来たことはすぐに分かった。


 「トキコ」


 「あ、アイちゃん。もう、更新はいいの?」


 アイは真っ直ぐにトキコの隣までやってきて椅子によじ登るように座った。昨日と同じピンクのセーターを着て、クマさんのポシェットを肩にかけている。これもシェイリが用意したのだろうか。


 「切ッタ」


 「途中で切ったら壊れるよ?」


 「更新ヨリ、トキコガ大事」


 「君、更新するほど酷くなってるよ。ロボットとしては相当なポンコツだよ」


 シェイリは呆れた表情をアイに向けて、溜め息が大きく漏れた。


 「重要ナコト、全部アイガ決メル」


 「ロボットに有るまじき執着心……」


 アイはこんなに我の強いロボットだったろうか。

 トキコはアイの明らかに傷が増えた頭を撫でる。触れてから気がついたが、何だか見た目も艶々になっている。


 「確かに雰囲気違うかも。それに見た目も……」


 「まあ、色弄ってるから、性格出てきたんだよ。この子、性格プログラムが複雑だから結構大変だったんだよ。まだ3割くらいしか回線開けなかったけど。これ以上人間味出てくると正直面倒ね」


 シェイリは首を傾げてアイを見下ろす。

 トキコはシェイリが言ったことの意味を理解するのに一呼吸時間がかかった。

 ずっと、シェイリに感じていた暗い地下の底みたいな不気味な冷たさが剥き出しになって見えた気がした。


 「何その顔。君もロイムみたいにロボットは友達タイプ? それならあたしと話は合わないかもね」


 シェイリは真面目な顔して、淡々と話す。最後に鼻で笑って頬杖をついた。視線はアイの方に向いていた。


 「人に都合よく造られたロボットに人間性を求めるなんてさ。馬鹿げてる」


 都合よく造られたとしても、アイはわたしを許してくれて、ひとりぼっちにしなかった。大切な存在になるにはそれだけで十分だよ。

 トキコはシェイリに何でもいいから否定の言葉をぶつけたかった。反撃しようとした感情は喉元で丸く固まって、口から出てこなかった。もどかしさに唇を結んだまま、アイのピカピカな頭を撫でた。


 「ああ、アイ。ツルギが暇さえあれば磨いてたから綺麗になったでしょ。服はミーヴィが着せてたよ」


 「そうなんだ。可愛くなったね。嬉しいよ」


 トキコはアイの硬く冷たい頬に触れてポツリと言う。たくさん傷がある。トキコと会う前からの古い傷と、会ってからの新しい傷、どっちがどっちかわからない。それでも頭部の凹みはトキコの右手の親指がぴったりとハマる。この凹みは直せないのかな。

 アイはジッとトキコをレンズに捉えて、微動だにしなかった。


 「……さて、今日はいろいろ調べさせてもらうから、ね? 覚悟して」


 少しだけ、息を飲むような間があった。横目で見たシェイリは絵本で見た悪魔みたいに歪な笑顔を浮かべていた。

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