第31話
「トキコ!! 起キタ!!」
アイはそう言って、下敷きにしているウェルには目もくれずトキコに向かって、飛びつく。鉄塊で殴られたみたいに全身へ衝撃が走り、骨が軋んだ。
息が詰まって、そのままベッドに倒れてしまう。
「アイ!? お前何してんだよ!!」
ツルギが悲鳴に似た声を上げて、アイのツインテールを掴み、トキコから引き離す。意外にも大人しくアイは離れたが、首を振ってツルギから一歩離れて、彼を見上げた。
「何スル。ツルギ」
「こっちのセリフだ!! お前自分の身の程弁えろよ!! トキの骨が折れたらどうすんだよ」
アイはツルギをジッと見つめたまま、とろとろと起き上がったトキコの胴に絡みつく。苦しい。
「まるで、子供だな。じゃあ、俺は仕事に戻るから。行くぞ、ミーヴィ」
いつの間にか、トキコのそばを離れて部屋の隅の扉の近くに移動したロイムがボソボソと呟き、背を向けた。
「ちょっと!! アイを呼んだのミーヴィでしょ!?」
逃げるように去っていくロイムにシェイリが軽く怒って叫んだ。それも無視するようにミーヴィがドアを閉めて、シェイリは「余計なことばっかりする」と溜息を吐いて首を振った。
トキコはアイの頭をぺちぺちと撫でながら、シェイリを見上げたが視線は合わず、代わりに別の声がお腹に響いた。
「おい、このポンコツ」
アイに踏みつけられたであろう、ウェルがシェイリを押し除けるように近づいてきて、アイを見下ろした。明らかに怒っている彼の目つきは、別に見られてもいないトキコの背筋を凍らせるほどに鋭かった。思わず、アイをギュッと抱きしめて俯き、目を逸らす。
「アイ、ポンコツ……違ウ」
ウェルは言い返すアイのツインテールを掴み、引っ張るが当然アイはびくともしない。それでも、掴んだままウェルは続ける。
「ロボットのくせに口答えすんなや。てめえが来てからまともに寝られやしねえ」
「アイ、ケアロボット。ウェル、昼寝多イ。ダカラ、生活リズム整エタ」
「迷惑なんだよ、ポンコツが」
「……邪魔シナイデ」
「てめえが、オレの睡眠邪魔したんだろうが」
目の前で繰り広げられる言い合いに、トキコは布団を頭から被ってしまいたくなる。
見かねたツルギがウェルを宥めようとして、後ろから肩を掴むが、ウェルはそんなの見向きもせずにツルギの顔面に裏拳を決めて振り払う。ツルギは少し呻いて離れる。呆れたような不満げな顔して左の頬骨の辺りを摩っていた。
シェイリはそんな様子に一瞬笑ったように顔を歪めた。そして、わざとらしく、子供が下手くそな演技をする時みたいな溜め息を溢す。
「はーあ、喧しい……ウェルを黙らせないとトキがゆっくり休めないじゃない」
固まったまま、それに反応したのはアイだった。トキコから手を離して、ベッドから降りる。締め付けから解放されてようやく息ができるような気がした。
「オ片付ケ……トキコ、直グ戻ル」
アイはポツリと呟いて、頭のリボンを解いて、トキコに突き出す。トキコが慌てて受け取るのには目もくれず、アイはそのままトキコから離れて、ウェルの左腕を引っ張った。
「決着……」
「上等だ!! 表出ろや!!」
ピンクのワンピースを揺らしながら、テトテトと歩くアイの後ろを息巻いて大股でついていく様は、滑稽なのだけど、なんとも不気味過ぎて笑えなかった。
「ようやく出てった……。本当うるさいんだから」
呆れ半分だが、勝ち誇ったようにシェイリは笑う。ツルギはそんなシェイリを目を細めて見ていた。と、その時ドアからアイの顔が覗く。
「シェイリ、余計ナコトシタラ、殺ス」
そんな言葉を残して去っていったアイに血の気がひいて、慌ててシェイリに「ごめんね」と謝るがシェイリは「ガチだ」と笑って気にも留めない。
そんな笑うシェイリをよそに、ツルギはトキコのそばに寄ってきて、目線を合わせた。頬骨は薄ら赤く、眉は心配そうに下がっている。
「トキ、大丈夫? あんな鉄塊に飛びつかれたら……」
「ちょっと痛かったけど大丈夫」
トキコは肋骨を摩りながらツルギに笑いかけた。ツルギは安心したように「なら良いけど」と顔を和らげた。
「本当にケアロボットなのかな、あの子……」
独り言にしては少し大袈裟なくらい大きな声で、シェイリは呟く。
「……ケアロボット?」
「ああ」とシェイリはもう一度、ベッドに座る。トキコもベッドから足を下ろして、シェイリの横に並んで座った。剥き出しになった自分の足は傷だらけで、なんだか痩せて見える。
「あれは50年前に廃盤になったロボットなんだって。災害時……というか、当時は戦争ね。その時の救助用」
「都市伝説のCモデルが実在してたなんて笑っちまう」
ツルギも椅子の上の物を端に寄せてスペースを作り、2人の方に膝を向けて座っている。笑っちゃうなんて言った彼の表情は楽しくないのに笑っている時のツバメと少し似ていた。「今日のテストは簡単すぎて笑っちゃうよね」なんて、ツバメは表情を強張らせて歪んでいた。
「あれは非戦闘員の象徴で可愛らしい姿をしてるんだ。最も……当時から不気味で評判。あんな無機質な顔からカウンセリングの言葉が出てくるからよ、そりゃあ気味が悪いよな」
「廃盤になったのは不特定多数の人命救助を禁止にされたからだけど。人類史の闇よねえ」
渇いて単調な笑い声は明るくて、シェイリの横顔をまともに見られなかった。ツルギは真面目というよりは、少しむくれた顔して背もたれに肩を乗せている。
笑い声はピタリと止まって、シェイリは続けた。
「……それで、彼女がなんで攻撃的なのか不思議だったの。本能的……なんてロボットにいうと変な感じだけど、不特定多数の人間を助けてしまうようプログラムされてるロボットが人を攻撃するなんて……」
「人を攻撃? アイちゃんまさか……!?」
「ああ、大丈夫よ、トキ。最初少し揉めたくらいで今はすっかり仲良しなんだから」
シェイリは絵に描いたような、子供の落書きみたいな笑顔を見せて、トキコの頬を掴む。
「胡散臭……」
ツルギが咳払いして、それを合図にしたみたいにシェイリは手を離す。
「怪しいのはお互い様でしょ」
「そんなに……怪しいかな、わたし」
「ああ……怪しいというよりは、奇妙だね」
「この手も、毒にも耐えるその体も。君は調べ甲斐がありそう」
シェイリはトキコの右腕を取って、赤く剥き出しの腕に触れる。トキコの指は勝手にピクリと動く。シェイリの手はなんだか冷たい。
気分が悪くて、何か話して気を逸らせられないかと言葉を探すが、脳に鍵でもかけられたみたいに何も思いつかなくて、トキコはもごもごと口籠った。
シェイリは顔を上げてトキコを見る。眉を左右非対称に歪めて、口角を上げた。いったい、自分はどんな顔をしていたのだろうか。
「悪く思わないでね。そういう条件で助けたんだから」
「う、うん……よくわかんないけど……助けてくれたのは、その……ありがとう……」
淡々と答えたシェイリに、声を詰まらせながらトキコは返した。シェイリの大きな目と冷たい手からは逃れられない気がして、ギュッと唇を噛んだ。座ってるのに足が竦む。ロイムよりも怖くないはずなのに、恐怖とは違う嫌悪感が指先から全身へ這っていく。
「程々にしておけよ、シェイリ」
ツルギの声はピシャンとガラスを割るみたいに聞こえた。たぶん、ものの数秒だっただろうが、何分も息を止めていたように苦しくて、呼吸が少し早くなる。シェイリはパッと手を離してニヤついた。
「……ま、さすがに起きがけからなんかしたりはしないよ」
「……」
ツルギは頬杖をついて、シェイリを細めで見ている。シェイリは「よいしょ」と腰をあげて、肩を伸ばした。
「そろそろ、ウェルとアイの仲裁にでも行こうか。ね、ツルギ」
「もうおせーだろ。本当、貴重な氷があのバカのせいで失くなるっての……」
ツルギもやれやれと立ち上がってポケットに手を突っ込む。
「それが終わったらご飯にしよう。それまではまだ寝て待っててね、トキ」
振り返ったシェイリの腕を早くとでも言わんばかりにツルギが引っ張る。二人ともが手を振って部屋を出て行き、ようやく一人になった。
久しぶりの一人は、遠くから騒めきが聞こえる小汚い部屋の中だ。少しホッと胸を撫で下ろして、トキコはベッドにバタリと倒れた。
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