第25話

 片腕は木に刺さったまま、ギシギシと唸りながら胴体だけを動かしてこちらを向く。トキコは慌てて、ロボットから距離をとった。このまま逃げてアイと逸れても嫌だし、彼自体そこまで危険はなさそうに見える。だから、そのまま少し離れたこの場所でロボットを窺うことにした。


 「敵地……ニン、ゲン……」


 ロボットはそう発して、腕を捨てて引きちぎるように、木から勢いよく離れた。幹に残された腕はだらりと元気なく垂れる。ゆらゆらと歩く姿は、転んで立ち上がった後の自分とよく似ている気がした。

 もう一度、声をかけたら、疎通が取れるかもしれない。もし、彼とまともに話が出来るのなら、聞きたいことがある。

 トキコはロボットに警戒しつつも、深呼吸一つして、口を開いた。大丈夫、アイだって話ができるんだから。


 「ねえ、あなたは誰なの?」


 距離をとったまま、トキコはロボットに聞いた。ロボットは止まることなく、ガタガタと近づいてくる。


 「カカ、カイ……解答、義務……ナシ」


 「誰がこんな風にしたの? 人間はどうやって生きているの?」


 トキコは威勢よく張り上げた声とは裏腹に、じりじりと少しずつロボットが近づいた分だけ後退りをする。


 「人間……ハ、多スギ……タ」


 ロボットは突然立ち止まる。雨音に混じって、聞き慣れない高く不快な機械音が、微かに響く。赤く光るロボットのレンズが常にトキコを捕らえて、離さなかった。

 

 「目標……距離……補正……、速度……調整……重大ナ、エラー発生……」


 「ねえ──」


 「トキコ、危ナイ」


 金属が合わさるような重たい足音と、妙に抑揚のついた機械音が雨のノイズの中に鳴り響いた。小さくて艶々した金属の塊は、カニみたいなロボットを蹴り飛ばすように突進した。ロボットは面白いくらい簡単に折れ曲がってそのまま地面に倒れた。きっとその衝撃のせいで、錆びた手は捥げてバラバラになってしまった。

 アイはロボットの上に立ったまま、じっと見下ろしていたかと思うと、足でガンガンとその金属を砕いた。ロロと同じことをしている。

 トキコは人間が血を流しているのを見るのとは違う気持ち悪さを感じた。奇妙なほど冷静なのに心臓だけはがドクドクと膨れあがるように打ち、口の中が渇いて、背中が冷たくなっていく。見たくもないのに、金属が砕けていく様にどうしても目が離せない。自分の体を抱いて腕を摩りながら、じっと浅く呼吸をしていた。

 足下のロボットだったそれが、廃棄場の瓦礫や廃材と同じになった頃、アイは突然動きを止めた。


 「トキコ、モウ大丈夫」


 アイはぴょこんと子供みたいに飛び跳ねて、金属片を避け、呆然とするトキコの横を通り過ぎていく。彼女の方を振り向くと、赤い粒のような物をアイは拾い集めていた。


 「なんで……」


 くるりとトキコの方を振り返るアイの両掌には気持ちの悪いほどにみずみずしい赤い塊が小さな山を作って乗っかっていた。ゾワゾワと口の中に血の味が込み上げた。


 「山ノ果実イッパイ見ツケタ。コッチナラ、トキコ食ベヤスイ」


 「そうじゃないよ……なんで壊しちゃったの!?」


 声を合図に、しんと、雨音だけが世界に広がった。アイはトキコをしばらく見上げていたが「理解不能……」と、首を傾げて答えた。


 「わたし、お話ししてただけなのに──」


 「トキコ……安全ノタメ。ソノタメナラ、壊スヨ。アナタノ常識ダッテ」


 アイは赤い実を両手に乗せたまま、一つもこぼさずに、ロボットだった金属の塊の前へと六歩で行く。ロボットの死体の前で、アイはちょこんとしゃがみこんでジッと見つめる。


 「もう……わかんないよ……」


 トキコはしっとりと濡れた前髪をくしゃりと掴むように額を押さえた。アイは首を傾げたかと思うと、おもむろに立ち上がって、トキコの方を見る。


 「コノ子ハ……殺害用ノロボット。隠レタ人ヲ、引キズリ出シテ、殺スタメニイル」


 殺害ロボット。その言葉だけで、心臓を氷で刺されたみたいにゾッとした衝撃が走った。きっと生きようとしている人に迫って、ボロボロながらもあの太い木の幹に穴を開けてしまうほどの力で人間を突き刺すのだろう。人間の命くらいいとも簡単に奪えてしまうはずだ。

 だけど、わたしは本当にそんなに危ない目に遭っていたのだろうか。そもそも、そんな風に人を危ない目に遭わせるロボットがいることが信じられなかった。殺すためのロボットがいる……それはつまり、誰かがそうやって命令したんだ。「殺せ」って。


 「なんで……殺すためのロボットなんか」


 「人間ハ、争ウカラ。ミンナ生キタイケド、ミンナハ無理ダカラ」


 アイは淡々と答える。それが当たり前だから仕方ないとでも言うように、それが正解みたいに。


 「無理でも殺すなんて……誰かを傷つけたい人なんて、そんな人なんてどこにもいないよ──」


 「イルヨ、イッパイ」


 トキコの言葉に被せて、断ち切った。

 その瞬間、トキコを支えていた思考の糸も切れたみたいで、ふらりとよろめく。だから、頼りない足に力を込めて無理やり体を支えた。トキコの思考に落とされた黒い染みは、真ん中から全てを侵していくみたいに汚く広がっていく。

 もう、わからない。考えたくない。わかりたくもない。


 「……こんなとこで、こんな話してたって拉致が開かないよね……」


 自分の顔が歪んでいるのがわかった。二日前、見る物全て、草一本にさえ期待した時の笑顔を真似ているつもりなのだけど、接着剤を渇かして固められたような顔を無理やり動かすものだから、バリバリと酷く剥がれて醜くなっていく。


 「ウン。今、トキコガ何ヲ言ッタッテ、何モ変ワラナイ」


 「本当、ストレートに言うね……」


 トキコは肩を落として、俯き、濡れたままの額を手で覆う。頭が痛い。そこにアイがゆっくりと近づき、手を差し出したのがわかった。


 「……赤イ山ノ果実。何モ傷ツケテナイヨ」


 顔を上げて、アイの両手を見た。両手に乗るたくさんの果実は、赤く楕円の形でぷっくりと膨れている。雨に濡れてキラリと輝いて見えた。魚よりは食べられそうだが、全く気が進まない。


 「果実ハ、動物サンガ食ベテ、種ヲ運ブタメニ、甘イ。ダカラ、食ベテ良インダヨ」


 アイに言われてトキコはギュッと唇を噛む。アイは、ロボットのプログラムの中からでも、わたしのために考えてくれている。それなのに、わたしは何一つ応えようとしない。

 赤い果実を摘み上げ、赤い目に見つめられながら、口に運ぶ。前歯でプツリと噛むと、甘い香りが弾けた。


 「トキコ、オイシイ?」


 少し後を引く甘い汁を飲み、口の中から掌に硬い粒を吐き出した。


 「おいしい……携帯食料なんて非じゃないくらいだけど……これは、硬くて食べられない? 何か入ってる」


 「タネ、ソレハ毒ジャナイケド食ベラレナイカラ、捨テテイイヨ」


 「先に言ってよ。飲んじゃうところだった」


 そんな風に文句を言いつつも、相変わらず説明不足なアイに少し笑いがこみ上げて、息が漏れる。

 果実を持ったまま、アイは首を傾げた。

 その姿があまりにも健気で、心を潰されるみたいな感覚に陥る。だって、アイはずっとわたしのそばに無条件にいてくれた。わたしが生きられるように、少し過激だけども守ってくれて、食べ物も探してくれて。それなのにわたしは、完全に甘えきって、アイを傷つけて、八つ当たりして、わがまましか言っていない。そんなの、いくらなんでも酷すぎる。一人じゃ生きることさえできないくせに。

 そう思うと、背筋が凍るみたいにガタガタと体が震えてきて、アイの姿がぼやけて見えなくなる。


 「アイちゃん、ごめんなさい……わたしは、あなたに頼らないと生きられないのに……」


 このくらいの言葉じゃ足りない仕打ちをアイにはしてきた。だから、もっとちゃんと言葉にしたいのに、それ以上に涙ばかりが拭え切れないくらい溢れて止まらないのだ。


 「モウ泣カナイヨ」


 アイはトキコのそばに寄って、トキコが泣き止むまでペタリとくっついていた。雨に濡れた金属の体はひんやりと冷たかった。

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