第24話
森を歩くのは正直怖かった。道がなくて歩きづらいし、目印も無ければ方角もわからないし、奇妙な虫に、手足のない生き物も、たくさんいるし、木々にひっかけては新しく傷も増えていく。時折、昨日出会ったシカさんや、他に見たことないふさふさの四つ足の生き物とも遭遇した。
魚を食べてしまってからは、どの生き物も純粋な好奇の目で見ることができなくなってしまった。この子たちも、いつか誰かが食べてしまう。そう思うと、悲しくなった。
アイは相変わらず淡々として、時折、トキコのために木や草を切って道を作っている。アイの背の高さまでは綺麗に木の枝を切り落とされ、トキコも背がもっと低ければ、きっと頭を下げることなく、歩きやすかっただろうと思う。そんなアイにトキコは疑問に思ったことを聞いてみる。
「森にもクリーチャーもロボットもいないね。野生動物ってのは……クリーチャーとなんだか違うし……でも、野生動物も、もっと襲ってくるのもいるって聞いたことがあるけど……」
「クマサン……ココ……生息地チガウ。……イノシシサン……動物サンニハ、近寄ラナケレバ、イイ」
枝を切り落とした時、アイは腕にツタが絡まってしまう。それを振り落とそうとブンブンと振り回して、トキコの方を見ることもなく、答えた。
「そっか……」
何もイメージがつかない。クマが人を食べたりするのは聞いたことがあるが、そんなに警戒しなくてはならないほどなのだろうか。
まだ、手を振り回すアイに呆れて、トキコはそっとツタを解いて取ってやった。
「大丈夫。トキコハ、守ル。チャント、ヒトノ街ヘ連レテクノ」
「ありがとう……」
トキコはアイの凹んだ頭を撫でた。酷いことをしてしまったと胸がチクリと痛んだ。何度目の痛みなのか、もうわからない。それでも、アイを許すことはできないし、これからもできない気がしてたまらない。
こんなにもわたしを救おうとするアイに頼っているくせに、そう思うのは、わたしの性格が相当悪いからなのだろうか。
数時間、時々休憩しながらも歩き続けた頃、もうすぐで森を抜けるよと、アイは教えてくれた。ここからはずっと下り坂らしい。アイの手を借りて、強い勾配を降り続けていた時だった。トントンと冷たいものが肩や頭に落ちてきた。上を見ると、それは目元にも落ちてきて、思わず顔を背けた。冷たい顔に触れると、落ちてきたものが水であったことがわかった。
「なんで水が……」と思った時には、シャワーをかけられたように全身がびしょ濡れになるほどの水が降ってきた。
「雨ダ……」
アイの声はノイズがかったような水の音の中に響いた。トキコはどうしたらいいのかわからなくて、ただ腕で顔を覆った。それと同時に、足元がよろけて転び、勾配を一メートルほど滑り落ちた。
「トキコ、大丈夫?」
すぐにアイがそばに寄って、トキコを助け起こすも足下が悪く、今度はアイと一緒にもう一度転がり落ちる。腰をぶつけたのと、膝から太腿にかけて、擦り傷ができてしまった。その上、せっかく洗ったのに足は特に泥だらけだ。
今度は慎重に立ち上がって、ひりひりと痛む脚に集中する。アイも隣で立ち上がり、ゆっくりと歩いた。地面も緩やかになった所で、立ち止まる。アイがキョロキョロと辺りを見渡し、「コッチ」とトキコの手を引っ張った。アイの向かおうとする先き巨大な木を見つけた。見上げても視界に収まらない大木の真下にアイは真っ直ぐ走っていく。なるほど、屋根のように広がった枝と葉で、これなら凌げそうだ。
トキコは根にしゃがみ込むように腰掛けて息を整えた。
「びっくりした……。雨……だよね、これ」
「ウン……雨……トキコ、寒イ」
「大丈夫だよ、このくらい」
そうはいうものの、水に濡れた体に風が吹くとひんやりと冷たかった。トキコはインナーだけになり、脱いだ服を絞った。ビタビタと音を立てて水は土に入っていく。
「……休憩……トキコゴハン……探ス」
ゾッと、首筋が凍るのは寒さからではないだろう。待ってと止めようにもアイは薄っすらと白く濁る森の中に走って溶けていった。
不安で仕方がない。ロボットのアイは、人間の気持ちや倫理なんてきっと理解できないんだ。だから残酷なことを平気でやってのけるし、それを人間のトキコにもできるのだと思い込んでいる。アイと出会って三日目にして、信頼と不信感がどちらも強くなっていく。
湿った冷たい服を着て、髪を解いた。濡れてツヤツヤと輝く白いリボンを左腕に巻きつけて、水の滴る重たい髪をギュッと絞った。乾いたら結おう。自分でも上手にできるように、練習したい。
トキコは膝を抱えて、腕に巻かれた白いリボンを見た。ツバメに髪を結ったところ、見せられなかったな。もし、見せたら似合うって言ってくれるのかな。なんて。
カシャン、と音がした。流れるような心地のいい雨の音でも、木々のざわめきでもない。無機質で人工的なそれは機械音だ。
「アイちゃん……もうもど──」
顔を上げた先にはツインテールの少女のようなロボットはどこにもいなかった。ただ、目の前には明らかに自然のものではない、金属の塊がそこにいた。
「ロボット……?」
「ヒト……ヒトヒトヒト……ヒ、ト……」
それは、アイみたいに人間に近しい姿ではなかった。トキコが少し見上げるくらいの大きさで目立ったのは脚だった。何本……見えるだけで三本ある。さっき見た、カニだ。カニの脚にロボットが乗ってるみたい。胴のような部位には掌くらいの大きさのレンズや筒がいくつも付いていて、四つの腕が伸びている。腕の先もカニみたいに二本の指が付いている。
「あなたも、迷子なの……?」
トキコは立ち上がって、この縦長のカニロボット声をかけてみた。ロボットはギョロリとレンズを動かしてトキコを見つめた。アイも最初出会った時はジッとトキコを見つめていたのを思い出す。このロボットも相当古く、所々ひび割れたり錆びたりして、ボロボロになっているのが見てわかる。彼らの時代は高速のスキャンなんてできなかったのだろうか。
「記録……該当ナシ……任務……開始」
トキコがロボットを見つめていると、突如彼は最初のアイ以上に淡々と片言に発した。声というよりは言葉の音だった。
「え……」
呆気に取られているうちに、ロボットはギシギシと動いて、トキコの首を二本の指で挟むように捕らえて、木に押さえつけようとした。ただ、その動きは捕らえようとする割に遅くて、ロロの蹴りの十分の一ほどしかないくらいなものだから、トキコでも簡単に避けれてしまった。ロボットの二本の指は木にめり込んで、抜けなくなってしまったようで、そのまま動かなくなった。
壊れてしまったのかと、トキコは恐る恐るロボットを覗き込む。
しんとして、ロボットは木に突き刺さったまま魚たちと同じ、死んでしまったように微動だにしない。
「壊れちゃった……のかな」
ホッと安心するのに、なぜかこのロボットが可哀想に思えて、きゅうっと胸が締まる思いだった。そう思ったのは束の間、ロボットは突如、胴体を起こしてこちらへと向いた。
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