第26話
いつしか雨は上がっていた。ジメジメとした深い緑の森の中を進んでいくと、次第に建物が木々の中に現れるようになっていた。ここも昔は人が住む街だったみたいだが、自然という怪物に飲まれてしまったようだ。規則的に建ち並ぶ白い建物たちは木々に絡みつかれて、粉々に砕けてしまう寸前で時を止めていた。
服が乾いたのは空から橙の光が降りてきて、森の緑を温かく染め上げた頃だった。その頃になって、木々を裂くように伸びる一本の大きな道を見つけた。昨日歩いた道路より少し狭く感じるが、よく似ている。これもボロボロになるまで砕かれている。アイ曰く、ここから都市に行けるらしい。最初に通ろうとした場所かと聞くと「キュードー、ダカラ違ウ」と答えた。
トキコはすぐにでも行きたかったのだが、アイが「夜、ダメ」と言って聞かず、この道の先は夜を明かしてから進むことにした。アイが比較的、丈夫で安全な建物を見つけてくれて、そこで休むことにした。それは、藍色に暗くなった森の中で白くぼんやりと光って見え、他の建物よりも三回りくらい大きい。また、真四角の建物が多い中、珍しくニョキニョキと六つのツノが生えたような、不思議な形をしていた。遠くから見ると四角い冠にも見える。アイが言うには、かつて人がいた頃は集会所として使われていた建物らしい。ここも木々に浸食されてないものの例に漏れずボロボロだ。入り口から入って直ぐ、壊れて開け放たれた扉の奥は先が見えないほど広く、大量の椅子が虚しく散乱していた。
部屋をのぞいていると、危ないからと入り口付近にいるよう、アイに言われる。トキコは大人しくアイに従い、入り口を出たところの半円の屋根の下で壁に沿って座った。
少し湿っぽい夜風がトキコの形を捉えて、髪を揺らした。トキコは寒さに体を摩る。
「ここ、寒い……」
「摂氏二十度……トキコノ服……少シ寒イ」
気温も服ももともと気にしたことはなかったが、アイがそう言うならそうなのだろう。あの、職員みたいにロボットみたいな服を着たら、腕も足も寒くないのかもしれない。
アイはトキコに擦り寄って座り込む。じんわりと少し暖かい。
「保温」
「ありがとう……」
「トキコ、……タラ、アイ……探ス……」
アイの機械音がよく聞こえなかった。目を開けていられない。体の左側がものすごく温かくて、無意識的にそちらにもたれかかる。
夢に、ロロが出てきた気がした。よく覚えてないけれど、いろんな表情を見せてくれた。それでも朝の冷たさで起きた時になんだかじっとりと汗をかいていて、気分が悪かったから、良い夢ではなかったのだろう。それに加えて、腰も頭も痛いし、喉元でカサカサで頭はぼんやりとする。朝日が眩しくて鬱陶しくて堪らない。
そんな様子を見たからだろうか、アイは「トキコ、調子悪イ」なんて言い始めた。
調子はいたって普通だ……いや、少し、だいぶ疲れてきてはいる。だけど、ここで休んでる暇はない。それに今日歩くのは森じゃなくて、道だ。いくら砕けているとはいえ森の中よりもずいぶんと歩きやすいだろう。それでも、頭はクラクラしてて、まるでふかふかのお布団の上でも歩くみたいに足元がおぼつかない。体の中は熱いのに、体表だけが冷たく鳥肌が立つ。
アイがどこかでボロボロのカバンを拾ってそこに果実を集めて入れていた。トキコにも食べるように勧めてくれたが、赤色の一粒を口にした瞬間に強い吐き気に苛まれ、しゃがみ込み地面に吐き出した。
手を地面について、息を吸うのと吐くので精一杯になる。
「急ガナイト……」
アイはそう言って、トキコの手をとった。ひんやりしている。
「ほんと……に。わたしの、体調が、悪くなる前に……行かなきゃ、ね」
トキコは苦し紛れに笑ってみたが、ダメだった。ひゅうひゅうと喉元が鳴きだして、息苦しさに咳き込む。
トキコはアイに手を引かれてふらふらと歩いた。数分歩いては、しゃがみ込んで、歩くよりも長く休憩をするということを繰り返した。木々が開ける様子は一向に見当たらない。日差しもだんだんと高くなり、一番高いところでトキコの首元をじりじりと照らした。
何度目の休憩だろうか。青々しく枝を広げる木の下に座り込み、日差しを避けた。トキコはリボンを解いて、それを腕に巻き付け、アイに結んでもらった。それを見届けると、トキコは地面へとゆっくりと倒れた。湿っぽい土と草の香りが鼻腔に広がった。土に触れた体が冷たい。
「トキコ……」
アイがそっとトキコの頭に触れた。
「うん……ちょっと……もう無理……」
目の前が霞む。暗い緑の木々に空の青が透けて、鮮やかに綺麗だ。
「トキコ、果物、食ベテ。本当ニ、死ンジャウ」
甘い香りがほのかに香る。
死ぬのはまだ困る。まだツバメに会ってない。
甘い汁が口の中を伝う。無表情のアイが泣きそうな顔をして、指先で果実を潰している。
暴れ回る心臓と鳴り響く頭痛に気持ち悪くなる。アイの顔がどんどん歪んで、アイの泣き顔は涙でぐちゃぐちゃになっているように見えた。
「死なないよ……まだ、やること……ある、から……」
ぐわんぐわんと目が回る中、トキコは笑って見せたけど、なんだか顔がひきつって呂律も回らないし、うまく笑えない。
「でも、少し……休む……休んだら、きっと、また……歩ける、から」
心臓を握りしめるように服の胸元をギュッと握る。目を閉じると、冷たい土の感触が寒くてたまらないことや、風が耳を掠めてアイの機械音を運んでるのがよくわかる。意識を引き摺り込むような深い闇の中で、アイがトキコの名前を繰り返し呼んでいるみたい。
だけど、ごめんね。呼吸が言うことを聞かなくて、返事をしてあげられないの。でも、もう少し休んだら、ちゃんと進めるから。
アイも理解してくれたのだろうか、声が遠のいて静かになった。
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