第49話

 平和な診察室の椅子に座り、ロイムから借りた小さなタブレットを見ながら唇を噛む。画面にはとても楽しそうな、古い映画の中でしか見たことがない街並みが映し出されている。トキコはタブレットを散らかった机の上に置いて、くるりと体を後ろに向けた。


 「ミーヴィ、わかんないよ」


 ミーヴィはわずかに微笑んだ顔を貼り付けて、時子の後ろでじっと立っていた。トキコはタブレットの画像をミーヴィの目線の先に見せつけた。


 「地下都市って、何ここ? こんな楽しいところじゃなくてさ……もっと、住む場所って感じのとこ。どうやったら調べられるの?」


 ミーヴィは『これから居住地もできるみたいですよ』とホログラムで返答した。だから違うんだよ、とトキコは小さく唸る。

 そうしていると、後ろのドアに人影が見えた。ツルギだった。防護服を上半身だけ脱いで、半袖のインナーを着ている。今日は前髪をヘアピンで留めて流していた。いつもと違うなと、まじまじと見てしまったせいか、ツルギはバツが悪そうに目を逸らす。


 「トキ、何してんの?」


 「あのね、足が治るまでやれることやりたくて。ツルギやシェイリってわかんないことこれで調べてるでしょ? だから地下都市を調べてみようと思ったの」


 トキコは左足首を軽く動かして、ツルギに見せた。まだ歪に腫れ上がっているが、普通に歩く分には問題ない。念のためロイムにはあまり動き回らないように言われている。

 ツルギは痛そうな顔をしてトキコを見下ろしていた。


 「どうってことないのに」


 「ロイム、誤診したんじゃねえの……」


 気味が悪いとでも言わんばかりに、ツルギは薄ら笑いを浮かべて、患者用の椅子に座ってトキコと並んだ。それから、カラカラと椅子を引いてタブレットを覗き込む。


 「へえ、緊急避難所の都市計画ね……」


 「でも、わたしがいたところは探しても見つからないの」


 トキコは膝に手を乗せて、ツルギの顔を盗み見る。少し目元に隈ができている。アイは昨日はミーヴィと一緒に配電管理のコンピューターの前で座って一晩を過ごしていたらしい。別件で眠れなかったのだろうか。


 「そもそも、そんな企業なのか、研究所の内部情報が公開ネットワークに載ってるわけないんだよ」


 突然、ツルギがこちらに向いて至近距離で目が合った。トキコがパチパチと瞬きをする間に、ツルギは顔を背けて画面を見る。


 「ミーヴィはこうすればなんでも調べられるって」


 横目でミーヴィを見上げると、張り付いた微笑みが静かにトキコを見下ろしていた。部屋の隅で彼女はオブジェになってしまったように、ただ佇むだけだった。


 「一般的なことはな。しかも、お前検索にかけたのは、地下都市、耐性持ち……ドーナツ……ドーナツなんか調べてどうすんだよ」


 ツルギは隣から指で画面を弾いて操作しては、うんざりしたように片手で顔を覆う。


 「昔、カリンが食べさせてくれたことがあって。あの味を思い出したくて……」


 トキコは少し俯いて、肩を竦める。カリンが本当に時々、こっそりと持って来てくれた。片手で摘めるくらいの穴の空いた小さなドーナツ。少し甘酸っぱいソースが入っていた。カリンもなかなか手に入らないって、苦い顔していた。何度かツバメと半分こしたことだってあった。ツバメはいつも、トキコの方がほんの少し多くなるように割ってくれていたんだっけ。


 「虚しいことすんなよ」


 「ドーナツって、真ん中がないのは火が通りにくいからなんだって」


 画面には黄色い背景に穴の空いた大人気のドーナツが写っている。大釜だと、食べ物が映画の世界みたいに売っているのだろう。可愛い格好をして、お腹が空いたらお店に立ち寄って食べられる。一度でも良いから、そんなことやってみたいのだ。トキコは視覚から思考までもが甘い香りに満たされるようだった。


 「ダメだこいつ……ちょっと見せてみろよ」


 ツルギはトキコの体を軽く押し退けて、タブレットを引っ掴む。一気に薄汚い診察室の風景と、地味なお下がりの洋服が目の前に広がる。トキコは少しだけ、苛立ちながら手を膝の上に置いた。


 「地下都市の何が知りたいんだよ」


 「どこにあるか、あと中の様子と……」


 「所在地と現在の動向、ね」


 ふんと、鼻を鳴らしてツルギは脚を組んだ。そうして、横目でトキコを見て続ける。


 「と言っても、所在地を知るためには、正式名称がわかんねえとな。トキ、地下都市って他になんて呼ばれてた?」


 「地下都市は地下都市だよ……あと、研究所がいくつかあってね、耐毒総合研究所と生命研究所と……あと何かあったけど……覚えてないな……」


 「んん……わかんねえな」


 ツルギは唇を噛んで声を漏らす。


 「役員の名前とかわかる?」


 「偉い人はヤドリギさん。会ったことはないんだけどね、時々名前は聞いてたから」


 「ヤドリギねぇ……おいおい調べてみるか」


 あまり有益な情報ではなかったようで、ツルギには軽く流されてしまったようだ。どうしてか、トキコを助けようとしているのに、ツルギに取り残されていく奇妙な感覚を覚える。そんな時、ツルギは思いついたように声を上げる。


 「そういえば、転送装置……あれを所有できる所ってあんまりないんだよな。その辺から調べられねえかな」


 「わかりそうなの?」


 トキコは身を乗り出すようにして、ツルギを見上げる。ツルギは少し迷惑そうに顔を顰めては、椅子をずらしてトキコから離れる。

 それにはどこか違和感を覚えた。ツルギは今朝からずっと、ぎこちない。まるで奇妙なものを見るような目でトキコを見ている、そんな気がしてならない。


 「あくまで、その地下都市が大釜の中の施設だったらの話だけど」


 「じゃあ……わかんないかもしれない?」


 「トキは出身がわかんねえもんな……まあ、とはいえ都市の生まれだとは思うけど」


 「うん、地下都市だから」


 「じゃなくてな……大釜とか、庭園とか……聖門」


 トキコは聞きなれない言葉に首を傾げる。


 「いわゆる大きな都市部だ。と言っても、庭園や聖門は物理的に行き来は難しいんだけどな。ほら、大規模な研究機関なら普通に都市部にないとおかしいだろ。物資も電力もないのに、そんな設備運営してられないぜ」


 「言われてみればそうなのかな」


 「……にしても、転送装置な。……なんか、その……ツバメもおかしいよな……」


 トキコは一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと疑ってツルギの横顔を凝視する。


 「お前がバラバラ死体になったり、外で一人野垂れ死んだり、考えなかったのかよ」


 僅かに目が泳いでいる。眉を顰めて、口を歪めて。この顔は、なんだろう。怒りとも困惑ともとれる。小さい頃、職員に理不尽なことで怒られた時に、こんな顔をする子がたまにいた……。


 「双方から操作できないってことは、一方的に電力のない装置へ送り込むってなるだろ。座標だって1ミリもずれちゃいけねえし、ハイリスクなんだよな。その上、こんな温室育ちのトキを猛毒の中へ放り出してよ。お前が死ぬことを想定してなければ……いや、どっちだとしてもツバメは狂ってるみたいだ」


 体中の血液が一気に熱を帯びて上昇するような感覚だった。トキコは、勢いのままツルギの胸ぐらを掴んだ。トキコの座っていた椅子が倒れて、ガシャンと音を立てる。ツルギの目が大きく開いてトキコを捕らえた。

 トキコの喉は震えて、涙が出そうになる。なんだよ、こんなの悲しみじゃないだろう。


 ──泣くもんか、泣くものか!!


 「好き勝手言わないで!! ツバメのこと何も知らないくせに!!」


 虚勢を張って、震える声を誤魔化すように声を荒げた。

 

 「10年……一緒にいた……のに、ツバメのこと、何もわかってあげられなかった……!! ツルギはどうして、知ったように語るの……!! ツバメの何がわかるの!!」


 胸ぐらを掴んだまま数秒、息苦しいまま時間だけが流れた。トキコは泣かないようにと歯を食いしばってツルギを睨みつけていた。

 見開いていたツルギの目がゆっくりと戻って伏せる。そうして、か細く息をしていた。


 「……ごめん」


 その言葉で、トキコの腕から力が抜けて、込み上げて溢れそうだった涙も引っ込む。そして、そのままいつのまにかミーヴィが直していた椅子に力なく座る。


 「調べとくよ。地下都市のこと」


 ツルギは服を直し、俯いたままだった。


 「良いよ。自分でやる」


 「無理だって。わかる前にお前の寿命が尽きる」


 声が詰まる。唇を噛んで、腕が震えていることに気がつく。今になって、ツバメが正しいことをしていたとは思わない。それだけど、ツバメはきっとわたしのことを考えていたはずだ。

 不意に、ミーヴィがトキコの肩に触れた。硬くて少し大きくて僅かに熱を帯びた手だった。


 「……あなたとまで、喧嘩したくない」


 「オレだって、その……傷つけるつもりはなかったんだ……トキがツバメのことで苦しむのは……いや……なんでもねえや」


 ツルギは肩を落として項垂れる。トキコも予定外に怒ってしまって、たった数分で数時間分の動きをしたような気分だった。

 ミーヴィがゆっくりと離れて、また家具になる。それとほぼ同時にツルギは俯いたまま、トキコの手を掴んだ。


 「トキの、力に、なりたい……」


 トキコは手を握り返すことも、振り払うこともせずじっと、足元を見ていた。もう痛くないけど、まだ歩くと違和感が残るのだ。

 トキコはそっと、ツルギの俯いた横顔を見て口を開いた。


 「ごめんね、酷いことして」


 ツルギは手を離すと、怒ったような困ったような顔をして、最後に元気のない笑顔を見せた。

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天使の機械音 どりゅう @paffco

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