第48話
真夜中にアイはクッションとタオルを抱えてトキコの部屋から出て行った。トキコは気がつかないふりして布団に包まってやり過ごした。
明け方少しうたた寝をして、目を覚ますと左足全体が痺れていた。だから朝食前に、小鳥の入った箱を抱えてロイムに見てもらうことにした。
リビングの長椅子に足を投げ出して座ってロイムに見せた。赤黒く変色し、人間のものとは思えない枯れた枝みたいに腫れ上がった足にロイムは痛そうに顔を顰める。
「なんで、昨日のうちに来なかったんだ」
静かな声色から、怒っているのがよくわかった。トキコはロイムから目を逸らして呟く。
「ご、ごめんなさい……」
「自己責任だけどな……にしても、尋常じゃない腫れ方だ。全く、よく歩けたな」
「ひどい捻挫だよね……」
トキコも反省しつつ、左足首を動かす。腫れていて、まだ痛いが何も問題なく動くのだ。ロイムはその様子に更に顔を歪めるのだ。
「いや、骨折だ」
骨折となると、結構大きな怪我していたみたいだ。骨を折るのは初めてだけど、地下都市では時々検査中に折れていた子もいたんじゃなかっただろうか。だから、応急処置だって知っていた。
「骨折……そっか、よくあるよね」
「あってたまるか。しかも、お前何かしたな?」
ぴしゃんとロイムに言われて、トキコはおずおずと口を開く。
「こう、ぐーって伸ばしたの。でも、応急処置としては間違ってないはずだよ」
「大間違いだ。正しい要素なんか、一つもない。もし次誰かが骨折するようなことがあっても、お前は絶対に何もするな」
口調こそ穏やかだが、呆れ返ってる様子だった。
ロイムの大きな手がトキコの赤黒い足首を少し強めに、握るように押す。痛みに、トキコは思わず唇を噛んで息を漏らした。
「不気味だな。治りかけている。それも、正しい形に」
「ん……? わかるの?」
ロイムは手を離してため息をつき、トキコの隣に座り直す。
「人間ってのは自分で治そうとする力があってな。骨だってそうだ。軟らかい骨ができて、治っていく……何ヶ月もかけて、徐々に……のはずなんだが」
トキコは自分の足を眺めて、そっと触れてみる。もともと棒切れに皮が巻き付いたような、ひょろひょろの足だ。そんな足首の皮の下には確かに硬い何かが当たる。ロイムの言う軟らかい骨なのだろうか。
「俺は骨は得意じゃない。触ったくらいではわからない」
「どうしたらいい? もう、そんなに痛くないんだけど」
トキコはパッと顔を上げてロイムを見上げる。
「安静と栄養を摂ることだな」
「わかった……それから、鳥って診れる?」
「無理だ。うっかり串うちするかもしれない」
トキコは、無表情のロイムはたぶん冗談で言ったんだろうと思うようにして「じゃあやめとく」と、呟き靴を履いた。その光景にやっぱりロイムは痛そうに顔を顰めていたのだった。
トキコは左足の違和感を覚えつつも、パタパタと小走りでキッチンへと向かった。小鳥をテーブルに置いて、ストックされている固い小さなパンを一つ取り、爪で欠片になるように剥がした。
箱を開けると小鳥の元気はなくて、小さくもぞもぞと動いていた。パンの欠片を口元に置いてみるが見向きもしなかった。トキコは残りのパンを齧りながらその様子をじっと見ていた。
無味のパンを水で流し込むまで、なかなかに時間がかかったが、その間も小鳥は小さく疼くまるだけだった。
「マジで焼き鳥育ててる……」
ドアの所に、いつの間にかシェイリが立っていて、その少し後ろにツルギが眠たそうな顔をしている。寝起きなのか、いつもはオールバックにしている前髪がくしゃくしゃと降りていた。彼は肘でシェイリを突いて嗜め、部屋に入ってきては、トキコの斜め前に静かに座った。
「鳥、元気か?」
「ううん……このまま死んじゃうのかな……」
トキコはぽつりと呟く。ツルギの顔を見たが目線はまるで合わなかった。
「虫、食わせてみれば?」
シェイリがトキコの横に近づいて、鳥を覗き込む。トキコはシェイリの言葉がなんだか疑わしくて思わず聞き返した。
「虫?」
「羽虫とか、芋虫とかさ。栄養満点だから」
シェイリは軽やかに答えると、キッチンに立ち、鍋にお湯を沸かし始める。
ちょっとゾッとした。アイちゃんが虫なら見せてくれたことがあったが、あの気持ち悪いものをこんな小さな小鳥に食べさせろと言うのか。
「お腹壊さない?」
トキコの動揺した問いに、シェイリはスープの粉末をカップに入れながら、ニヤリと笑う。
「食虫は合理的な文化だと思うよ。あたしも何度かあるけど、調理の仕方次第だね。先入観って恐ろしいもんだ」
「スープ、飲むでしょ?」とシェイリはカップ3つ用意した。正直なところ、この人は虫も食べるのかという衝撃でトキコの食欲は風船が萎んで、胃がどんどんと下腹部に下がっていくような感覚だったが。
「文化云々じゃなくて、普通に鳥は虫食うだろ」
ツルギが呆れたように俯いたまま少し笑って答えた。
「屋上に、栽培所に行けばなんかいるだろ」
「一緒に行ってあげなよ。この子絶対何も捕まえられないよ」
シェイリはカップにスプーンを突っ込んでくるくると回した。湯気がふわふわと立ち上がって香りが萎んだはずの食欲をつつくみたいに刺激する。
ツルギはちらりとこちらを見たものの、バツが悪そうに肘をついて顔を逸らす。
「オレも忙しいし……」
「君らしくないね。いつもなら頼んでなくても女の子が困ってれば首突っ込むくせに」
「女の子じゃなくても人助けは趣味っつーか」
「もしかして、その……アイちゃんのこと……怒ってる?」
トキコは肩をすくめて、ツルギを見上げた。ずっと視線が合わなかったツルギがようやくこちらを見た。意外と長い前髪から覗いた視線が突き刺すようで少し怖い。
そわそわしながら、ツルギの眉間の辺りを見ていた。すると、彼は少し鼻で笑って前髪をかき上げる。
「いや、んー……アイは真夜中に叩き起こして片付けさせて来るから迷惑なんだよな……」
「ご、ごめんなさい……」
「や、それはトキのせいじゃねえから。泊めたのもオレだし」
少しだけ、いつもの屈託のないツルギの顔を見れたと、トキコはホッとする。だけど、やっぱりツルギは少しぎこちない。
「ツルギにごめんなさい言うくらいなら仲直りすれば?」
シェイリが3人分、スープをテーブルに置いた。
透き通った琥珀色のスープに黒胡椒が浮いている。具材は入ってなくて、窓の外の自然光を反射してゆらゆらと揺らしていた。
「……それは」
「別に無理してしなくて良いだろ」
トキコが口籠ると、ツルギは予想外の返答をした。普段のツルギなら絶対に仲直りをしろと言うんじゃないだろうか?
「何でそう思うの」
「トキさ、アイに……いろいろ苦労してきたろ。たまにはそういう反抗したって良いじゃん」
今までの奇妙なぎこちなさを吹き飛ばすみたいに、少し無理やりな様子でツルギはからりと笑った。それには少しトキコもムッとする。
「そういうわけにはいかないよ。アイちゃんはわたしを助けてくれたのにさ。だから、ちゃんとするよ。仲なお、り──」
薄汚れた銀色の子供が、ドアの隙間から赤い目を覗かせていた。
「仲直リ……ナンデ?」
そう言ってするりと部屋に入ってくる。
そうだ、仲直り。今までに喧嘩して、険悪なままで何かいいことあった? 何をするにも気になって落ち着かなくて、無駄な時間になるんだ。
喧嘩はツバメとするのが一番多かったけど、結局後から悲しくなって寂しくなってしまうのだ。
「アイ」
ツルギが少し怒ったように、呟く。相当、迷惑だったのだろうか。
「トキ、なんかよくわかんないけど、謝るの?」
電流が走ったみたいにピリついた空気の中で、シェイリは呑気にあくび混じりに聞く。
「トキコ。アイ、トキコノ傍ニイタイダケ」
アイは重たく足音を響かせて近づく。トキコの目の前に来ては、トキコの手をその冷たくて大きな手で握る。
アイは何も悪くない。悪いのは意地を張ってわがままな自分だ。ちゃんと言わなきゃ。
「ソシタラ、トキコ守ッテアゲラレル」
トキコはアイの手を振り払って、睨みつける。
「わたしは、いたくない……!! 子供扱いしないで!!」
全く同じことをよく、ツバメに言っていた。検査のこともテストのことも、あまり聞かれたくないのにツバメは職員にでもなったみたいに聞いてきたり口を挟んだりして。わたしをそんなにダメな子だって思ってるの?
「……トキコ、いつ機嫌直してくれるの?」
アイの口からツバメの声が聞こえたような気がした。どうしてこうも、保護者みたいなことを言うんだろう。
「ツバメみたいなこと言わないでよ!! もう、どこか行ってよ!! ロボットならロボットらしく主人の言うこと聞いてよ!!」
「違ウヨ。アナタハ、ワタシノ主人ジャナイ。デモ今ハ言ウコト、聞クヨ」
アイはトキコから一歩下がって、とたとたと走って部屋を出て行った。しんとした部屋に、ツルギはフッとため息を吐く。その直後にシェイリが面白そうに静かに笑った。
「なんていうか……クソガキだね、君は」
「ほっといて!!」
トキコは唇を噛んで悲しくもないのに溢れそうな涙を堪えるのに必死だった。だからしばらく、動けないままだった。
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