第47話

 帰りはツルギのバイクに乗って、イラハへと向かった。比べてみてわかったけどツルギの運転の方が快適だった。

 行きよりも幾分か時間がかかって、イラハに到着した。ウェルはツルギを待つ気が毛頭ないようで、バイクをかっ飛ばし、随分と先に到着したみたいだった。ガレージの中にウェルのバイクが静かに置いてあった。

 トキコはバイクが停まると、自分でベルトを解き、ゆっくりと荷台から降りた。小鳥の入ったウェストポーチに手を添えて、左足を引きずりながらよたよたとツルギの方へ行く。ツルギは慌てた様子で、トキコの腕を支えた。


 「大丈夫かよ? さっきまで立てなかっただろ?」


 「もう、だいぶ平気。頭の方が痛いくらい」


 そう笑った時、機械の単調な音が後方から聞こえた。


 「トキコ」


 真後ろにアイが立って、赤い目でこちらを見上げていた。


 「アイちゃん、ただいま。迎えにきてくれたんだ!!」


 話したいことがたくさん込み上げてきて、それが堪らなく嬉しくなる。トキコはツルギの腕を掴んだまま、アイに向き直ってマスクの下で笑いかけた。

 トキコはツルギから手を離し、包帯を解き、マスクを外してバイクの荷台へと置く。それから、よたよたとアイの目の前まで行く。アイはトキコの両手を取ってジッと見つめ返して一言。


 「ドコ、行ッテタノ」


 表情のないはずの、アイの機械の顔が僅かに曇ったように見えた。トキコは一瞬首筋が凍るように肩を震わせた。


 筋力調査から、逃げ出したことが一度だけあった。筋力調査でも、換気機能検査でも、知能テストでも、どれもそうなんだけど、前回より数値が低いと、平均を下回ると、酷く怒られる。最近ずっと怒られっぱなしで、そうなるとシオの口の中に血の味が広がって、夕食のスープを飲むのが苦痛になってくる。だから、職員が迎えに来る約束の時間になっても談話室に行かなかった。ロロとココミの部屋に隠れていた。それなのに、だんだん隠れている方が怖くなって、心臓が破裂しそうになった。限界に達しのは10分遅れ。震える足で談話室に行くとイライラした様子のアメリアがいた。「どこ、行ってたの」と言ったアメリアの顔をどうしてか、妙に覚えている。

 いつも穏やかに固められた彼女の眉が吊り上がって、触れてないのに首を絞められてるみたいな感覚。「頭も腕も痛い」とぐずぐず泣きながら答えた時はきっと本当に熱があったんだと思う。

 アメリアは「また後で迎えに来るね」と冷たく答えて部屋を出て行った。脳裏に焼きついた冷え切った顔がマイナスに向かう想像力を駆り立て、いつか降されるかもしれない罰に怯えていた。


 トキコは息を呑んで、首を振った。

 今回、ツルギやウェルに迷惑をかけたが、少なくともアイに対しては何も悪いことはしてない。アイは、無償でわたしのことを想ってくれている。プログラムだからこそ、それは揺るぎない自信を持って言える。

 そもそも、アイに表情はないのだから、これは悪い記憶が捏造した妄想だ。


 「ん……ウェルの手伝い。久々に外に出たよ。怪我したり、大変なこともあったけど──」


 「ドコ、怪我シタ」


 アイは首を傾げた。


 「左足首。捻挫だと思う……さっきまで痛かったけど、もう歩けるから大丈夫。あのね、話したいことがあるんだ」


 ウェストポーチの中の小鳥を見せたかった。アイがたくさんのものを見せてくれたみたいに、わたしだって──

 アイは両手でトキコの手を引っ張った。それが思いの外、強い力で、足を取られた。思わずついた左足に激痛が走ってそのままへたりと崩れる。ツルギの声が少し引いたように閊えて、アイの機械音がそれを掻き消した。


 「アイ、聞イテナイ。勝手ニ外行ク。ソンナノ、許サナイ」


 「なんで……」


 ウェストポーチの中の小鳥がゴソゴソと動いている。狭くて暗くて怖いだろうに。わたしがこんな崩れていたらもっと怖いのに。


 「アナタヲ守ル」


 アイは無表情のまま、トキコの両手を万力みたいにギリギリと潰すように握りしめた。


 「痛い……やめて!! 離して!!」


 「アイ!? やめろって!!」


 ツルギがアイのツインテールを引っ掴んで、トキコが腕を引いた。トキコは崩れ落ちたまま、アイから後退りするよう離れて、睨みつける。


 「トキコ」


 「変だよ!! 守るって何から守るの!?」


 アイは首を振ってツルギの手を振り解き、トキコに向かって歩いてくる。


 「アイ!! お前ちょっと──」


 アイはツルギの方へ振り返ったかと思えばそのまま頭突きを、彼の腹部に喰らわせた。よろけたツルギの胸ぐらを掴み、アイはツルギに鋭く目線を合わせた。


 「アイ、トキコト話シテル。邪魔、スルナ」


 ツルギは子供が遊ぶようなビニール人形みたいに、アイに弾かれてコンクリートの地面に転倒した。


 「アイハ、トキコヲ全部カラ守ル。今日ダッテ、勝手ナコトスルカラ、怪我シタ」


 「アイちゃんには関係ない!! そんなことよりツルギに謝ってよ!! 酷いことして!!」


 トキコは精一杯の力でアイを突き飛ばそうとした。それなのに、壁でも叩いているみたいで、アイは頑として動かなかった。


 「いつも勝手なのはアイちゃんだよ!! あなたはわたしの知らないことばかりして!! わたしにはいつだって……!!」


 「アナタヲ、守ルノガ、アイダカラ。アイハ、アナタノタメニ、イル」


 アイの赤い目がトキコを見下ろしていた。『あなたのため』という腐り切った優しさに吐き気が込み上がる。トキコは怒りとも恐怖とも取れない感情に支配され拳を握りしめ、アイから目を逸らす。


 「アイちゃんは良いよ!! ロボットだもん!! 人の気持ちなんか!! 知らなくたって傷つかないよ!!」


 足が痛いのを無理に動かして這いずり立ち上がる。そのまま逃げるように走ろうとしたが、今更激痛が走って、格好悪くよたよたと歩き出した。無理に踏ん張ったから、痛みばかりが増していた。


 「トキ!! 無理に歩くなって!!」


 ちらりと振り返ると、いつの間にかツルギも立ち上がっていた。いつもなら駆け寄って支えてくれたり、手を出したりするのだろうけど、今はどこか躊躇しているのがよくわかる。

 彼の表情を見て目が合うと咄嗟に視線を逸らした。


 「待ッテ」


 「ついてこないで!!」


 歩き出したアイの声に反射的に叫んで、ドアの方へ向く。


 「ドコ行ク?」


 アイの声はずっと淡々とした波長みたいだ。所詮ロボットの彼女には、プログラム以上に感情を予測できない。


 「部屋!!」


 「アイモ行ク」


 「嫌!! ついてこないで!! あなたの顔なんか、見たくない!!」


 トキコがそう言ってから、ようやくアイの足音が止まる。重たい足音の代わりに「ワカッタ」と淡々とした機械音が響く。

 あまりの素直さに少し拍子抜けしてしまう。


 「イツマデ、アイハ、外ニイル?」


 アイは、トキコの返事を待たずに続けた。


 「アイ、今日ハ、ドコデ寝タラ良イ?」


 トキコは振り返らずに唇を噛んだ。つい2日前、トキコの狭い部屋の隅にクッションを並べて、アイ用のベッドを作ったところだった。アイはそこにバスタオルに包まって寝ている──省エネモードのことだけど。

 「アイちゃんだって、お布団で寝たいよね」なんて笑えていたのに、どうして。トキコは一瞬、ちくりと胸を引っ掻かれたような気がした。


 「トキ、とりあえずマスク。本当はここで外したらダメだから」


 おそるおそる、ツルギは隣までやって来てトキコにマスクを渡した。トキコは軽く返事をして、簡易的にマスクをつける。壊れているからフィットしなくて、顎周りが緩い。

 ツルギはそれを見届けると、トキコから離れてアイのそばにしゃがむ。


 「アイ、オレの部屋で寝るか?」


 トキコはアイがなんて答えるか聞かずによろめきながら、それでも地面を踏み潰すように足を動かしてドアを開けた。

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