第46話

 ツルギは腹這いになって、両手でトキコの服の裾を引っ張っていた。言葉も出ずに苦しそうに息だけが漏れていた。トキコはツルギの力だけで宙ぶらりんになっており、慌てて足先で足場を探す。

 

 「どっか、掴まれって……っ!!」


 トキコは歯を食いしばったまま、目線だけキョロキョロと動かし、前方にあった錆びついた鉄棒を右手で掴んだ。それを軸に体を引き寄せて這いあがろうとした瞬間、鉄棒がボロボロと砕けた。

 これはまずいと認識する頃には、ツルギの足場もトキコが掴まってた軸も全てが崩れ落ちていった。


 胸元では捕まえた蠢く塊を潰さないよう抱えて、落下する途中に左足首を、それから地面には諸に腕と背中を激しくぶつけた。


 「おい!! 2人とも!!」


 マスクがどこかに行ってしまった。トキコは呻きながら片手をついて体を起こす。視界が回って頭がくらくらとし、吐き気を催したがグッと堪える。立ち上がろうと足を動かすと挫傷した部位に激痛が走って、動けなかった。その一方でツルギは上手に機体に掴まりながら軽やかに降りてきた。


 「ツルギ、怪我と損傷は?」


 ウェルはツルギに駆け寄って、胸ぐらを掴んだ。到底心配しているようには見えない。


 「問題ない。それより、トキは?」


 ツルギはトキコの方を見て、答える。その一瞬でウェルは肩を落とすと同時にツルギから手を離した。そして、そのまま大股でこちらに向かってくる。途中流れるように何かを拾った。それがトキコのマスクだったことはすぐにわかった。

 ウェルはトキコの目の前に立ち、見下ろす。


 「おい、クソガキ」


 「わたしなら、なんとか大丈夫──」


 言葉を言い切る前に、頭に雷でも落ちたかと思うくらいの拳骨をくらった。目の奥で火花が散ってじんじんと骨が響く。追い討ちをかけるようにウェルの怒声が爆発音みたいに聞こえた。


 「バカかお前は!!」


 マスクの中でくぐもってるのに、よく鼓膜を突き破りそうなくらい鮮明に届く。声できっとマスクが飛んでいってしまうんじゃないかって思うくらいだった。

 痛みに涙を溜めながら悶絶してると、ツルギがトキコの隣に座り込み、ウェルを見上げる。


 「いきなり殴るなよ、可哀想だろ」


 「コイツじゃなきゃ即死だろ!!」


 「結果無事なら良いだろ!!」


 「良くねえよ!! アホかてめえ!! 巻き込まれてたら死んでたぞ!!」


 ツルギも頭を殴られていた。ゾッとするほどの打撃音にトキコは頭をさすりながら肩を震わせる。


 「──っ!! 兄ちゃんにも殴られたことねえのに!!」


 「うっせえ!! だからこうなるんだろうが!!」


 「ごめんなさい、ツルギ」


 「俺がやめろつっただろうがよ!! 自分が今ツルギを殺しかけたことを、その足りない頭に叩き込んどけや!!」


 ウェルはそう怒鳴りつけて、トキコの顔にマスクを押し付けた。トキコはマスクを片手で支えながらゾッと身の毛がよだつのを感じた。そこまで、考えてなかった。自分自身の軽率な行動でツルギのマスクが壊れたり、服が破れていたら死んでいたのかもしれない。そう考えると急に怖くなった。泣きたくなるのを堪えると、代わりに声が震えた。


 「本当にごめんなさい……っ」


 「だから、オレは何ともねえから!! それに、そのくらいで壊れるようなマスクなんかしねえし」


 マスクの奥のツルギの顔は困ったように笑っているのがなんとなくわかった。殴られた頭が痛いみたいで、自分の頭をさすっていた。


 「物の所為にすんな!! でこっぱち!!」


 「でこ……っ」


 ツルギはウェルに対して、怒り過ぎだとこそこそと文句を垂れながら、トキコのマスクを付け直す。どうやら、ベルトが一部切れてしまったため、上手く止まらないのだ。ツルギのウェストポーチに入っていた包帯を器用に巻きつけて、なんとか固定した。


 「つーか、さっきから何持ってんだよ」


 ウェルは声のトーンを落として、そう聞いた。トキコは何も答えられず、そっと左手を開いた。


 「鳥……?」


 灰色の、トキコの小さな手のひらに収まってしまうほどの小鳥だった。もぞもぞと動くけど、見るからに元気がない。ツルギが興味深々に覗き込み、指先でそっとつついた。


 「そんなもん拾うためにこんな迷惑かけ──」


 「まだ、ヒナか。弱ってるみたいだな」


 ツルギはわざとらしくウェルの声を遮って言う。トキコは少しウェルの方を気にしながらも、ツルギの耳元でこっそりと聞いてみる。


 「治してあげられる?」


 「病気ならどうしようとねえけど、弱ってるだけなら、元気になるまで世話してやったら?」


 その言葉でトキコはほんの少し嬉しくなって、一瞬だけ足と頭の痛みを忘れるみたいだった。ただそれはウェルにも聞こえていたみたいで、彼はトキコを小馬鹿にするように一刀両断した。


 「持って帰ったって焼き鳥にされるだけだぞ」


 「それはダメ!!」


 トキコはぎゅっと小鳥を隠すように抱えて、ウェルを見上げる。表情がわからなくて、本当なのか、意地悪な冗談なのか読み取れない。


 「それよか、怪我してんのはお前だろ。あっち行ってろ。足手まといだ」


 「まじか。だから、全然立とうとしなかったんだな。大丈夫?」


 「大丈夫!! 手伝えるから!!」


 「うるせえ、邪魔すんなや」


 トキコは努めて元気よく言ったが、ウェルには軽くあしらわれてしまった。仕方なく、バイクの見張りをすることにした。ツルギが支えようかと気を遣ってくれたが、そこまでじゃないとトキコは笑って断った。よたよたと足を引きずって、荷台に腰掛ける。小鳥は元気なく、トキコの膝で疼くまる。

 靴と靴下を脱いで、左足を見ると奇妙な方に捻れて紫に腫れ上がっていた。たしか、昔同じことになっていた子がいたはずだ。放っておくと変形してしまう……対処方法は難しくなかったのを覚えてる。

 トキコは膝を曲げ足首を引っ張り少し無理に伸ばす。激痛が足から下半身中に伝わり、歯を食いしばった。痛みの割になかなか戻らない。仕方なく右腕に信号を送って、もう一度伸ばした。ミシミシと骨が鳴いて、瞑った目から涙が滲む。何度か繰り返して足は真っ直ぐになる。酷くぼこぼこと腫れ上がってしまったが、痛みには慣れたのか、痛みは耐えられる程度になった。

 ツルギやウェルが作業を終える頃には靴も履いて、小鳥を掌の上に乗せたまま荷台に倒れ込んで、浅く呼吸をしていた。

 ツルギも、ウェルでさえもギョッとして、心配していたので、よろよろと起き上がってはマスクの下で「帰ったら、ちゃんとロイムに診てもらうよ」とへらりと笑ってみせた。

 ツルギなんて特に腑に落ちない顔をしたまま、作業に戻る。トキコは2人が荷物を片付けるのを眺めていた。たくさん荷台に積むのかと思っていたが、ツルギとウェルそれぞれが両手で軽く抱える程度だった。それを手早く荷台に固定させて、ついでにトキコの体もベルトで繋いだ。ツルギは自分のウェストポーチをトキコに巻きつけて、そこに鳥を入れるよう言った。

 トキコはそっと、小鳥をポーチに入れて大事に抱えた。うずくまった、そのモフモフは簡単に潰れてしまいそうだ。


 帰りは、力加減を間違えないようにしないと。何も壊さないように気をつけないと。

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