第45話

 崩れた街の中。黒ずんだ建物を緑の木々が突き破って覆っていた。アイと、工場地帯跡を歩いた時にも似た景色を見た。鮮やかで、あたり一面がガラス片を散りばめたみたいに輝いている。

 トキコは思わずマスクを外して、肉眼でその世界を見渡した。水分を含んだ風が頬を滑って、前髪を掻き上げてポニーテールを揺らした。瞳に冷たい空気が当たって目が霞む。4回、ぎゅっと瞬きをした。


 「綺麗……」


 猛毒なんて感じないほどに、冷たい息を呑んだ。久しぶりの外の空気だった。


 「そうかぁ?」


 ツルギの声は気が抜けたようで淡々としている。


 「うん。キラキラしてる」


 「雨降ったしな……つか、マスクはちゃんとしてろって。知らねえ奴に見られたらどうすんだよ」


 ツルギが拗ねたように言うので、トキコはそそくさとマスクをつけた。ベルトと髪が絡まってしまって、髪も結び直してツルギの方を見る。

 ツルギは暇そうにブーツのつま先で鉄板みたいなロボットの残骸をガリガリと削るように蹴っていた。


 「このロボットは……なんだか、機械って感じがするね」


 「なんだそれ。ロボットはみんな機械だろ」


 「そうだけど、アイちゃんやミーヴィはだって……」


 無機質で冷たい機械だって、人型で有れば愛着のようなものが比較的簡単に湧いてくるのだ。女の子のお人形と積み木、壊せって言われたらきっと迷わず積み木を選ぶ。魚と兎だって、ぺったんこの魚より、手足がある兎が殺される方が辛かった。人とかけ離れていればいるほど、人間って冷酷になれるんだ。


 「まあ、言わんとしてることはわかるけど」


 ふと、トキコの脳裏に最後に殺してしまったクリーチャーが思い浮かんだ。青白い肌に赤黒い触手の生えた少女みたいなクリーチャーだった。悲しそうな声で少し、良い香りがした……。

 手足の無い溶けたイルカみたいなクリーチャーよりも、割れた鉱石を纏う蛞蝓みたいなクリーチャーよりも、どうしようもない程に怖くて罪悪感を駆り立てて。

 トキコの足はぐらりと片足が壊れたおもちゃみたいによろける。奇妙なステップを踏んで、踏ん張り何とか転げ落ちずに済む。

 ツルギが「大丈夫かよ」と手を伸ばそうとした。


 「残留機械って多いの?」


 トキコは体勢を直して、ツルギの足元にできた細かい傷が反射しているのを見ながら呟く。


 「え……ああ、廃都市部には、な。徘徊してるだけなら良いけど、こいつみたいに見るもの全て破壊するやつとか、所謂殺戮マシンとかもあったりするからさ初めて行くところは特に注意しないといけないんだ」


 ツルギは手をぶらぶらと落ち着かないように遊ばせていた。


 「しかも、バグが急に起こって前は大人しかった奴が襲ってきたりもあるし、電力をロボット同士で供給してることもあるんだ。ほら、アイみたいに太陽光発電する奴が供給すんだ。だから、機能停止していたロボットが動き出してることもあるし、外ってそう言った面も危ないんだよな」


 「そうなんだ」とトキコは口にして、しゃがみ込むと死体になったロボットについた傷をを指先でなぞった。

 その隣にツルギもしゃがみ込んで続けた。


 「それから、人間も危険なんだ。物資の取り合いになるし、追い剥ぎもある。この辺だとアグラルやゼーネとか、そいうい都市の奴らには気をつけた方がいい。快楽殺人だって珍しくないし、交易のために若い人を攫って売り飛ばすこともあるんだ。だから、イラハでは基本単独行動を禁止してるんだ」


 「そんな酷いこと、人間がするの?」


 「それが当たり前だって、そう思った方がいい」


 トキコは膝を抱えて、じっと彼の目がゴーグルの奥で辛そうに伏しているのを見ていた。パッと目が合うと、ツルギは目を真ん丸に開いて、立ち上がる。


 「ビビらせてごめんな。でも、外に出る以上、知らないことが一番危ないし、若い女は特に狙われやすいからさ」


 「ん……アイちゃんも言ってたから……」


 あまり、実感が湧かない。ツルギもロイムも良い人だ。ウェルだって怒りっぽいけど悪い人じゃない。シェイリは……まあ、とりあえずトキコに対して少なくとも命に関わるほどの酷いことはしない。

 そんな、酷い人はイラハにいない。トキコも立ち上がってツルギを見上げた。


 「クリーチャーはいないの?」


 危険な事を話してくれたのに、クリーチャーが入ってないのはなんだか妙だった。


 「え? なんだ? 映画かなんかの話か?」


 ツルギは首を傾げた。


 「違う、クリーチャー。毒を……アスタディールを吐く生き物。わたし、それの処理をよくしていたの」


 「毒を吐く? そんなのがいるのか?」


 ツルギの声が少し裏返る。

 あ、これ、本当に知らないんだ。


 「だからね、クリーチャーがいなくなれば毒って無くなるのかな。ああ、でもやっぱりたくさんいるから無理かも。取り切れないってカリンもヨーゼフも……職員みんなが言ってた」


 「毒の正体が生き物だなんて聞いたことねえぞ? だってアスタディールは、鉱石毒なんだから」


 「でも、わたしはそう習ったよ!!」


 少し焦ったくなり、ツルギに詰め寄るようにして声を僅かに荒げた。自分と外の世界、どこまで乖離があれば気が済むんだ。ツルギは引いたように後ろに下がって後頭部を掻いた。


 「もしかしたら、突然変異の生き物か? こういうのはさ、シェイリが詳しいと思うから帰ったら聞いてみようぜ」


 「うーん……」


 煮え切らない返事をしてギュッと拳を握りしめると、ウェルの声が真下から聞こえてきた。


 「おい、そろそろ作業するぞ」


 その時だった。ウェルの方を見た時、視界の端に何かが映った。


 「へい」


 何かが動いている。ちょうど自分たちが作業していた場所の斜め、少し上。この後おそらく崩れていく場所で、この位置からだと手は届きそうにない。

 トキコは足を取られながら、おぼつかなく降りていく。一度、足場になりそうな出っ張りに脚をかける。もう一度目的の場所を目指して手をかけて、体重を乗せる。体が引き上がったところに、それはあった。


 「どうした? トキ」


 頭上からツルギの声がした。ツルギの位置からは見えないらしい。トキコは僅かな隙間につま先をかけた。顎をしゃくってようやく位置がわかる。


 「何やってんだ!! そっちは危ねえからやめろって!!」


 ウェルの声が不機嫌そうに下から突き上げる。


 「何かあるの……!!」


 トキコは手を伸ばしたが、届かなくて背伸びをして、見つけた何かを潰さないように左の手中へ収めた。その瞬間、足場が消えた。ガクンと体が傾いた。

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