第二章「生きていく世界」

第16話

 ガチガチに軋む身体を少し無理に動かす。硬いところで寝ていたせいだろうか。身体の妙な痛みに加えて、周りの白い箱の家々に囲まれる閉塞感は地下都市を連想させて、どうにも気分が沈んだ。


 「大釜ハ、森ヲ、迂回スルノ、イイ」


 アイは朝、灯台を降りてからずっと繰り返し謳い文句のように言っていた。相変わらず単調のようで、だけど、なんとなく抑揚のついた声をしている。

 数歩前を、跳ねるように歩いているアイを眺めつつ、トキコはなんだか夢の中にいるような気がしていた。

 そんな時に、突然アイは立ち止まり、ぐるりと身体を回してトキコを見上げた。トキコも思わず立ち止まる。


 「トキコ、反応シナイ? 反応ナシ。上ノ空」


 「ああ、ごめん……。聞いてたよ。森を避けて行くんだよね」


 トキコはへらりと笑顔を作って答えた。上の空は間違いないが、繰り返し聞いていれば嫌でも耳に残る。アイは数秒、トキコを見つめたかと思うとまたぐるりと向きを変えてピョコピョコと歩き始める。


 「アイ、夕方マデノ到着可能。デモ、トキコ、人間」


 「アイちゃんは休憩しなくても歩けるもんね。わたしも頑張るよ」


 トキコもアイのペースで歩く。少し早いが、何度か小休憩を挟んで歩き続けていくうちに、アイのペースもゆっくりになっていった。

 白い箱の街を通り過ぎて、景色は灰色の暗い機械的な建物が立ち並ぶようになった。細長いチューブがまるで紐で飾り付けするみたいに四角や円柱の建物の間を縫っている。建物は所々というより、もはや殆どが赤茶色に錆びついてしまって、硬い地面を割いた草たちもたくさん伸びている。

 白い箱が地下都市の居住空間だとすれば、ここは実験室や処置室を連想させた。ただ、無限に突き抜けた空と、赤く染まった錆びや侵食する草たちが映えて、地下都市のそれよりももっとずっと晴れやかで美しいものに見えた。アイに聞いてみると、ここは「コージョーチタイ」という場所で、物を作る施設……らしい。


 正確な時間はわからないが、朝早くからもう随分と歩いた。アイに時間を聞くがアイも「オソラク、オ昼ヨリ前」と曖昧に答えた。

 二人は一度しっかり休もうと、大きな建物の中に入り込んだ。それも工場の一部だったものらしい。もしここに、地下都市の子供二十一人が入って、鬼ごっこをしたとしてもスペースが余ってしまうほどに、そこは広くて文字通り何もなく、がらんと寂しかった。屋根も半分くらい覆われてなくて、鉄の骨が剥き出しになっている。そのおかげで中は明るく、余計に空虚な場所となっていた。

 太くて丈夫そうな柱の真下にはちょうど座れるくらいの段差があり、トキコはそこに座り込んだ。コンクリートはひんやりと気持ちが良かった。

 アイは、数分だけトキコの隣に座っていたが、思い立ったように「ゴハンノジカン」と言って、陽の当たる場所に走って仰向けに横たわった。

 トキコは膝を抱えて、しばらくアイの様子を眺めていた。


 あまりにも静か。


 自分の耳がおかしくなったのではないかと錯覚するほどだった。ロロみたいに、ヘッドフォンをつけて、そこに無音を流したらきっとこんな感じ……なのかもしれない。

 せめてもう少し風が吹けばもっと賑やかだっただろうに。


 「そういえば、アイちゃん」


 トキコは静寂に耐えられず、アイに声をかけた。アイはむくりと起き上がり、赤いレンズにトキコを捉えた。


 「クリーチャー、いないね。はぐれロボットも」


 毒素を出す害獣も、人を襲うことがあるロボットも、アイを除いては丸一日外で過ごしたのにもかかわらず、気配すら感じないのだ。

 アイは立ち上がって、トキコの隣に来て座る。


 「ハグレロボット……イルヨ。ココデハ、ゴハンナイカラ、動ケナイ」


 「オヒサマじゃ動けないの?」


 「アイト同ジ、ジキュウジソクタイプ、都市ト、砂漠ニイル。ココニハ、イナイノ」


 都市と、砂漠。塔から見た景色だと都市というのは大釜か、工具みたいな建物のことだろうか。砂漠というのは、きっと大釜の周りの茶色い大地だ。魔法の絨毯が出てくる絵本の中で見たことがある。

 いずれにせよ、ここから歩いてすぐには行けるような場所じゃない。


 「じゃあ、アイちゃんはどうしてここに? 迷子?」


 森を抜けたか、森を迂回したかして、ここまで来たのだろうか。それともあの廃棄場に捨てられていたのだろうか。


 「待ッテタ」


 アイは首を傾げてトキコを見上げる。誰をいつから待ってたのか、純粋な疑問が浮かぶが、トキコが聞くよりも前にアイは続けた。


 「声ガシタカラ」


 そういえば、アイは昨日から誰か前の持ち主をほのめかすような、発言が見受けられる。その人を待っていたのだろうか。


 「だれの声なの」


 「メモリーバグ……」


 アイは目を黄色く光らせて答える。

 もし、本当にアイの持ち主だった場合、アイはその人に会えるのだろうか。五十年以上も前に人が消えた街で待っていることを考えると、アイの待ち人は今も生きているのかは正直怪しい。毒に耐えきれない人間が、大釜から離れた場所で待ち合わせなんかするのだろうか。アイだって見るからに傷だらけで古びているというのに。


 「でも、アイちゃん……待ってたのに、いいの? わたしとこんなとこまで来ちゃって」


 トキコは、アイを連れてきて本当に良かったのだろうかなんて、今更不安に思う。

 アイの目は不安を煽るように黄色く光り続け、瞬きもせず──もともとしないのだけれど、なんとなくそんな風に思って──じっとトキコを見上げた。そうかと思うと、突然に口を開く。

 

 「メモリ……ワカラナイ……アイ、待ッテタ……待ッテ、チガウ? バグ、アイハ……ダレ……解析……困難……エラー、エラー……」


 「アイ……? ちょっと大丈夫!?」


 アイは流れるように、単調で、空虚に言葉を連ねる。辛うじてあった人間味が全て無くなってしまったみたいだ。

 アイのレンズにはトキコが写っているはずなのに、トキコにはアイの視界に入っていないのがわかった。アイが壊れてしまったのではないかと焦り、膝で立ち、アイの体を両手で掴んで揺さぶった。


 「アイニハ、バグガ存在スル」


 アイは揺さぶられながら単調に答える。トキコはひとまず、手を止めて恐る恐る聞き返す。


 「バグ?」


 「アイノ解析ヲ邪魔スル。ダカラ、アイハ更新ト修正スル」


 いつもと変わらない調子で、そう言うアイにトキコはほっと胸を撫で下ろした。


 「びっくりしちゃったよ……」


 「ゴメンナサイ」


 「いいよ、何ともなくて良かった」


 トキコはアイの冷たい頰を両手で触れた。アイは微動だにせず、トキコをジッと見つめた。


 「アイちゃんも、大切なこと、思い出すと良いね」


 トキコはゆっくりと座り直しながら言った。アイもそれを真似するように、膝を曲げてお山座りになる。なんとなく、話すこともなくなり、トキコは膝を抱えて柱にもたれた。

 また、不気味なほどの静寂が訪れる。トキコはやっぱりそれがどうしてか怖くなる。だから、トキコは僅かに聞こえてくるアイの耳を指先で引っ掻くような機械音に耳を傾けた。とても心地いい音楽とは言えない単調で空気の振動は、誰もいない寂しい世界の扉に誰かがノックして入ってくるようで、トキコの気も随分と紛れた。

 だけどもし、ツバメみたいに人間が隣にいたらきっと今は呼吸や鼓動の音が聞こえていたのだろうか。それはきっと優しくて暖かい音だったはずだ。


 そう考えていると、アイがそばにいるのに、ひとりぼっちになってしまったような気がして、胸が締め付けられるように泣きたくなった。

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