第18話

 顔を上げたトンネルの先。木々に囲まれた道路の真ん中で、風の音が微かに聞こえる場所だった。しかし、そこには一ミリも予想しなかったものが待っていた。

 先ず視界に飛び込んだのは、トキコの故郷をぎゅっと小さく歪な五角形に固めたような、白く無機質で冷たい箱だった。トキコが見てきた集落の家にも似ていたが、それよりはずっと小さかった。


 「シオ!!」


 それ以外に何か認識する前に、聞き覚えのあるくぐもった声が調査対象である自分の名前を呼んだ。

 それは箱の前に数体いた、頭のてっぺんからつま先まで白い、ロボットみたいな人型から発せられている。人型は滑らかに動いて走り、シオのもとに駆け寄った。こんなの本でもコンピューターでも見たことがなかった。

 トキコは、その奇妙な人型の走る歩幅が長い脚に反して妙に狭いのを見て、声の主が誰かがちょうど一致した。その時、トキコの右腕にピタリとアイの感触が伝わった。アイはジッと人型を見ている。


 「心配したのよ。勝手に出てっちゃうんだもの……」


 人型はシオの前に立ち、ゴワゴワした硬い手で、左肩を掴んだ。


 「カリン?」


 「そうよ。顔も見えないのによくわかったね」


 優しい声だった。カリンは、研究者の中でも若くて、子供達からしたらお姉さんのような感覚で、懐いている子も多かった。

 融通はなかなか効かない人だが、優しい言葉と、勉強を教えてくれたり、時に遊んでくれることもあったのでトキコも好きだった。


 「とにかく……大きな怪我は無さそうね。ひとまず帰りましょう、シオ。お腹空いたでしょう?」


 カリンはシオの肩から手を離し、そのまま、手を取った。

 硬くて少し汚れた白い手は、人間のそれとは違っていて、たとえ中にいるのがあの優しいカリンだと思えば思うほど、気持ちが悪くて、トキコは人型から手を振りほどくように離した。


 「どうしたの」


 カリンの表情は見えないが、人型は少し戸惑ったように声を震わせた。


 「帰るの、怖い? 大丈夫。シオが怒られたりなんてしないように、わたしが守ってあげるから」


 「ち、違うの……わたし……でも……」


 トキコがモゴモゴと口ごもっていると、五角形の塊の方から、もう一つの人型が歩いてきた。カリンよりも大きく、歩き方からは男の人に見えた。それに続くように二つの人型も歩き出す。


 「ああ、可愛らしいお人形……旧型の子ね、それも持って帰っても良いよ。一度、こちらで預からせてもらうけど」


 カリンは小さなロボットを見下ろす。アイは「オ人形、違ウ」とブツブツ呟いていた。その間に、先頭の人型がカリンの右斜め後ろに立ち止まった。中身が誰かは見当がつかない。

 カリンは「大丈夫よ」と、シオの手をとった。

 地下都市は、ツバメの言う自由はないけど悪いとこじゃない。嫌いな職員もたくさんいるが、カリンみたいな優しい人もいる。ご飯も寝るとこも毎日ちゃんとある。太陽の光はなくても、そこにはツバメや他の子もたくさんいる。それは、外の美しい世界よりも暖かい。

 戻るのも悪くないかもしれない。ツバメには怪訝な顔をされるかもしれないけれど。でも、そこからまた一緒にここに戻って来ることだって──


 「お願いよ、シオ。サクも待ってるから」


 頭の中に、最後に見たツバメがフラッシュバックする。どうしてだか、入れないはずのトキコの寝室に来て、取れないはずのリストバンドを取って、開かないはずのドアを開けた。いくつもの奇跡をツバメは起こした。

 トキコはカリンの手を必死に振り払った。


 「それは……嘘だよ!! ツ……サクが待ってるなんて有り得ない!!」


 ツバメが「おかえり」なんて言うはずがない。もし、カリンの言う通りなら、ツバメが職員を傷つけたのも、「さようなら」って涙を流したのも全部が無意味なものになる。


 「そんなことないよ!! みんなあなたを待ってる!!」


 「ほら、シオ。わがまま言わないよ」


 カリンともう一人の人型も声を上げる。


 「わがままじゃないよ!!」


 「シオ!! 僕たちを困らせないで」


 「帰るのよ、シオ!!」


 カリンが手を伸ばして、トキコの右腕を掴んだ。大人の力にトキコは必死に抵抗した。なのに、どれだけ手を引いても、カリンの華奢な体からは想像できないほどの強い力の前にトキコは虚しいほど無力だった。


 「やめっ──」


 トキコは何が起きたかわからなかった。ただ、急に体重が軽くなったのと、自分が地面に倒れこんだことだけに気がついた。

耳には女の悲鳴が劈いて、周りがどよめいた。

 手をついて体を起こした時、その悲鳴が何だったのかわかった。


 「何デモ、切レル」


 裂くような声で喘ぐ人型がうずくまり、アイはそれを見下ろしていた。トキコは立ち上がるどころか、言葉も出なくて、息を吐くので精一杯だった。

 トキコから少し離れたところには白い無機質な塊が落ちており、その断面は生々しい赤色を零して、鈍く煌めいていた。人型の中身はやっぱり人間だ。腕を落とされた人間がどうなるかは想像がつく。その人間は……中身がカリンだと思うと心臓は潰れて壊れそうなくらい早鐘を打った。

 アイはゆっくりと、トキコの方に振り返って口を開く。何か言っているのか、それさえもトキコにはわからなかった。その時に心臓の音を搔き消すような爆発音が空に響いて、同時にアイは弾けるように数メートル飛ばされて、ぐしゃりと倒れた。


 カリンの後ろにいた人型は三人になり、アイの手が届かないところに立っていた。そのうちの一人が両手で抱えている、白い銃から立ち上がる煙を風がふわりと搔き消した。その間に、人型が無機質の箱の方から数名、近づいてくるのが見えた。

 ゆっくり流れる風景に反して、目まぐるしく変わる状況に、トキコは必死にしがみつこうと、倒れたアイに手を伸ばした。そんなアイを二つの白色が取り囲んでしまい、アイに向けられたそれは、アイを壊してしまう。


 「アイ──」


 「悪い子。あんな危険な玩具に手を出すなんて」


 トキコの掠れた声に被せた、この声は、ヨーゼフのだ。のんびりした優しい言い方なのに刺々しい言葉で話すんだ。ヨーゼフは、虫の息のカリンに目もくれず、シオのそばに立った。


 「ねえ、シオ。君は、もっと聞き分けが良い子だったはずだよ」


 薄汚れた白い手がトキコの左腕を掴み、引っ張り、立たせる。

 足に怪我をしたわけでも疲れているわけでもないのに、一人じゃ立つことさえ難しかった。足が足じゃないみたい。細い鉛の棒でも付いているようだった。


 「カリンは許可したけど、あれは危険だからここでお別れしなさい。どうプログラムしたのか……少し調べてみたかったけど……」


 ヨーゼフを見上げると、白いガスマスクみたいな人型が真っ直ぐとアイの方を見つめていた。アイを囲んだ人型の一人が何か肩の機械……通信機だろうか、それを使って話している。もう一人は、アイに銃を向けたままだった。


 「あの子……どうするの……アイちゃんはわたしの……」


 「言ったろう。ここでお別れするんだ。君の友達は研究所にたくさんいるんだから、玩具一つくらい我慢しなさい」


 「いや……!! お別れなんてしたくない!!」


 「いい加減にしなさい!!」


 トキコはヨーゼフに腕を強く引かれ、よろけたところで頰を、人型の硬い手で殴られた。トキコはヨーゼフの手から離れて転び、全身を地面に強くぶつけた。口の中に血の味が広がっていく。

 視線の先にカリンが入るが、血溜まりの中にうずくまった白い塊はもう、ピクリとも動かなかった。


 「こっちが優しくしてるからって調子に乗るなよ……」


 普段は殴られたぐらいで泣いたりなんかしないはずなのに、トキコは地面に這ったまま血反吐を吐いて、ぐちゃぐちゃに涙で顔を濡らした。

 これが、怖いんだ。地下都市では、大人たちが子供を捩じ伏せる。だから、痛いのも怖いのも大嫌いだから、トキコは良い子でいたんだっけ。このまま帰ったら、何されるかわからない。酷い罰を受けるだろうか。それが嫌なら、今からでも良い子にならなきゃいけない。


 「ヨーゼフ、早く40番の拘束を。また逃げられたらこっちの首が危ういんだから」


 トキコのそばの人型は、全部で七人になっていた。トキコは後から来た一人に両腕を掴まれて、震える脚で無理に立たされた。


 「了解しました……。なあ、そろそろ良いだろう。早くこっちも拘束を」


 ヨーゼフはアイの方にいる人型に呼びかける。仕事の話はわからないから、トキコはただ呪文みたいに切れ切れと「ごめんなさい」と泣きながら繰り返した。この場にいたくないし、彼らと共に戻りたくないのに、逃げ出すなんてそんな不可能なこと、考えられなかった。


 「待ってくれ、まだこっちのロボットの処理が──」


 地下都市の大人の声がプツリと途切れて、木々のざわめきがよく聞こえた。

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