第22話

 ロロはわたしより少し小さい女の子。

 栗色の髪に、まん丸な目。年上の子にはすごく甘えっ子。歌とダンスが上手で、いつもニコニコしていた。


 「ロロが笑うとね、みんな笑ってくれるのよ。シオちゃんが泣いてたら、ロロは笑ってあげる。変な顔して、シオちゃんが笑ってくれるまで、ずーっとニコニコしてるよ」


 そう言って、トキコが怒られて泣いてる時は必ず笑わせに来てくれた。そして、職員にプンプンと怒っていた。「シオちゃんを泣かせたらダメ」って。少し、他の子よりも職員とは喧嘩することが多かった。他の子が泣いてるからって怒ってくれていた。

 ロロは、甘えん坊だけど、とっても優しいんだ。


 ただ、困ったことにトキコがツバメと一緒にいるのを見つけると必ず間に割って入る。

 あの日も談話室で、ツバメと話していた。ツバメは面白い話があるんだって紙に下手くそな絵を描きながら、カメレオンという生き物の話をしていた。その時もロロはトキコにすり寄ってきた。


 「サクは、嫌。ロロ、サク嫌い」


 トキコがどれだけツバメの話が面白いか、ロロに話しても、ロロは聞く耳持たなかった。そんな時、ツバメは悲しいような、怒ったような顔をするのだった。


 「そんな風なら、僕もロロのこと嫌いになるよ」


 「いいもん。嫌い同士の両思いだもん」


 ロロはそれで満足そうだった。トキコはため息一つ吐いて、ロロのご機嫌をとっていた。ツバメの方がお兄さんなのだから、その方が丸く収まる。

 ツバメだってみんなに優しくて、慕われるお兄さんだったのにロロは何が気に食わなかったのだろうか。何回聞いても「サクだから」「嫌いなものは嫌い」で返されてしまった。


 二人が、仲良くしてくれれば良かったのに──


 

 目を覚ますと真っ暗だった。湿っぽい空気に、水の流れる音や、聞いたこともない不規則な声や、風の音がどこかで聞こえた。

 本当に目が覚めたのだろうかと疑いそうになるが、この全身の鈍く、酷い痛みが現実だと証明してくれていた。


 硬くて凸凹で不快な地面からゆっくり体を起こすと、「トキコ」と呼ぶ機械音がした。アイだった。


 「アイちゃん……?」


 「ウン、トキコ、起キタノ」


 暗闇の中で、アイの声だけが響く。それだけで目頭が熱くなり、涙が溢れそうになる。


 「トキコ、怪我シタ。デモ、動ケルハズ」


 「ごめん……ごめん、アイちゃん……」


 トキコは地面についた拳を握りしめた。

 状況の理解は何一つ追いつかない。バラバラになった記憶をかき集めると、まずはアイを地面に壊れてもおかしくないほどの力で叩きつけたことが思い浮かぶ。ロロが笑いながら、脚を振り下ろしてきたことや職員たちが自分を捜していたことも、何もかもが酷い。酷いことをされ、自分も酷いことをした。


 「トキコ、今ハ、寝テ。暗イノ、何モデキナイ」


 冷たい手が、トキコの頭をポンポンと叩く。昨日切った額が痛む。まだ、この痛みに悶えてた時は幸せだった。

 どこでどんな状況かもわからず、不安でしかなかったが、トキコは全身の疲労や痛みに耐えかね大人しくゆっくりと横たわった。地面が冷たい。


 「アイちゃん……」


 「アイ、朝マデ何モ答エナイ。省エネモードニ入ル」


 まだ伝えたいことも聞きたいことも山ほどあるのに、アイはその言葉を最後にトキコの呼びかけには反応しなくなった。

 地下深くに棲む怪物に飲み込まれたような暗闇の恐怖と、全身の痛み、アイへの後悔、そしてロロのことを思うと眠気なんて全くこなかった。


 ロロがちゃんと職員の元へ行けたのかも心配だし、何人かはきっと死んでしまったけど、カリンやまだ息のあった職員はちゃんと助けてもらったのだろうか。どれだけ嘘を吐かれても、あの人たちは自分を育てたんだ。あの人たちが苦しんだりなんかはして欲しくない。


 でも、もし……仮に、カリンの言う通りにしていたら。アイと地下都市に戻れたら、それはそれで悪くなかったのかもしれない。カリンが傷つくことも、職員たちが死ぬことも、ロロが怪我することも、アイを傷つけることも……何一つなかったんじゃないのだろうか。

 きっとツバメは「戻って来て、僕の頑張りを無駄にするなんて……」って呆れる。文句を言って口を聞いてくれなくなっても……それでも、絶対に仲直りはできる。地下都市の暮らしにアイが入ってこればきっと楽しい。子供たちも喜ぶし、何も悪いことなんて起きないじゃないか。


 わたしは最初から間違えていた……?


 外の世界は素晴らしかった。たった二日いただけで美しいものばかりを見てきた。もう十分じゃないか。贅沢で自由な世界の代償は、自分には抱えきれない、自分を満たしてもまだ溢れるほどの悲しみと後悔だ。


 「もう……帰りたいよ……こんな苦しいって知ってたら、自由なんて……いらなかったよ……」


 トキコはそれを吐き出すように言葉にした。少しでも口にしないと、この感情の蛇口は壊れてしまっているから、そのうちトキコを裂いて壊してしまう。


 「……トキコハ、自由ジャナイ」


 どこからともなく、アイの声が響いた。水や風の音と一緒に響いて心地がいい音だった。


 「自由ジャナイノハ、苦シイ……人間ガ、ソウ言ッタ……」


 「どういうこと……? 人間って……誰?」


 「知ラナイ……ワカラナイ……メモリーバグ……更新シタイ……ワカラナイノハ……エラー……人ナラ不快ッテ言ウ……」


 アイはそう言って、眠りに落ちたみたいにまた、静かになった。トキコは手の甲で涙を拭い、小さく丸まった。少し寒い。

 泣くのにも考えるのにも疲れて、目を閉じる。このまま時間が止まって眠り続けられたらきっと楽だ。これ以上良いことが起きない代わりに、悪いことからも逃げられる。


 だけど、心も体も痛いうちは、現状っていうのが有刺鉄線みたいな腕を巻きつけてきて、絶対に離してくれない。逃げることなんてできない。そのくらいわかる。地下都市の子供にだって理解るんだ。

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