第7話

 「トキコ、手を見せてね」


 立ち上がるや否や、ツバメはトキコの左手首の金属製のリストバンドにカードで触れる。リストバンドに、赤い数字の羅列が浮かぶ。


 「なに、これ?」


 「厄介な呪い……」


 ツバメは妙に慣れた手つきで、数字を順番に触れていく。一分もかからなかった。数字が水色に変わり、リストバンドが外れる。


 「な、なんで? 取っちゃうの?」


 「呪いが解けたんだよ、トキコ。さあ、行くよ」


 ツバメは「ふふ」と小さな笑い声を漏らし、トキコの左手首をそっと掴んだ。

 部屋を出て廊下を小走りで進んだ。足元だけライトで照らされているが、視界は暗くてぼんやりとしている。ツバメに手首を掴まれていなければ、きっと進めないだろう。寝室の廊下を抜けると談話室があり、そこに外に抜ける扉がある……のだが、ここも電子錠がかかった扉が三重になっており、抜け出すのは不可能。そのはずが、ツバメは音もなく、いとも簡単にすり抜けていく。

 職員の同行なしで、廊下に出たのは初めてだった。廊下は暗く、非常灯と呼ばれるライトだけに照らされていた。


 「ツバメ……今は何時?」


 「明け方より前。よく見てきてない」


 ツバメは淡々と低い静かな声で話す。そして、「悪いけど……」と続けた。


 「集中するから、僕が話しかけるまで声を出さないで」


 トキコは素直に従うしかなかった。静かに返事をしてツバメが進む方に、大人しくついていった。

 ツバメは、小走りしながら何か数字のようなものを呟いていた。


 妙だ。ツバメはさっきから階段を降ってばかりだし、職員にも誰も会わない。鍵がかかっているはずのドアはスルスルと抜けられるし……。でも、時々開かないからってトキコにドアをこじ開けさせた。ツバメは、両腕に改造を受けているし、男性なだけあって、トキコよりも力は強いのに、一切力仕事に手を出さない。


 「トキコ、ここも……壊して」


 三階くらい降りただろうか、階段から廊下に続く扉を壊すように指示をされる。あまり使うと、どんどんと腕が怠く痺れてくる。

 トキコは不服に思いながらも電気信号を送り、筋力を増幅させた。連続でやってきたのでそろそろ腕も怠く、痺れてきた。

 トキコがドアノブに手をかけた時、パッと手元が明るくなった。


 「見つかっちゃった」


 トキコが振り返り確認する前に、ツバメがなんでもないように、笑う。


 「こんな夜中に脱走なんてどういうつもりだ?」


 「この停電もサクの仕業だね? 面倒なことしてくれる……」


 薄い灯りの中、職員は長くて黒い……あれは銃だ。銃を向けて、目視で四人、立っている。体格から、手前に三人男性と、奥に女性。男性の一人は機械をゴチャゴチャと持っている。


 「二人とも手を挙げて、居室に戻れ──」


 職員が言い終わらないうちに、隣の影が飛び出した。

 空気の流れが止まった気がした。トキコもそうだし、職員たちもきっと驚き、時が一瞬固まり、ツバメだけが動いていた。

 ツバメは銃を向けた男性職員の首元を掴んで、顔面を殴った。職員は後方に吹っ飛び、倒れる。ツバメが彼から銃を奪うと、直後に二回、乾いた音が響き渡った。

 周りの職員が悲鳴をあげる。一人は座り込み、小さなタブレットを操作している。その隣でもう一人が縮こまり、震えていた。もう一名も小ぶりの銃をツバメに向けた。彼の足も竦んでいるのが見てわかる。

 倒れた彼は、最初の一撃で失神したらしい。両足が赤く染まってるのにも関わらず呻き声すらあげない。

 ツバメが銃を持ったまま一歩下がると、もう一度発砲する音が響く。


 「動くな、サク!! 何をしてるのかわかってるのか!?」


 「動けなく、したんだよ。殺す気なんてないんだから」


 ツバメは息を切らして、叫ぶ職員を見た。


 「お前のしていることは倫理に反しているんだぞ!!」


 「変なの。僕ら実験体に倫理なんてないのに、僕らには守れって……本当に勝手だよね」


 ツバメはトキコの方を見た。真剣に、作ったように微笑んでいる。左頬から血が流れている。ツバメのそんな顔を見ていると、体が凍ったみたいに動けなくなる。

 トキコは何も出来ず、ただ見ていた。ツバメを助けることも止めることも、職員を助けるべきか、もう何が正しいのかわからない。声さえ出せなくて、息をするので精一杯だった。

 ツバメは銃を彼に向けた。今度は二発、発砲される。ツバメがよろけ、もう一度発砲する音が響く。

 職員は銃を落として悲鳴をあげた。クリーチャーの声も、あんな感じの時がある。


 「僕のことは一撃で仕留めないと、ダメって言われなかった?」


 手から血をダラダラと流している職員に、ツバメは冷たく言う。そんなツバメも左頬と、さらに右の二の腕も撃たれて出血していた。


 「痛みには、キミらの何倍も強いよ。僕らをそういう風にしたのもキミらなのだけど」


 「サクを制御しろ!! いつまでかかってるんだ!?」


 「それが、できないんですよ!! サクにもシオにも制御が効かない!!」


 なにもかも思い通りにいかなくて、職員たちは血を流したり、役に立たない機械をいじくりまわしたり、そうやってお互いが叫んでいる。


 「呪いを解いたんだもん」


 ツバメは砕けた口調に反して、低く冷たい声で吐き捨てた。


 「お願いよ……シオ、サクも……戻りましょう? 今ならヤドリギ局長も許してくださるから……わたしも、一緒にお願いするから……」


 女性職員は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃににして、震えながら話した。


 「決まったことは変わらないんでしょ。許されるくらいで、僕は戻らないよ」


 ツバメは抑揚のない声で言って、また、発砲した。



 「トキコ、ルートを変えるよ」


  結局、ツバメは全ての男性職員の手足を、撃った。

 銃も通信機も……とにかく機械類も全部破壊して、ツバメは、「早く手当てしてあげてね」と女性職員に言い残していた。

 最後に女性職員からハンカチを奪って手を拭いて、軽く自分で止血をしてからトキコの手を取った。ツバメの手は小さく震えていた。


 その後も、ツバメと一緒に歩いた。ツバメの足取りは確実に遅くなっている。

 心配して名前を呼ぶと、手を強く握って答えてくれた。

 トキコはツバメの後ろ姿を見ながら疑問ばかりが浮かんだ。

 ツバメは、なぜ銃を使えたのだろう。いつ、使い方を覚えたのだろう。女性職員に怪我をさせなかったのは他の三人を助けてもらうためだ。そこまでの優しさを持つのに、あんな風に怪我をさせるなんて。

 考えれば考えるほど、ツバメが冗談なんて微塵も思っていなかったことを理解してしまう。


 何回階段を降りただろうか。たどり着いたのは、忌まわしい司令室だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る