第42話
トキコは落ちた本をまとめて同じように積み上げた。本の中の文字の海、ネットワークの回線を辿った先に正しさを教えてくれる誰かがいたら、きっと楽になれる。暗いトンネルでアイが手を引いてくれたみたいに。
「トキ!! 人手足りねえから来てくれないか」
ちょうど全て積み上げたところだった。ツルギの声に驚き、手元が狂って綺麗に積み上げた本が半分ほど崩れてしまって、ロイムの空のコップをひっくり返した。コーヒーが溢れると錯覚して慌ててコップを拾い上げていると、ツルギとウェルの声が「早く」と急かしてきた。トキコはコップを適当に置いて、マスクを手にして、言われるがままに診察室の方へ向かった。
妙な光景だった。
ゲンはハヤと同じ歳のお兄さんで、ウェルやロイムよりも筋肉質でガタイが良い。そのゲンを椅子に座らせて、ツルギとウェルが両脇から2人がかりで羽交い締めにしている。その正面でロイムは呆れた表情を浮かべていた。手には裁縫道具みたいな器具。
何事かと聞いたところ、機械操作で失敗して左腕をざっくり7センチほど切ってしまったらしい。そこを縫うのだが、ゲンはそれが怖いらしい。
怖いのは怖いが大の大人の男性がそんな態度じゃいくらなんでも呆れてしまう。
「男らしくねえぞ!! 7センチ切ったんだからもう怖いことなんかねえだろ!!」
「俺は布じゃないんだ!! 人間を縫うとか、気が触れたのかよお前ら!!」
「半年前も同じこと言ってたなお前。あの時の傷も縫って綺麗に治ったろ」
「あの、わたしは何をしたら……」
トキコはマスクを両手で握り締めて聞く。
「トキがゲンを羽交い締めにして、ウェルが腕を固定、ロイムが処置で、オレはロイムの直接介助」
トキコはマスクを診察台において、彼らに近づいた。ゲンの脇に両腕を入れて動かないように固定すると、ツルギとウェルが目線で合図して離れる。案の定ゲンはもがいたが、見た目以上にゲンには力がなかった。ウェルが少し面白そうに笑って左腕をピンと伸ばすように固定した。
その直後に診察室に轟くような悲鳴が断続的に突き抜けた。ロイムの手捌きは見惚れるほど素早く傷口を結んでいった。
一連の作業が終わると、その場にいた全員がぐったりとしていた。ゲンは半泣きで、ツルギは床に座り、ウェルは診察台にだらしなく座っていた。
トキコも例に漏れず、壁にもたれて下唇を軽く噛んでいた。治療とはいえ、無理やり囚われていたゲンがなんだか可哀想に思えて仕方ない。
トキコはくちゃくちゃになった髪を解いてリボンを手首に巻きつけた。
「トキ、お前力強すぎだろ」
パッと顔を上げると、ゲンは仕上げのガーゼをあてがわれていた。その状態で振り返られず、背中でか細く言う。トキコは手櫛で髪を整えながら答えた。
「そうなのかな……」
トキコの返答にゲンは「もう無理。何もしない」と肩を落とし、落胆した様子が見て取れた。
「ロイム、筋肉を外に連れ出すのはまずいよな」
「明らかにまずいな」
「鬼畜かよ、お前!!」
トキコはウェルとロイムとゲンのやりとりを見ながら、髪をいつもの位置に束ねようとした。そこにすかさずツルギが口を挟む。
「トキはポニーテールの方が似合う」
少し離れた床に座ったまま、ツルギはこちらを見上げていた。トキコはどうだろうと考えつつも、そのまま束ねた髪を高く持ち上げた。
「こっち?」
「うん、それ」
トキコが髪を高く結うと、ツルギは少しだけ鼻で笑って顔を背けた。トキコは上手にできたと尻尾みたいな髪を軽く振ってみた。
その前を使い終わった器具を持って、ロイムが部屋を出ようと通り過ぎる。「トキ、助かった。ありがとうな」とお礼を言われ、緩く笑って見送った。それから、突如ゲンはさっきまで子供のように泣き喚いていたことなんてなかったかのように勢いよく立ち上がり、トキコの方を振り返る。
「俺も……次もなんかあったら頼むぞ」
次も暴れる気なんだなと思いながら、出て行くゲンに小さく手を振った。
「あーくそ……相方探すのだる……っ」
先程のウェルたちの話からすると、ウェルはゲンと外に調達へ向かうつもりだったらしい。大きな怪我をした状態ではいくら防護服を着ていても、毒に曝されるリスクが格段にあがる。傷口に毒が触れるとそこから細胞が破壊されて、組織はたちまち壊死していくのだ。そうシェイリが教えてくれた。
「ツルギはこの後何すんだ?」
ウェルが珍しく、ちゃんと名前を呼んでツルギに尋ねた。ツルギはどういうわけか得意げな顔をしてウェルを横目で見上げた。
「機械整備。明後日までに終わらせたいのが大量にあるんだ。だからウェル、手伝わねえぞー」
「クソガキは」
まさか自分に話が来ると思わなくて、トキコはびくりと肩を振るわせ、背筋を伸ばしてスカートを払う。
「えっと……特に……わたし、これって仕事ないから。みんなの雑用しようかなって──」
「じゃあ、お前で良いや。手伝え」
トキコが言い終わる前にウェルは食いつくみたいにそう言って、診察台に放置されたマスクを手に取って立ち上がる。
「お前のマスクだよな?」
トキコはウェルにマスクを顔に押しつけられて、肩を竦めながら慌ててマスクを手で支えた。
「なら行けるな?」
「どこって……外……?」
トキコはマスクを顔から外して、ウェルを睨みつけるように眉を顰めたが、彼はトキコがどんな顔をしようとまるで気にしていない。そこに割り入ったのはツルギだった。
「ちょっと待てって!!」
いつの間にか床から立ち上がってウェルの真横に立って険しい顔をしていた。2人の身長は同じくらい──よく見るとツルギの方が僅かに大きい──なのだが、どことなくツルギはやっぱり仔犬が凄んでいるように見える。
「なんだよ、クソ野郎」
「オレのあだ名、ただの悪口じゃん……」
「わたしと大差ないよ……」
「クソガキ2人だとわかりにくいだろ」
「じゃなくて!! トキに何させる気なんだよ」
ツルギはウェルに掴みかかりそうな勢いで詰め寄る。「近い」と、ウェルはさも面倒そうにツルギの額を掌で押して離す。
「昨日残留機械をポンコツが倒したろ。それの回収が終わんねえんだ。他の都市の奴らに見つかったら勿体ねえし」
「アイちゃんが!? わたしそんなの聞いてないよ!!」
考えもしなかった事実にトキコは慌てて声を上げたが、ウェルもツルギさえもこちらを見ることはない。
「そもそも、初めての外がウェルと2人とか!! トラウマもんだろ!!」
めちゃくちゃ無視されてしまった。かと、思えばウェルは突然「何言ってんだよ」とトキコの肩に手を回した。天敵に捕まった小動物みたいにトキコはびくりと肩を震わせて、体が強張った。
「俺とクソガキは仲良しの親友だ」
「違うよ……!!」
トキコはウェルの手を掴んで体から離し、逃げるように彼から半歩離れる。その様子にツルギはおかしそうに吹き出して、反対にウェルは不服そうに口を尖らせ、トキコにデコピンを食らわせた。
「とにかく、たまには役に立てよって話だ。準備してこい」
「わかったよ……」
ウェルと2人で行動するのは率直に嫌だったが、特に断る理由なんてなかった。それに、今は何かに集中したかった。あの人の考えを読み解くなんて不可能なんだから考えない方が良いんだ。
「ちょっと!! オレも行くって!!」
ツルギも慌てて、少し自棄になったように叫ぶのを背に、トキコは自室へと向かった。
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