第43話

 自室で着替えた後、廊下に出るとツルギが一人で待っていた。ツルギ曰く、ウェルは彼にトキのことを任せて早々に準備に行ってしまったらしい。食事後に出入り口集合だと一方的に決められたらしい。

 雨はいつのまにか止んでいた。遠く、ガラス越しに雲の切れ間から光の筋が見えた。アイの言う通り、いつの間にか晴れたんだ。


 ハヤの食堂で食べるとツルギに連れてこられたが彼は不在で、代わりに掃除をしていた同世代くらいの女の子──ランが用意してくれた。豆のスープと栄養素入りのカチカチパンだった。メニューに肉がなくて少しホッとする。

 お喋り好きなツルギが珍しく彼女から目線を逸らして無言だ。ランの方もトキコには軽く話しかけてきたのに対し、ツルギには「んっ」と皿を渡しただけだった。仲が悪いんだなと、トキコは居心地の悪さを感じて硬いパンを齧るのに専念した。

 食事を終えると、ランは「2人分洗っておくね」と、やたらとトキコにニコニコしていた。ドギマギしながらお礼を言って、ツルギに引っ張られながら2人は食堂を後にした。


 イラハにひとつだけあるという出入り口に向かう。イラハはざっくり言うと丸い形をしている。空気の綺麗な中心部はが生活空間で、遠心部は空気の浄化装置や生活空間を守るための装置で固められている。だからだ。遠心部の方が機械音がゴウゴウと唸りをあげている。ツルギはトキコに話す隙を与えない勢いで説明してくれた。

 「怪獣が怒ってるみたい」と伝えると、ようやくツルギは絡まった糸が解けたみたに笑って「そろそろマスクしておいた方が良い」とツルギは声を張り上げた。ツルギのマスクは、燻んだ白地に青のラインが入ったデザインだ。ゴーグルも暗く色がついている。なんだか、地下都市で見たアニメの正義のヒーローみたい。はるか昔の文明機器であるスポーツカーに乗った主人公がトランスフォームして戦うんだ。

 トキコもマスクを顔に押し当てて、ベルトを調整した。顔を上げるとレンズ越しの視界は曇っており、吐息がマスク内で滞る感覚がした。フィルターを通しているからか、呼吸をする度に空気がか細く鳴るのだった。世界から遮断されて、窮屈で不快だ。


 「あれ、そのマスク……シェイリのお下がりか?」


 ツルギの声がくぐもって聞こえた。


 「知らないけど、シェイリからもらったよ」


 「見覚えあるからさ。あいつ、マスクの扱いが雑だからよ。フィルター、交換されてるかな」


 そう言って、ツルギはトキコのマスクに触れる。マスク越しにコツンとレザーの手袋がぶつかる。触られているようで、感覚がしない。それがまた奇妙なもので、トキコは怖いもの──例えば、見たことない実験器具とか──でも見た時みたいに呼吸が浅くなった。


 「交換されてるの、つけてからでもわかるの?」


 「一応……ぱっと見綺麗か……」


 ツルギが手を離して、ようやく肩の力が抜ける。


 「どっちにしても、わたしなら大丈夫だと思うけど」


 「だな。それから今日はトキの分を用意できてないけど、本当はインカムもつけるんだ。ほら声が聞き取りにくいだろ?」


 ツルギはそう言って耳元の黒い、イヤホンを見せてくれた。

 そこからもう少し歩いたところで、継ぎ接ぎのビルの壁と金属の扉があった。両開きのようで、5人くらい横並びで手を繋いでも余裕で通れそうなくらい大きい。外へ続く扉は元々あったビルを利用した二重構造になっている。浄化装置も集落の中で一番多くして、できる限り毒の侵入を防いでいるのだった。ツルギは段々と大きくなる浄化装置の唸りに負けないくらい声を張り上げて教えてくれる。

 トキコは、大きなお城みたいな扉を見上げて、これがゆっくりと開くのを想像しては胸が高鳴った。物語の主人公の門出みたいに思えて、妙に緊張するのだ。

 その時、ガツっと前方で金属を重たく殴るような音がして、そちらにトキコは目をやる。巨大な扉の中に、人間サイズの片開きのドアがついていて、そこを誰かが開けたのだった。

 

 「そこが開くの? この大きい方のは開かないの?」


 「そりゃ、よっぽどのことがなければ開かねえぞ。オレも見たことないし」


 黒地にカラフルなペイントをあしらったマスクの人物にも拍子抜けして、誰にも気付かれないように落胆した。

 ウェルも意外と可愛いマスクをするのだと思っていたら、彼はウェルじゃなくて今日の門番だった。門番は人の出入りを管理する当番制の仕事らしい。彼曰く、ウェルはバイクを準備しているということだった。ツルギは手伝いに行くと門番が使ったドアを開けて入っていった。

 取り残されたトキコはどうしていいかわからず、ぽつんと佇んでいた。相変わらず、浄化装置が唸っている。まるで、封鎖された空全体が震えている気がして、急に怖くなった。そこに門番が近づいてきた。


 「シェイリかと思ったけど、あんたはトキだね」


 門番はくぐもった声でそう言う。それから、ハッとしたように声を少し高くした。「リドーだけどわかる?」って。首を振ると彼は首を傾げて「だよね」と笑った。

 彼に案内されて、門──とは言うけどやっぱり建物にしか見えない──の中へ入る。中はコンクリートの廊下だった。数メートル先にドアがある。側面はおそらく窓があったのだろう、全て頑丈に目貼りされている。電球で照らされたそこは、薄暗く不気味と同時に、封鎖された空間に対してどこか懐かしさを覚えた。

 廊下の途中にもドアがあって、リドーはそこを開けた。ドアの先はだだっ広く、廊下と同じ電球が光源になっていてバイクが何台か置いてある。その中の1台を引っ張り出して、ツルギとウェルらしき人が2人で忙しなく機材を触っていた。

 リドーについていきながら、あたりを見渡す。何メートルも先に壁全体を引きちぎったみたいな大穴があり、外が見えた。何か、灰色の塊がたくさん見える。


 「置いてきぼりなんて可哀想なことして」とリドーに呆れ半分に叱られて、ツルギは何か反論しているようだが、聞き取れなかった。

 ツルギが近づいてきて、「ついてくるかと思ってたんだ」と弁解する。それにはトキコも気にしてないことを伝えると、早々にバイクの方へ走って行ってしまう。リドーも持ち場へ帰ってしまったし、トキコはまたも放ったらかしにされた。仕方なく少し離れた所で、2人の様子を見ていることにした。

 結局見ていても何をしているのかはさっぱりわからなかったが「荷台を取り付けていた」と後で教えてもらった。数分待っていると、作業は終わったみたいだった。トキコはウェルのバイクに取り付けられた荷台に乗るように言われた。


 「最後に使ったやつがちゃんと整備しねえんだよ」と愚痴を垂れながら、ウェルはトキコのベルトに金具を通してフックで固定した。なんだか、写真で見た飼い犬みたいだと、トキコは軽くベルトを引っ張り、カチャカチャと重たく鳴らす。


 「ウェルの運転はクソだからしっかり掴まっておきなよ」


 「無駄口叩いてねえで、さっさと行くぞ。クソガキ、そこ捕まっとけや」


 ──そこってどこだろう……なんて考える間も無く、エンジン音がガタガタと面白いくらいにリズムを刻み始める。トキコは慌てて荷台の掴めそうな縁を両手で握りしめる。ウェルの防護服とマスクに、それからはみ出す髪も、全部真っ黒だ。バイクに跨った後ろ姿はなんだか機械の一部みたいだとトキコは思った。

 そうしていると、ゆっくりと前進していることに気がつく。少し、乱暴に揺れながらも加速して行く。トキコは胸が高鳴って、狭いマスクの中の空気を無理に吸い込んだ。──このくらいなら大丈夫。振り落とされるなんて大袈裟なんじゃないか。そう思った矢先、トキコの体はガンッと前方から衝撃を受けてのけぞって、反動で舌を噛んだ。

 突然の加速に体はついていけず、左右に振り回されるように揺さぶられた。必死になってしがみついていないと、きっと落っこちてしまう。ギュッと目を瞑って、耐えているしかなかった。真っ暗な中、瓶に詰められて大きな手がそれを振っているみたいだ。

 不意に蓋が開くみたいに、瞑った視界に光が差し込んだ。恐る恐る目を開くとガレージから出ていたのだった。

 ゴーグル越しに見た空は少し燻んでいた。荷台の縁にしがみつきながら、久々の開放感に息を飲んだ。瓶の底から投げ飛ばされたんだと、掴む手に力が入った。

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