第38話
きょとんとしたツルギにトキコは泣きそうになり、おずおずと口を開く。
「だから、こんな風に……生き物を……こ、殺して食べるのは……」
「ここでっつーかよ。全人類の共通だ」
喉の奥で言葉がつっかえる。真綿でも押し込まれたみたいだった。それに答えたのはウェルの方だった。長い前髪から怒ったように吊り上がった目が覗く。そんなウェルの様子に、ツルギは被せるように穏やかに言う。
「食ったことあるだろ? 今時、ヴィーガンなんて大釜の上層部にくらいしかいねえし」
「そもそも昨日の──」
「ウェル」
突如現れたアイがウェルの頬をパンチした。ウェルの顔が凹んで間抜けになった。かと思えば、弾かれたようにアイの腕を振り払う。
「いってえな!! ポンコツどこから湧きやがった!!」
「アイ、ロボット。ロボットハ、湧カナイ。ウェルハ、バカ」
頬を赤くされたウェルとアイが茶番を繰り広げるのを無視して、ツルギは半笑いと驚きが絡んだ妙な表情を浮かべた。
「……まさか、本当に食べたことない?」
「合成肉は食べてたよ……」
職員が言っていた。植物性もしくは人工のタンパク質で肉のように形成した食べ物だって。わたしたちに肉は必要ないって言って教えてくれた。
「だって、食物連鎖は野生動物だけで……動物は殺しちゃいけないって法律が昔出て……残酷だから……」
「なんだろ、それ」
ハヤが原木みたいな肉を皿に乗せて、ウェルの前に置く。湯気が立っていて、細かいガラスみたいな塩が軽く振りかけられていた。
「大釜だとそれなりに動物愛護はあるけど……」
「つーかよー。食物連鎖から外れるとか、クソガキは神にでもなったつもりなのかよ」
ウェルはトキコをバカにするみたいに見下して、わかりやすいくらい意地悪に口をひん曲げて笑う。
「なら、お前一人で死ねよ」
あまりにも剥き出しの、尖った刃みたいな言葉に胸の骨は砕かれて、小さくて軟弱な心臓は抉られた。その衝撃はトキコの目頭を熱くして水滴を溢すのに、あまりに大きかった。
それにいち早く反応したのはアイであり、コンマの差でツルギが立ち上がり、ウェルの胸ぐらを掴んだ。アイは拳を握ったまま無表情でウェルを睨みつけていた。
「ウェル!! いくらなんでも酷いだろ!!」
「言葉ノ暴力。泣カスナ、バカ」
「うぜえんだよ。人の後ろに隠れて何もできねえくせに、適応しようともしねえで。それでお高く留まってよ」
身動きが取れないにもかかわらず、ウェルはたっぷりと余裕のある表情を崩さない。その様子がたぶん気に食わないのだろう。アイは無表情のまま拳を振り上げる。
「殺ス」
「あんたは落ち着けって」
ハヤがパッとアイのツインテールを掴んで静止する。
「何も犠牲にせず生きられるほど甘くできてねえんだよ」
「わかってるよ!!」
俯いたまま、トキコは叫んだ。シェイリがくれたスカートにポタポタとシミができる。
一瞬にして人の声は止む。ウェルもツルギたちも、周りの狩人たちも。キッチンで轟々と調理器具が鳴いている。トキコはスカートをギュッと握りしめた。ガタガタと体の震えが止まらなかった。
「わたしが、幸運とアイちゃんや他の人に助けられて、かろうじて生きてこれたことくらい……ひとりじゃ何もできないことくらい……そんなの……」
アイと出会わなければわたしはきっと今頃誰にも会えずにどこかで死んで腐っているか、地下都市に連れ戻されて、全て後悔するくらいの罰を受けていた。そうだ、それなのにわたしはわがままで、どうしようもないくらい馬鹿で弱い。
「わかってる……なんてずるい言葉だよな。理解してるだけで、何になる?」
意地悪なウェルの声に、涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔を上げる。意外にもウェルの表情は怒ってるわけでも嘲笑ってるわけでもなく、力が抜けて率直に悲しそうに見えた。
そんな顔されてるなんて、拍子抜けしてしまう。体の震えも涙も止まって呆然と彼と目を合わせた。
ハヤが「もうよせよ」とウェルを無意味に嗜めている。ウェルはツルギの手を振り払って服を直し、椅子に座り直す。手持ち無沙汰になったツルギも眉を吊り上げたまま手を軽く振り、そのままウェルを見下ろしていた。
妙に穏やかな空気が流れ、あたりは徐々に騒がしくなる。
「よくわかった。お前やっぱり人間じゃねえな。人間のフリした……操り人形だ。まだ、地下都市に操られてる。まじで哀れ」
「いい加減にしろって!! トキも無理すんな!! お前に食えるのはいくらでもあるし、こんな奴の言い分なんか──」
「だから死ぬしかねえんだよ。できないつって逃げてたら結局ここでは生きていけねえ」
静かに、ウェルは吐き捨て伏し目がちにトキコを睨む。
トキコは歯を食いしばって、フォークを握りしめ、スープに沈んだ死体を見つめる。ガチャリと大袈裟に食器がぶつかった。
「……っ」
「トキ?」
「わたし……絶対に生きる……からっ!! 助けてもらった分、ちゃんと……がんばるから!!」
フォークを肉片に突き刺す。ブチブチと貫く感覚が指先から伝わる。先人たちがそうして生きてきたのなら、わたしだけできないなんてはずはない。
持ち上げられた肉片から汁が垂れている。
ツバメが自由をくれて、アイが守ってくれて、イラハの人たちが救ってくれた、わたしの命は地下都市の物じゃない。易々と捨てていい物じゃなくなったんだ。ならば、価値をつけてくれた人たちに応えるのが道理なんだ。
トキコは肉に噛み付いた。ハヤの言う通り、柔らかい。歯が肉の繊維をぶつ切りにして、生々しく気持ち悪い。むせこんで、収まった口から溢れそうになるのを必死で耐える。舌の上に転がったそれは生臭いけど、少し甘みがあって香ばしい。こんなの、地下都市じゃ食べたことはなかった。噛み砕いていくと、スープの味が染み出す。甘辛く鼻に抜けるような、きっとハーブが入ってるんだ。
感触は気持ち悪いのに、味は美味しくて、気がつけばまた涙が溢れていた。壊れた水道みたいに止まらない。たぶん、みんなに笑われてしまうような顔をしている。
ごくり、と大きく喉がなった。口の中から肉は消えて胃袋に入っていった。
トキコはぼやける視界にウェルとツルギを捉えた。2人とも目を開いたまま固まっている。もう一度、息を切らしながらトキコはフォークを肉に突き刺そうと目線を戻した。すると、「やるじゃん」とぽつりと声が聞こえて、顔を上げるとウェルがニヤリと笑う。
「トキコ……」
アイが首を振ってツインテールを揺らし、ハヤの手を振り解いた。そして、そのままトキコの腰にしがみつく。
「アイちゃん?」
「食事の邪魔すんな。ポンコツ」
ウェルがそう言っても反応せず、アイはただトキコを抱きしめていた。
ツルギがキョロキョロと落ち着かない様子でトキコとアイ、ウェルを順番に見て、最後にハヤを見上げた。ツルギと目を合わせて、ハヤはふっとため息をついただけだった。
「ま……オレらも食うか。一緒に食った方が美味いし!!」
そう言って、ツルギもフォークを取る。
トキコは右手でアイの頭を撫でて、深呼吸。涙を袖口で拭いて、そしてもう一度、肉にフォークを突き刺す。今度はきっともう少し大丈夫だ。
「おい、トキ。祈ってねえだろ。ツルギ、教えてやれよ」
「ああ、うん。トキ、一旦フォークを置いて、オレの真似して──」
トキコは指を組んで、ツルギの説明を聞きながら、少し不思議な感覚がしていた。それは一口、たった一口だけで違う世界に来たみたいだったのだ。
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