第11話
腰と背中と頭の順にぶつけた。ガシャンと何かが地面に叩きつけられる音がした。一瞬、空が綺麗だと思ったが、そんな感動は痛みで吹き飛んでしまった。
「いったぁ……」
トキコは後頭部に手を当てて寝転んだまま地面にうずくまる。涙が勝手に溢れてくる。
「トキコ……ダイジョーブ……?」
アイがそばまで来てしゃがみこみ、頭頂部を撫でた。そこは痛いところじゃない。
しばらく悶えていたが、少し治ったところで深呼吸をする。腕も、ピクピクと痙攣し、鉄の塊でもつけられたみたいに重たく痛かったことに気がついた。
「はは……ぶつけちゃった……」
トキコは力なく笑いながら、体を起こす。アイはまた、トキコの顔を覗き込む。
「トキコ……マタ、泣イテル……」
「大丈夫だから、ちょっと頭貸してね」
「アイ、頭、外レナイ……設計……」
そうじゃなくて、とトキコはアイの頭に左手を置き、支えにしてフラフラと立ち上がった。
身体中は痛いが、なんとか歩けそうだ。
トキコは穴の空いたフェンスを見た。草はトキコの腰くらいの高さだ。アイを見失わないか心配になる。
「アイちゃん、手、繋いで行こうか」
「ウン」
アイはトキコのすっかり火照った右手を自分の大きな手で掴んだ。アイの機械の手は冷たくて気持ちが良かった。
トキコは左手で、草を掻き分けながら塔を目指して歩く。むき出しの足に、チクチクと葉が当たって不快に感じた。
だけど、だんだんと視界が広がっていく様は楽しかった。目の前を飛んでいく不思議で、少しグロテスクな生き物……本で見た虫も本物は初めてだった。
鬱陶しい草むらを抜けると、灰色の硬いひび割れた地面が姿を現し、数メートル先には柵がある。そしてその柵の向こうの景色を見て息を呑んだ。
「広い……」
視界一面が水溜りだった。さっき廃材の山に登った時も広いと感じていたが、それは比にならない。ここは先が見えないのだ。
「海、ダヨ」
アイはトキコの手を離して、柵を掴んだ。トキコは目を細めて、視界いっぱいの青を捉えた。
「本当に……すごく綺麗──」
そう呟いた途端、右横で何かが視界の端から消え、代わりに鈍い音が真下から聞こえた。
トキコが自分の右隣を見ると、そこにいるはずのロボットが消えて、柵も無くなっていた。
「アイちゃん!?」
真っ先に下に落ちたとわかった。トキコが下を覗くと鈍い銀色の塊が地面に投げ出されていた。
それは、全く動く気配がない。
高さ自体はさほどあるわけではない。ただ、降りるにしても骨が折れそうだ。
トキコはあたりを見渡して、何か降りられる場所はないか探す。少し離れた柵沿いに階段がある。トキコは慌てて階段を降りた。地面は見た目以上に柔らかく、粉の上を歩くように足が沈む。それに足を取られながらも、落ちたアイのもとへ急ぐ。
アイは、ぺたりと座り込んでいた。
「アイちゃん? 大丈夫?」
アイは、ゆっくりと顔をトキコに向け、見上げた。
「トキコ、落チタ」
「そ、そうだね……」
壊れちゃってないかと、トキコは心配していたが、アイは何ともなかったように立ち上がり、海の方へと歩き出す。
「どこ行くの?」
「アイ、海、見タイ」
トキコは勝手に行ってしまうアイについていった。
海も、不思議なものだった。水がどこからともなくまるで生きているみたいに寄せて、また引いていく。いったい何がそんなことを起こさせているのだろう。
アイは小さく座って、手で水をパシャパシャと弾いた。トキコもしゃがみこんで泡立つ水を触る。冷たくて、気持ちがいい。まだまだ熱を帯びた左腕が冷やされて少し楽になる。
「そろそろ行こうか」
トキコはゆっくりと立ち上がる。体がどうしても重たいが、灯台に着くまでは休みたくなかった。時間が無いことはないが、早く行った方が絶対にいいだろう。ツバメのためにも。
海の水は足元に押し寄せて、水に押された地面がトキコの足型を作る。
「ウン」
アイは小さな黒っぽい艶々した塊を手に乗せて、トキコを見上げた。塊はよく見ると小さく動いていた。
「なあに、それ……」
「カニ……」
アイは、そのカニという何かを海の中に捨てて、立ち上がった。せっかくなら、カニというものもよく見てみたかったが、もうそれは海のどこかへと消えてしまった。
「カニかぁ……また、見つけられるといいなぁ」
「トキコ、カニ……知ラナカッタ……」
アイは突然しゃがみこんで、海へと入ろうとしてしまう。トキコは流石にびっくりしてしまい、アイのツインテールを引っ張って止めた。右腕には全く力が入らないが、アイは自ら止まってくれた。
「アイちゃん!?」
「カニ……」
「カニはもういいよ!! 早く行こう!!」
トキコは、アイのツインテールを引っ張ったまま元いた道に戻ろうと歩き始めた。アイも数歩歩いたら自分からチョコチョコとついてくるようになった。
柔らかい地面にトキコの足を取られるが、アイは、やっぱり器用に歩く。
元の歩きやすい硬い道に出て、柵沿いを歩いた。視界の端には、灯台を捉えて海の囁くような音に耳を傾けた。
ふと、海の反対を見るともう使われなくなったのであろう建物が連なっている。全部白い箱に似ていて、地下都市の自室を連想させた。
「誰か、住んでたのかな」
「五十年以上前……捨テラレタ……」
ここは、誰かが住んでいた家らしい。絵本で見たのとは随分と違う。
トキコは、毒の話を思い出す。毒のせいで人類は外で生きられなくなった……。
百年ほど前に突然、何の前触れもなく、踠いて血を吐いて、自分の吐いた血に溺れるように死ぬという奇病が世界中で流行った。最初は一部の地域で、それがどんどんと広がっていったという。その、病気の正体が今世界中に蔓延している毒なのだという。その毒をどうにかすることは人類にはできなかったけど、その毒から逃げる術だけは見つけた。それが、大釜だ。人類は自分たちが作り上げた全てを捨てて逃げるしかなかった。
そう考えていると、取り残された町や、アイだって、寂しくて可哀想に見えてくる。
トキコは横を歩くアイの頭をペシペシと軽く叩いた。アイはトキコを見上げて、首を傾げた。
「アイちゃんはずっと一人だったの?」
「アイ……ヒトリ、違ウ。アイ……声ガ……メモリーバグ、発生……」
アイの目が一瞬変わる。厳密に言うと少し違うのだが。アイの目は人間で例えると瞳の部分が赤いレンズで、白目の部分が真っ黒だが、その白目の部分には真ん中を横切るように光の線が走っている。これが何なのかはわからない。ただ、いつもは鮮やかな青をしているこれが、たった今、黄色く光った。もしかしたら、さっき「メモリーバグ」って言っていたときも変わっていたのかもしれない。
「誰かと、いたんだね。一人になって、寂しくない?」
アイは首を振った。そして、トキコの左腕をそっと絡むように掴んだ。トキコも少し驚いて立ち止まる。
「トキコ、来テ、二人」
アイはすぐに手を離して、また小走りに先を行き、くるりと振り返る。目はいつもの鮮やかな青へと変わっていた。
手を振って呼ぶ、アイの先には白い塔が大きく見える。
「もうすぐ、着くね」
ゆっくり歩いてアイに追いつくと、アイもまた一緒に歩き始めた。歩幅が妙に合わないが、それでもアイはトキコのペースに合わせて歩こうとしてくれていた。
灯台はもうあと、少しだ。
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