「この部分はwould have過去分詞と表現するんだけど、あっちが現在形の時はこっちは過去形になって、こっちがこの形なのはあっちが……」

 画面の端に「こっちとかあっちばっかじゃ分かんないよね」と表示される。マカナだ。

 田中――コミュ英の先生で、相対的に若い見た目をしている男――は、ホワイトボードの前に立ちふさがって、右手をビュンビュン往復させていた。


 コミュ英の授業は丸机に自由席の、アクティブ・ラーニング・ルームで行われる。ここには一人一台分のタブレットがあって、英語の発音を吹き込むことができるからだ。こんな所に金をかけるくらいなら、人件費を増やしてもっと教えるのが上手な教師を増やしてほしい。私が払った消費税を無駄遣いするな。

 大体、田中がこれらの最新機器を使いこなせているとは思えない。今も設定が話し合いモードのままだから、トークし放題だ。


 私が「時制なんか全部同じでいいのにね」と送ると、今度はマカナの変顔写真が送られてきた。私はにやにやがばれないように、両手で顔を抑えなければならなかった。

 マカナを見ると、こっちの様子を窺って悪戯っぽい笑みを浮かべている。一方、私の隣に座っているコトは、見事に突っ伏して寝ていた。


 突然教室がうるさくなる。「隣の人と仮定法を使って会話しなさい」という指令が出たらしい。それってどういう状況? 私は伏したままのコトに向かっていくつかの台詞を囁く。日本語で。

「ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」

「その名を捨てて。名前が何だって言うの」

「もし薔薇がその名でなかったとしても、甘い香りに変わりはないわ」

 ようやくコトが頭をもたげて、薄眼で教室を見渡した。

「ん? 日本語練習の時間?」

「そう」

「そっか」と、コトはすんなり冗談を受け入れた。それから、私の言葉を聞いていたのか、「ロミジュリは好きだな~。悲劇だから」と遠くを見て、また机に突っ伏した。


 こうして楽しい授業が終わると、田中は「綾雲さん、永岡さん、ちょっと来なさい」と、私たちをお呼び出しになる。

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