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 生徒昇降口を入ったところに、ちょっとしたスペースがある。玄関は広い方がいいだろうという設計士の思い込みによると思われるそのスペースを、みんなは「ホール」と呼んでいた。

「サキすごいじゃん! 生徒会長選挙に出るんだね!」

 授業ギリギリに教室に着くと、マカナがそう言って迎えてくれた。朝練でもしたのか、もう汗をかいている。

「何で知ってるの?」

「ホールに貼ってあったよ、二年生と一騎打ちなんだね!」

 マカナが「頑張って!」とガッツポーズを作ると同時に、始業のチャイムが鳴る。それと同時に田中が教室に入って来る。田中はいつも秒針を見ながら歩いているに違いない。覇気の無い号令がかかって、何となく授業が始まる。私は昨日のことを思い出していた。


 昨日、先輩たちが帰った後、私は優子に「なんで先輩は私を推すんだろう。本当に私でいいのかな?」と聞いてみた。私は何となく面白そうだからやってみようと思っただけだけど、ミッキー先輩がそんな短絡的な発想で動くとは思えなかった。

 優子は努めて冷静に「多分、生徒会に注目を集めたいんじゃないですか」と答えた。それから、「今って役員も執行部もなり手がいないじゃないですか」と小声で言い加える。

 もし生徒会に注目を集めたいのなら、私はむしろ好き放題やることを期待されてるってこと? それって、逆に言えば私の自由は先輩の掌の上ってこと? ミッキー先輩のお茶目な丸顔が思い浮かぶ。でもさらに逆に言えば、先輩の思惑の成否は、私の気分次第ってことでもある? 私は踊らされているのだろうか。


「綾雲さん。綾雲さーん!」

「あ、はい。何ですか」

 急に現実に引き戻された私は、慌てて田中を見る。

「何ですかじゃないですよ。答えは?」

「何の?」

 クラスの全員がこっちを見ている気がする。

「聞いてなかったでしょう」

 いつもだったら何かしら言い返すところだけど、今日は田中とやり合っている場合じゃない。そんなことより、立会演説会で何を喋るか考えないといけないのだ。

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