家での生活

 外出ができなくなって一週間ほどが経過した。いつもなら教室で一時限目の授業を受けている時刻であるというのに未だに私は毛布にくるまったまま動かない。

「夕梨、いい加減起きなさい。外に出たら駄目と言ったけど、勉学を疎かにしていいってことにはならないわ」

 普段ならば私の起床時刻にはとうに出勤している母だけれど今回ばかりは有給をとって私と姉の監視をしている。

「起きたくない」

 毛布から顔を出すことなくそう伝えると、聞き飽きた母からの叱咤の声が飛んできた。

「夕梨。貴方ここ最近毎日そう言って勉強に手をつけてないじゃない。私は夕梨の将来のために言ってるのよ」

 その口ぶりからは憤激というよりも大人しかった私が反抗してきたことに対する戸惑いのようなものが感じられる。この一週間くらいで母も冷静になってきたから、戸惑いなんて感情が現れたのだろう。

「私の将来を思うなら学校に行かせてよ」

「それは駄目よ。ルールを破ったんだから」

 きっと母の中でも沢山の感情が交錯しているのだろうが「掟を破ったことへの怒り」だけは渦巻くその他の中心で鎮座しているのだと彼女の声が教えてくれる。

 でも、分からない。

 その掟に、ルールに、母が縛られている理由が。

「兎に角、早く机に向かいなさい。怠慢はいずれ自分の足枷になるのよ」

 足音が遠くなっていく。はぁ、ようやく出ていってくれた。

 毛布をガバッと捲って顔を出してみる。しかし暖房の類はなにもつけていないこの空間は寝起きの肌には厳しくてまた元に戻した。

(勉強が大事っていうのは分かるけど……)

 コンコン。

 母は最近部屋に入る際のノックをしないから、今のは姉だな。

「入っていいよ」

 ガチャ。

「う。寒いね相変わらず。エアコンつけなよ」

 小さく電子音が響いた。姉が暖房をつけてくれたのだろう。

「それと。朝ごはん、机に置いておくからね。十二時までには起きて食べなよ」

「……うん」

 姉だって澤田さんや大学と友達と会えなくて辛いだろうに、どうして妹を気遣う余裕があるのだろうか。

「ありがとう」

「いいえ~」

 ひょこっと目までを出して姉の表情を覗いてみると小さな笑みがそこに刻まれていた。私の世話をするのに吝かではないということなのだろうか。

 姉が帰って再び一人になるとどうしても戸山君や杏奈たちのことが頭に浮かんでくる。

(私のこと心配してくれてるかな)

 こんな時、彼らのようにスマホなるものを持っていればたとえ会えなくても連絡を取れるというのに。

 文化祭までの戸山君もこんな気持ちだったのかな。なんて思うとズキズキと心に痛みが走る。

 私が文化祭の準備に精を出していた頃、彼は理不尽に傷つけられていた。もう過ぎたこととはいえ、あの時何もしてあげられなかった、気付くことさえできなかった己が情けない。

 自分で自分を責めだしたら止まらないと分かっているためその兆しが見えてきたところで一度起き上がり、すっかり乾燥してしまった朝食を口に運ぶ。

 机上の参考書とにらめっこをしながらの食事は「勉強をしなくては」という焦燥感を煽られ落ち着かないがこれを仕舞うと母が五月蝿いのである。

 どうせ今日も使われない哀れな参考書から視線を壁に掛かった時計へ。その短針は2を指している。今日も姉の言葉を無視してしまった。


   ● ● ●


 食器を片しにキッチンへ向かってから早七時間。私は相も変わらずベッドの上でただずっと思考していた。

(お母さんは私たちが人と関わることを忌み嫌っているけれど、それは一体どうしてなんだろう)

 初めは私もそれが絶対悪だと思っていた。まぁ正しくは思わされていた、のかもしれないけど。

 でも沢山の人と知り合い、交流を深めていく内に木嶋夕梨という人間は成長を遂げることができた。涙が出るほど苦しい時だってあったけれど、最後はちゃんと笑えていた。

 しかしそれは私の対人運が良かっただけなのかもしれない。「貴方たちの為」と母があのようなルールを掲げたのは、彼女の過去の人間関係に原因があるのではないかとふと考えついた。

 どうせ時間はたっぷりあるんだ。憶測を脳内で連ねていくよりも、直談判をする方が早く解決する。

(ちゃんと話し合って、解ってもらえれば──また登校できるかもしれない!)

 私は一縷の望みをかけて、母の部屋への歩みを進めた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

明日の空 鍵山 カキコ @kagiyamakakiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ