失敗は失望の元
ゆっくりと職員室の戸が開かれる。
なんの表情も浮かべず、そこから2人の男女が出てきた。
「お、お母さん。どうだった?」
その内の女の方に私は近づき、心臓をバクバクさせながら話し合いの結果を訊いた。
「……戸山って、いったかしら? その男は厳重に監視していただけるそうよ。まあ多少の熱意は感じられたし、今までよりひどい事にはならない筈よ」
声には少し棘があるように感じたが、母の口元は少し緩んでいた。林田先生が相当頑張って話してくれたというのがひと目でわかる。
「そ、そうなんだ……」
しかし、できれば母の戸山君に対する印象はあまり悪くしたくなかった。
いつか交際を告げる日が来たとして、その時母が彼を受け入れるか否かに深く関わるからである。
ただでさえ母のルールを破ってまでこんな事をしているのに、元の彼へのイメージが悪かったらどんな手段を用いてでも離れさせられるに決まっている。
「さ、じゃあ帰るわよ。時間的に、もう由莉帰ってるかもしれないわね」
「そうだね。私達がいなくて驚いてるかも」
「変な心配は掛けたくないわ。早く行かなくちゃ」
母は私の手を引いて、駐車場まで一気に駆けていった。
そのまま私達は車で我が家へと向かっていったのだった。
「「ただいま」」
「あ、おかえり。2人してどこ行ってたの?」
姉はさほど焦った様子もなく質問してきた。心配という心配はしていなかったのだろう。
「ちょっと学校に話をね。……夕梨が変に話し掛けられてたみたいだから」
「ふぅ〜ん、大変なんだね」
「気が弱そうだから、目を付けられたのかもしれないわね。それを考えたら、由莉くらいギラギラしてる方が良いのかもね」
「私、そんなギラギラしてる自覚ないんだけど……?」
とは言うものの、姉の顔には軽くメイクが施され、少し派手めの洋服を着用している。
傍目から見たらどうかは知らないが少なくとも、私と母からしたら十分過ぎる程にギラッギラだ。
(まあ、姉さん普通に恋する乙女なんだもんね)
『綺麗に見られたい』というのは、当然の欲求であろう。私には無いけれど。
けれど彼女はかなり明確な自分の目標を持っている。『夢があるから頑張れる』。そんな節があるのではなかろうか。
「とにかく今日はもう遅いから、勉強は明日にしちゃっていいわ、夕梨。できれば朝早起きしてやってくれると、ね」
「わ、分かった」
「今作っちゃうからそこに座って待ってなさい。軽く会話でもしながら」
そう言うと母は急いでキッチンに向かい、夕飯を作り始める。
取り残された私達姉妹は母の指示通り話を始めた。
「夕梨、アンタ男の友達もいたの? というか、ヘマしちゃ駄目でしょっ。私にも疑いの目が向けられるかもしれないんだから」
「ご、ごめん。色々トラブルがあったものだから……」
「ま、まあ、そこまで厳しく責め立てるつもりはないけど……。母さんの性格上、次はないと考えた方が良い。これだけは、頭に叩き込んでおいてよ」
「うん」
○ ○ ○
「おはよう。昨日風すごかったねー」
「お、おはよう。そうだね」
風なんてどうでもよくなる程の大きな出来事があったものだから、そんなの忘れていた。
「これからどんどん寒くなっていくみたいだし、気を付けないとだね」
「ね。でも私、割と寒いの得意なんだよね。暑い方が無理、かな」
「そうなんだ。ちょっと意外」
「そうなの?」
「なんか寒いのが苦手そうなイメージがあったかな」
戸山君は手を擦りながら私に抱く印象を告げた。
「まあ、イメージはイメージだもんね」
「だね」
(あ、今ちょっと近いかも)
気付いた瞬間、私は戸山君から少しだけ離れた。
失敗は許されない。姉の言った通り、次はないのだから。
もう少し彼に向き合ってみよう。とは言ったが、それはあくまでも精神的な話である。
肉体的には距離を置かないと、な。
「……」
「そういえば、文化祭関連でこれから忙しくなってくるよね」
「そ、そうだね。ウチのクラスは出し物何にするかなー?」
「う、う〜ん。今日か明日あたりには、話し合いがあるかもね」
「楽しみだね、まだ何も決まってないけど」
「う、うん」
去年、私は文化祭にも、その放課後準備にも参加していない。無論、母からの命令だ。
それに対し私は何も思わなかったし、そもそも興味も無かった。自分が参加したところで、何が変わる訳でもない。そんな考え方をしていた。
けれど今年──今は違う。
私の参加によって何が変わるとか変わらないとか、そんかものはどうだっていい。
ただ単に、文化祭を楽しんでみたいのだ。
「夕梨ー」
「杏奈。おはよう。どうしたの?」
「さっき林田に聞いたんだけど、昨日アンタのお母さんが学校来たんだってね」
「そ、そうだけど……。というか、林田先生と喋ってたの?」
無関係の生徒に話す内容でも無いだろうに。どうしたんだ、あの教師は。
「あー、うん。ちょっとすれ違ったから、その事聞かされて。日暮と木嶋とはどうだー? みたいな事訊かれたわ」
「そうなんだ」
杏奈と私が仲良くなったから、わざわざ報告したのだろうか。それにしたって、杏奈からしたら唐突すぎる発言だろう。
「なんか見た目あんまり似てないらしいわね。どんな母親なの? 外見」
「えっと。バサバサしてそうな感じ、かな? スーツがすごい似合う」
「へぇー。カッコいい系なのね、どちらかというと。見てみたいわー」
「む、無理だよ」
「そんなの分かってるわよっ」
「……杏奈のお母さんはどんな人なの?」
人に訊いてきたのだから、こちらから質問したって悪いことはないだろう。
「う〜んと、アタシ、今反抗期で……。あんまり喋れてないんだけど。ちゃんとした人よ。普通に良い母親だと思うわ」
杏奈は照れくさそうに目を泳がせてそう言った。
自分から訊いておいてなんだが、悲しくなるな。
「そうなんだ。良いお母さんと思えるなんて、羨ましいよ……」
「そ、そんなに暗くなられると困るんだけど。夕梨のお母さんってそんなにヤバイの?」
「え、えっと。その……」
上手く答えられなくて、俯いてしまう。改めて意識することで母への恐怖が舞い戻ってきたかのようだ。
「そういえば、前少し話を聞いたわよね。外出させてもらえないって。──不安を1人で溜め込む必要はないのよ。何でもいいわ。話してくれない?」
杏奈が私の方に手を置き、優しいまなざしで私をまっすぐに見つめた。
本当にこの人は、すごいと思う。
「う、うん。分かった。でも、人の少ない所に移動してからでも、いい?」
「その方が話しやすいってんなら、全然構わないわよ。じゃあ1番人気ない階段の踊り場にでも行こうか」
「うん」
我が校には西、中央、東の3つの階段が存在するのだが、その中で1つだけほとんど使われない所がある。
それが東階段だ。
東校舎1階の隅にある音楽室に向かう時以外はおそらくだが誰も利用していないのではないか、というほど使わない。
そのため、内緒話をしに度々訪れる者はいるらしいが。
とにかく私達はその踊り場に向かい、少し重めの雰囲気で話を進めていった。
「ふぅ〜ん、なるほどね。臭いでバレるとか、もはや人間じゃないみたいだけど」
「だよね。でも、やっぱりこのままだとまた大きな失敗をしそうなんだよね。だからできれば、戸山君とは距離を置きたいと思ってて……」
「悩みどころね。2人の関係が深まっていくのはこれからなのに」
「……そ、そうだよね」
そういえば、杏奈は戸山君のことが好きなはずだ。どうして私と彼の関係の発展に対して協力的なのだろう。
「話逸れちゃうけど、杏奈はもう戸山君を諦めたの?」
「え? ん〜。何とも言えない、微妙なラインね。でも夕梨は大切な友達だし、応援したいって気持ちも大きいから」
「そっか」
本当に良い子だ。
戸山君は無理かもしれないけれど、ぜひとも良い人と結ばれて幸せになってほしい。
なんてことを思いながら、私は悩みを色々と打ち明けていった。
⬛ ⬛ ⬛
「あれ、木嶋さんどこ?」
卓也が「この間のアンケート用紙の回収、手伝ってくれないか」と言うものだから、今2人でクラスメイト全員の用紙を集めて回っている。
あらかた集まってきたところだが、赤江と木嶋さんがいくら探しても見つからない。
「ん、どうした海斗」
「いやだから、木嶋さんが居ないんだって。あと赤江も」
「まああの2人と蘭は友達なんだし、どっかでお喋りしてるんだろ。探しに行くか」
「うん。そう遠くまでは行かないだろうしね」
2人で教室を飛び出し廊下で探し回るも、それらしき人影はなかった。
もしかしたら、トイレで話しているのかもしれない。男子は入り込む事のできない、完全なる女の園に。
「諦めて、別の時間に──」
「折角だし、廊下の端まで行ってみよう」
「えー。面倒くさいし、あんな所絶対誰も居ないよ」
「行ってみなくちゃ分からないだろ。まだ時間はあるんだし。ホラ、付いてこい」
「全く……」
変な時だけ熱心で諦めの悪い卓也に呆れながら、渋々東へ歩いていく。
「……」
完全に突き当たりだ。結局誰も居なかったし、無駄足でしかなかった。
「だから言ったのに。さ、早く戻──」
「シッ!」
「? 何、どうしたの?」
「とにかく黙れ。声が聞こえる」
卓也が言うので、耳を澄ませてみる。
「──もはや人間じゃないみたいだけど」
女の声だ。しかも、聞き覚えがあるような気がする。
「分かるか、これ多分、赤江だぞ」
「あぁ、確かに言われてみれば……」
しかし何故こんな変な場所で喋っているのだろうか? まず相手は?
「だよね。でも、やっぱりこのままだと────なんだよね。だから──、戸山君とは距離を置きたいと思ってて……」
このおっとりしていて優しくてなおかつ相手を気遣っていそうな声は……!
「あ、相手木嶋さんみたいだな」
「うん、そうだ……ね」
「2人ここに居たんだな。わざわざ教室の遠くまで来るなんて珍しい」
卓也は俺と目を合わせる事なく、そう言った。
(そんな事、どうだっていいっ)
問題なのは、今の木嶋さんの台詞。
聞き取れない箇所もあったものの、何かしらの理由で俺は木嶋さんに「離れたいな」と思われているのだ。それは変わらない。
考えてみれば、初めの告白から嫌われる要素はあった。あんな大人しい子なのだ。あの時の俺は迷惑でしかなかっただろう。
でも、それでも。
様々なトラブルや何気ない日々の会話を通して、少しは親密になれたと思ったのに。
彼女が本当に心から笑ってくれていると信じていたのに。
(そういえば今朝、木嶋さんちょっと俺から距離置いてたな。結構あからさまな感じもしたし、隠す気がないのかも)
「た、卓也、もう行こう」
「あ、あぁ」
俺に気を遣ってくれていたであろう卓也の手を引いて、心の内からこみ上げてくるものをこらえながら廊下を駆けた。
辛い。辛い。
これが、『失恋』ってやつなのか。蘭の気持ちが少し理解できた気がする。
「あ、戸山君」
授業が終わった、休み時間。
何事もなかったかのような顔をして、木嶋さんが俺に近づいてきた。
「どうしたの? 木嶋さん」
「昨日読み終わったから、そろそろ3巻返したいんだけど……。どうしよう」
「あ、じゃあ放課後に机に入れといてくれれば良いよ。近々次の巻を木嶋さんの机に入れておくね」
「え? う、うん。分かった」
俺が「じゃあ一緒に帰ろう!」と目を輝かせて訴えると思っていたのだろうか。木嶋さんは思わぬ出来事に力が抜けたような様子だった。
やっぱり彼女はいつもと変わらない、木嶋夕梨だ。でも、うまく視線を合わせられない。
俺と話し関わることが彼女にとっては不幸だというのなら、俺は身を引きたい。
「……な、なんか元気ないね」
やめてくれよ木嶋さん。
距離を置きたいのなら、そんなに心配そうな目、向けないでよ。
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