過去の責任

 文化祭の放課後準備を終えた私は、息を荒げながら校内を駆け回っていた。

(靴はあったから、帰っていない筈。どこだろう)

 私は今、とある人物を探しているのである。

 そう──

「! 加藤さんっ」

 彼女だ。

「ど、どうしたの、木嶋さん」

 加藤さんは真顔をこちらへ向けて、あたかも戸惑っているかのような口調で話す。私が来ることを予測していたのだろう。

「えっと、話があって」

「ふ〜ん、そっか。奇遇だね。私からも木嶋さんに話があるんだ」

「……」

 瞳から放たれる、無言の圧力。それに気圧された私は、無意識に一歩後退ってしまった。

「それで、どんな話?」

 私が作った一歩分の距離を、加藤さんはいとも簡単に縮めてくる。「早く言って?」

「えっと……、ふ、風船。風船を、返してほしくて」

「風船? あぁ、木嶋さんの手提げ袋に入ってやつのこと?」

(え……)

「私じゃない」とか、「証拠が無いじゃん」というような、容疑を否認するような言葉がその口から飛び出してくると思ったのに。

「う、うん」

「そう。……教室にあるから、付いてきて」

 加藤さんには少しも悪びれる様子はなく、むしろ少量の怒りのようなものすら感じる。

 彼女が憤怒の欠片を見せている理由は、一つしかない。

(まさか私が杏奈に近付いたことに対するいやがらせが、盗みだなんて……)

 大胆だけれど、直接暴言を吐いている訳でもないため、私以外の人には犯人が分からない。卑怯なやり口だ。


「はい、確かに返した」

「あ、ありがとう」

 盗まれたものを取り返して礼を述べるというのは合点がいかないが、ここで反発したところで何の意味もなさないため、そんな不満は心中に留めておくとしよう。

「そうそう。私からも言いたいことが一つだけ」

 加藤さんから私に放たれる言葉など、予想せずとも簡単に分かる。

「杏奈とちゃんと、距離を置いてね? ──断ったら面倒だって、今日知ったでしょ?」

 それは恋人に囁くかのごとく、甘い声だった。

 そのスウィートボイスが意味するもの。

 それは、“今回はこの程度で済ませてやった。次は承知しない”という、加藤さんからの警告。

(ど、どうしよう……)


     ○ ○ ○


「おはよう夕梨」

「っ! お、おはよ……」

 加藤さんからあんなことを言われた翌日であろうが、杏奈は私にいつも通りの挨拶をしてくる。何も知らないのだから、そんなの当たり前だ。

「そういえば夕梨、昨日の夕日見た? すごい綺麗だったからアタシ何回も撮っちゃったんだけど──」

「ごめんっ」

(次は何を盗まれるのだろう)

 そんなことを考えると、ついつい不安が募ってしまう。

 ──だから私は杏奈の隣から逃げ出して、下駄箱に向かって走っているのだ。

「えっ、夕梨!? ……」


 走って杏奈から離れたはいいが、これはこれで別の不安というか罪悪感というか……マイナスな感情に襲われる。

(あんなに強引に距離を置くなんて、杏奈にどう思われたかな)

 分からない。

 けれども、少なくとも喜んでいることはないだろう。

 あんなにも唐突に、それも心を開いてくれていると思っていた相手に、拒否されたのだから。

(……そういえば戸山君と出会ったばかりの頃、一緒に登校していたけど耐えられなくて、走って先に行っちゃったことがあったっけ。懐かしい)

 あの頃は全然深い関係でなかったから、彼もあまり大事として受け止めてはいなかったな。

 でも今は、違う。

 信頼できる関係になれていたのは嬉しいけれど、所詮過去。

 全ては戸山君の勘違いが元。けれども彼自身が真実だと思い込んでいるのならば、また二人で笑い合うことは不可能だ。

(はぁ。あの日、どうして戸山君は……)

 ──『あ、今ちょっと近いかも』

 ──『肉体的には距離を置かないと、な』

(……ん?)

 そういえば、あの日の登校中、もう少し離れておいた方がいいなと考え、距離をとったような。

(あの瞬間の戸山君、無言でこっちを見つめていたんだっけ。──もしかしてもう、その時には心に亀裂が生じてた!?)

 その後に私の「距離を置きたい」という話を耳にしてしまったため、そのショックが確かなものになったのかもしれない。

(思えば、あの日の朝にお母さんのこととか全部話していれば、こんなことにはならなかったんだよね……)

 虚しいだけの反省会を脳内で繰り広げていると、突如、教室に「夕梨ィ!!」という叫び声が響いた。

「あ、杏奈……」

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