新たな一歩を

「ねえ、今週末ひま?」

 子犬のように甘えた瞳で戸山君は訊いてきた。

(予定を聞いてくるという事は、まさか……)

 お出かけ──一応付き合っているのでデート?──へのお誘いである可能性が高い。

 それだけは避けねば。今週は仕事が片付いたという事で、母が家に居る。

 いや、居なければ良いという訳でもないが。

「あ、家に居ないといけないから……」

「そうなんだ。残念だなぁ」

 戸山君は腕をダラリと垂らした。そこに握られていたスマホに目をやると、動物園のホームページが開かれていた。

(行こうとしてたのかな。ちょっと申し訳ない……)

 そういえば私、動物園だとか遊園地だとか、レジャー施設には行ったことが無いな……。

 まあ、そんな事どうだっていいか。

「ご、ごめん」

「いや、いいよ。この先、いくらでもチャンスはあるからね」

(無いかも……)

 高校生のお出かけなんて、帰りが遅くなるに決まっている。

 遅すぎる帰宅は、母に怪しまれてしまうのだ。そうなれば、外出の難易度はひどく高くなる。

「『付き合ってる』んだから、やっぱりお出かけとかしたいよね〜」

 窓の外を見つめながらの彼のセリフ。

 普通の女子ならば、そんな事を考えるのだろう。けれど、私は……。

 なるべく家で一人、ゆっくりと勉強していた方が良い。というか、性に合っている。

「今まで特に何にも恋人っぽい事してないし」

「う、うん……」

 そもそも、恋人の定義とは?

 付き合っている、交際している人のことを指すのだろうが、やはりそれは前提として『好き合っている』のが当然なのではないか?

 いくら彼が私のことを好もうと、私が彼のことを好きでないのならば、果たして本当に『恋人』と言える関係なのか?

(……なんて、いくら考えたところで届く訳でもないしな)

「あ、でも、無理にとは言わないよっ。この現状だって、俺の勝手な行動みたいな感じだし」

 戸山君は慌てて両手を振った。私の顔、そんなに迷惑そうだったのか。

「あ、うん……」

 何を言うべきか分からず、私は俯いた。

 もし私の気持ちが彼に向いたとしても、きっと一緒に出かけるなんてできない。

 そうなれば、二人とも傷つく。

(……って、あくまでも仮、仮の話なんだから、こんなに悲しむ必要ない。私、戸山君のこと好きじゃないし)


     ○ ○ ○


 あっという間に、もう休日。

「おはよう、お母さん」

「おはよう。ご飯は自分でやんなさい。冷蔵庫に入ってるから」

「はい」

 休んで家に居る時も母は仕事をしている。片付いたとか言っていたのは何だったんだ全く……。

 そんな事を考えながら冷凍食品をいくつかレンジで温め、ごはんと味噌汁をお椀に注いだ。

「いただきます」

 しっかり挨拶し、食事をとり始める。

(うーん……?)

 温めてあるから、料理はちゃんと温かいはずだ。だが、何故かものすごく冷えている様な気がする。

 そこそこ広い部屋の中、たった一人で食べているからだろうか。

 しかしそうだとしても、今まではそんな事なかった。

(最近、人と関わるようになっていったからかなぁ)

 食事の中でも寂しさを感じるようになったのか?

 だとすれば、私は弱くなりすぎだ。以前まで何とも思わなかった事に、寂しさを感じるとは。

 こんな事では駄目だ。いつ、分かったもんじゃない。

(気を付けないと。いつも通りにしないと。感情も、何もかもを)

 しかしいくら気を引き締めたところで、ご飯が冷たいのは変わらなかった。


 勉強中は楽だ。

 悩みや寂しさも、全て忘れられる。何も考える必要がない。ただノートの上にペンを滑らせるだけで、時が流れていく。

 そう、だからもう一時半だ。

(さっきまで朝ご飯食べてたのに……)

 不思議なものだ。

(さて、昼ご飯食べるか)

 そしてまた、二階に降りていく。


 昼食はカップラーメンだった。

 特売で買った、賞味期限ギリギリの。

(味に問題なかったから別に良いけど、さ)

 そんな事を思いながら椅子に座った。

 勉強再開だ。

 ──ピンポーン。

(!?)

 インターフォンが鳴った。それ自体は普通のことだが、前にも言った通り、我が家のインターフォンは大抵押されない。

 前(先週)押された時は蘭さんだった。もしかすると、今回は……。

 更に、不安はそれだけじゃない。

 今この家には、母が居る。もしが来たとすれば、どうなるか。

 それは想像もできないが、良くない展開となるのは間違いないだろう。

 しかし鳴ってしまったものは取り消せない。

 ごちゃごちゃと考えるのをやめ、私は階段を駆け降りた。

(……あれ?)

 母が居るならば、すぐにインターフォンに出るはずだ。

(もしかして、どっか行った?)

 それにしたって、何も伝えずに出ていくのも親としてどうなのだろう。

 一応周りを見回して母が居ないのを確認し、それに出た。

「……はい」

[あ! 木嶋さん。こんにちは〜]

(やっぱりか……)

 鳴ってから結構な時間が経っていたので帰ったかもしれないと踏んでいたが、全くそんなことはなく、戸山君は笑顔で立っていた。

「ど、どうしたの?」

[家に居なきゃいけないって言ってたから、家に行けば会えるかなーって思って]

「え、えー。なんで?」

 要は「会いたくて来た」という事か? というか、よく普通にそんな事が言えるなこの男。

[だって……、週末の話してた時の木嶋さん、ちょっと悲しそうだったから]

「え……?」

 弱みを出した覚えは無いが。


『もし私の気持ちが彼に向いたとしても、きっと一緒に出かけるなんてできない。そうなれば、二人とも傷つく』


(そういえば、そんな事考えてたっけか)

 その時感じた悲しみを、気付かれていたのか。

[迷惑だってことは判ってるんだけど、何か、辛いことがあるのかなって思って来ちゃったんだ]

「……」

 戸山君はこんな私のことを見ていてくれるだけでなく、心配して、駆けつけてくれた。

[家の人は居ないの? あ、留守番?]

「あ、うん。まあ、ね」

 目頭が熱くなっていく。当然戸山君にそれは分からないだろうけれど、恥ずかしくなった。

[とりあえず、何事もなさそうで安心したよ。じゃあね、また月曜日に]

「あ、うん」

 彼は手を大きく振りながら去っていった。

(……)

 思いの外、戸山君が自分を見ていた事に驚いてしまった。感動して、涙が頬を伝う。

(話してしてるだけでちょっと落ち着いたな)

 彼の声に心が安らいだのだ。不思議なくらいに心地良かった。

(心の中で突き放しすぎるのも、良くないかもな)

 少しだけ、少しだけだが、私は『交際』というものに前向きになれた、……気がする。

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