『あの日』のお話
皆が騒ぎ立てる教室内で、アタシは静かに座っている。
けれど心の中までは、静寂を保っていられない。
えー!?
なんでなんで?
どうしてよ!?
おかしいでしょ!
卓也はどうでも良いとして、なんで海斗までのけ者にされてんのよ!
これじゃあ海斗と木嶋夕梨達が仲間みたいになっちゃうじゃないの!
一人の馬鹿なら動かせるけど、さすがのアタシも、学年全体の思考を操ることはできない。噂という、骨組みしか作れない。
どういう風に肉付けされるかなんて、分からないのだ。
(一緒に居るからってひとまとめにしないでよ! 皆考え方が単純ねぇ)
そう思って、ハッとした。
横目でチラリとクラスメートを見る。
やれ杏奈だの木嶋だのと、各々があることない事述べている。
馬鹿そうな奴らよね。いやまあ、現に馬鹿よ。きっと。
けれど彼らを見下せば見下すほど、先を考えられなかった自分の首を絞めているような気なした。
(……苦しい。もどかしい)
アタシが良かれと思ってやった事が、海斗を地獄の底に突き落とすような行為になったのよ。
それなのに、アタシは何にもできないし。
どうすればいいのよ一体。
こんな状態で、海斗がアタシに振り向いてくれるはずがないし……。
(海斗は関係していないという噂を流せば……)
ホント、噂を流すことしかできない自分が情けない。けれど、一刻も早く海斗の無実を証明しないと!
海斗は木嶋夕梨に翻弄されているだけの、哀れな一男子生徒なのよ。全ての黒幕は木嶋夕梨だって、全員に理解してもらわないと。
(よしっ)
やる事が決まったから、アタシは一度トイレに足を運ぶ。
別にもよおした訳じゃないわ。ここなら一人で居られて、落ち着くだけ。
(前の噂はしくじったから、ちゃんとしたシナリオを作っておかなくちゃ)
スマホのメモ機能を使って、思い浮かんだ良いアイデアを書き留めていく。
学年の奴らが納得する内容で、なおかつ杏奈も一緒に潰せるようなものでなければ、アタシの思い描くものと違ってしまう。
しかしそんな限定されたストーリーがスッと出てくるはずない。
(海斗も非難されているこの状況から急に庇うような事を言ってるから、怪しまれそうなのよね。なるべく平穏に、静かに済ませたいのに)
まあ、とりあえず今のところは良いだろう。早くしないとHR始まっちゃうしね。
何事もなかったかのような顔をして、アタシはトイレから出る。
(はぁ、噂を流すってのも面倒なものよね、ホント。それもこれも全て、木嶋夕梨のせいだわ)
アイツが……アイツさえ存在しなければ、アタシはここまで苦労する事なんて無かった。絶対に。
海斗とも、恙無く幸せにやっていけるはずだった。
ドンッ。
「あ、ごめん」
「コラ。教師に対して何だ、その謝り方は」
ゲ。林田。
「……ご、ごめんなさい。では失礼します」
こんな所で変に対抗したら余計面倒な事になる。ただでさえ、木嶋夕梨のことで頭を悩ませているのに。
「! お、おう……。いや、というか
「は? やってませんけど。妙な事言わないで下さい。HR始まりますよ」
「そうだな。だが、1つだけ言わせてくれ。……クラスで木嶋や戸山、彼方に赤江が皆から距離を置かれている。彼方以外のメンバーから考えて、噂を流したのはお前で間違いないんだ」
「だからしてないって言ってるじゃないですか。しつこいですよ」
向かう先はほとんど同じだが、アタシは小走りして林田から逃げた。
うるさい教師だ。あの男はあの日から、アタシに口出しするようになった。
そう、海斗らと
⦿ ⦿ ⦿
「え? どうしてアンタが?」
体育館裏に現れたのは、紛れもなく林田だった。やけに険しい顔をしている。
(あの様子は、何か知ってる感じね)
「アンタじゃないだろ、全く。はぁ……、本当口のきき方がなってないなお前は」
林田は深いため息と共に、肩をすくめた。
「悪かったわね。で、何の用なの?」
指摘された事なんて聞いてませーん。とでも言うような顔でアタシは応じる。
ま、先生に敬語なんて、使ったことないしね〜。
「やれやれ。俺はそれでも構わないが、将来後悔するのは自分だぞ?」
「うるさいわねぇ。ベラベラと無駄なことばっかり喋る男は嫌いだって、杏奈が言ってたわよ。早く本題に入りなさいよ」
アタシは毛先をくるくるさせるよう弄りながら、さっさと用件を伝えるよう促す。
対する林田は『杏奈』という単語に多少の反応を示した様子だ。しかし二度目のため息をつくと、それを誤魔化すかのような真剣な面持ちに変わる。
「……赤江から聞いたぞ、全部」
「全部って、何よ」
杏奈が全て話した事への怒りと、その行動を不審に思ったことから、アタシはとぼけた。
「何って……俺と木嶋達の会話を盗み聞きした事と、その大まかな内容を赤江本人に伝えてしまった事に決まっているだろ」
声が怒りを帯びていく。
まあ、仕方ないわよね。学生間の恋であっても、恨まれる行為だわ。
「そう。だから何。……アンタどうせ告白できなかったでしょ? なら今回アタシが杏奈にバラしちゃった事も、ラッキーだったと考えなさいよ」
アタシは常に一段上にいるかのような、強気な態度で接する。
海斗以外の人間にならどう思われたって気にしないし、今後の人生に関係ないもの。
でも『弱い奴』よりかは、『強い人』だと思われた方が、良いじゃない?
「何がラッキーだ。ふざけるな。俺に話をしてくれた時の赤江は、立場の違いや周りからの目など色々な事を考え、悩んでいた。
それと同時に、身近にこんなにも口が軽い人間が存在することに関しても頭を抱えていた。“もう誰を信用していいのか、分らない”と」
林田の表情が暗くなっていく。杏奈が辛いから、自分も辛い。恋とはそういうものである。
〜『感情の共有』。
恋愛というものは、性質も見た目も全く異なる二つの物質が結合しようとする事だ。
何もかも、全然違う二人。しかしその人達がくっついたなら、1つの物体になったも同然。
1つになれば当然、互いの感情が、手に取るように分かる筈。
だが1つにならずとも、恋をするというものは『相手がどう思っているのか考える』ことが大前提。
相手が笑顔なら自分も笑顔に。
相手が悲しいのなら自分も涙を流す。
今の林田は、まさにそういった状態なのである〜
「つまり、杏奈が人間不信にでもなるって言いたい訳?」
基本他人はどうでもいいので、杏奈が人間不信になったところで「だから何?」という話ではあるが、林田の思いはなんだか違う気がする。
「そうではない。さすがにこの一件だけで、そこまではならないだろうからな。ただ──苦しんでいるアイツの姿を、見たくないんだ」
「何それ。アハハッ。己の恋のために生徒を利用しようとした男が、よくそんな、きれい事言えたわねぇ。フハハハハッ。あー、おかしいおかしい」
ついつい、笑いがこみ上げてくる。
林田は悔しそうに拳を握っていた。アタシが今述べた事は事実だから、反論などできまい。
「俺は、もう、振り切ったんだ。……「日暮をどうにかしてくれ」と赤江が言い寄ってきた時、とてつもなく嬉しかった。だが、俺が自分を好きであるのを知ったというのに、アイツは動揺せず、普通の生徒として接してきた。あ、コレ男としてすら見てもらえてないな。って分かったんだ。諦めるしか、ないだろう」
(話なっが……。ダル)
悲しい男の失恋話なんて、聞いてて何も楽しくないわ。
とりあえず、「杏奈のことは諦めた」のね。了解。
「はいはい。そうなのねー」
「おいおい何だその態度は。話をきちんと聞け。分かるか? 俺はな、赤江にこれ以上迷惑を掛けないでくれって言ってるんだよ!」
林田がゆっくりと歩み寄りながら喋る。
ちょ、あまり近付いてほしくないんだけど……。
「そんな事分かってるわよ! もう変なメール送らなきゃ良いんでしょ! はい解決、さよなら!」
「解決できるか! 赤江の件は、それで収拾がつくかもしれないが……。木嶋と戸山の間を切り裂こうとしているみたいじゃないか。それも、教師としては見逃せん」
「ハァア? 全く無関係じゃないの。つっかかってこないでよ。どいつもこいつも、どうしてアタシの恋を制限しようとするの!?」
今までに募った怒りから、思い切り地団駄を踏んだ。最近、いっつもアタシの恋に邪魔が入る。
『恋に障害はつきもの』というけれど、流石に多すぎよ。
「別に、そういうつもりじゃなくて、だな。恋をするのは自由だと思うが、だからといって他人の迷惑になって良いという事にはつながらない。という事を言いたくて」
「ハァ? 誰かの迷惑になるくらいの心意気でいかないと、好きな人にアタックなんてできる訳ないじゃないの」
とことん、林田とは話が合わないわ。ストレスが溜まる一方。
「だが、さすがに人をつけ回すっていうのは、違うだろ」
──は?
何その言い方。
まるでアタシが、その行動をとったみたいじゃないの。
「え、何だその顔。ピンときてないみたいだな。お前、木嶋をつけていたんじゃないのか?」
「はぁー? なんでアタシが、あんな泥棒猫を」
「本当に身に覚えがないのなら、自分が赤江に送ったメール、もう一度見てろ」
さっきまでの悲しげな表情が嘘のよう。林田は堂々とした態度で、腕を組みだした。
その様子が癪に触ったけれど、ずっと調子に乗らせているのも嫌だったのでポケットからスマホを取り出し、杏奈へのメールを確認する。
「……何か、おかしい?」
「なっ、日暮。お前、見てもなお理解できないのかっ。ちょっと見せてみろ」
「えっ」
林田が前からアタシのスマホを覗いてきた。
(無理無理無理っ。近くて吐きそう、助けて……)
咄嗟に息を止めるが、そう長くは持たないだろう。こんな状態では、余計に話が聞けないわ。
「ホラ、ここの「今日の木嶋、三回転んでた」ってやつ。そんな事、つけ回していないと分からないだろう」
林田が勝手にスクロールし、例になるようなメールをどんどん読んでいく。
「あとは、この「トイレが長かった」とか。……そんな所まで見てるのか。最低だな」
「なんで部外者のアンタに最低とか言われなきゃいけないのよ! 意味分かんない。『観察』くらい、普通でしょっ」
今日の
あー、もう。
アタシが杏奈にメールを送ったから、なの? それが間違った選択だったと、神様がそう言っているのね。
「お前のやっている事は、『観察』の範疇を超えている。監視、とも言えるな。それを認めさせるために一つ、質問をしよう。具体的に、お前はどのような『観察』を行った?」
「どのようなって、別よ普通よ。ただ、休み時間の度に覗きに行ったり、時折カメラや盗聴器を仕掛けたり、家から出てくるまで待機して、そこから帰宅までずぅ〜と、一日中見てるだけよ。んでもって、そこから得た情報の中で、木嶋夕梨を潰すのに役立ちそうなものは杏奈に教えたの」
こんな事、なんでもないような顔をして林田に目をやると、奴は唖然としていた。
「お、お前。普通にヤバイし、犯罪じゃないか? 大丈夫なのか?」
「さ〜あ。別に訴えられないなら犯罪じゃないでしょ」
「いい加減だな。……というか日暮。もしお前が逆の立場になったら、どうだ? 木嶋──でも誰でも良いが、もしも他人に、そんな事をされたら。嬉しいか?」
う〜ん、と少しだけ考えた。
だけど先程述べた通り、ぶっちゃけ他人なんてどーでもいい。だからアタシは、こう答えた。
「嬉しくはないけど、言うほど嫌って事もないわ。どうでもいいし」
「ど、どうでもいいってお前。それはないだろう」
「どうでもいいわよ。海斗以外は。それに……アタシなんて『観察』したところで、面白いものは得られないから」
「それ、木嶋も思っているかもしれないだろう。そういう思考には、至らないのか?」
「せーんぜん。思ってもみなかったわ。そういう考え方もあるのね、なるほど」
口元に手を添えて、悪戯っぽく笑う。
他人の気持ちなんて、考えないから分かんないわよね。
「本当、話が進むに連れて呆れるばかりだ。そもそも、赤江に木嶋の情報送ってどうするつもりだったんだ?」
「えっと。杏奈がその事に関して本人の前でつっつけば、海斗が持つ木嶋へのイメージダウンにも繋がると思って」
これに関しては、馬鹿やったと思うわ。そのせいで、林田と二人きりで話す、このような状況に陥っているのだから。
「そうか。つまり、他人を利用するためって訳か」
「な、人聞きが悪いわねぇ。何もそんなつもりじゃあ」
「何だ、違うのか。赤江に自分の思うように動いてほしかったんだろう? 何が、「そんなつもりじゃなかった」だ」
林田が眉をしかめる。
何よ。
何なのよ。
何をそんなに、腹立てているっていうのよ。大体、林田は部外者のくせに。
「うっさいわねぇ。じゃあ何、杏奈を利用しようと目論んでましたって言えば良い訳!?」
「そういう訳じゃあないんだが……。俺は悲しいんだ。だってな──それじゃあお前、俺と同じじゃないか」
……。
はい?
いやいやいや、頭おかしいんじゃないの?
つかキモイ、普通にキモい!
一緒にしないでよ。は?
(最っ悪)
「いや、それはないわ」
「ある。自分から直接いけず、他人を使っているのだから。何か、違うか?」
「アタシは直接いけるから! やめてくれる!? 勝手に仲間意識持たないでよ!」
体に妙な寒気が走り、頭が痛くなる。
すると林田は弁解するかのように、こう口にした。
「仲間意識とか、そういうつもりじゃなくてな。生徒に俺と同じ景色を見てほしくない。その一心で言ったんだが」
「あっそう! とにかく、アタシは自分からいけるから。変な発言しないでくれる」
「そうか。……分かった。ただ、お前は少し反省した方がいい」
そう言うと、林田はスッと右手を上にあげた。そこに握られているのは、奴の物と思われるスマートフォン。
問題は、その画面だった。今取り出したなら、開かれているはずないのに。
(マイクのマークに、赤ポチ? ……もしかして)
ハッと閃いた瞬間、気づけば林田の手元に腕が伸びていた。しかしそれすらも林田は見透かしていたようで、一瞬にしてアタシの腕を躱した。
(クッ)
きつく林田を睨みつける。
奴は、不敵に笑っていた。仕方ないだろう。完全に、形勢が逆転したのだから。
林田のスマホに開かれているのは、おそらく録音アプリの画面だ。どこからかは定かではないが、アタシ達の会話を撮ったのは確実である。
林田のあの反応からして、アタシのとった行動は異常。
もし録音したデータを他の生徒達に流されでもしたら、アタシの信頼は失墜する。そうなればこれからはもう、木嶋を蹴落とす為に他人は使えなくなる。
愛を躊躇なく伝える勇気と、正面からぶつかりに行く度胸は充分に兼ね備えているけれど、意味ないのよ。目の前からいったって、海斗は見てくれないから。
「さすがのお前でも理解できたみたいだな。この現状を」
林田が録音を終了する。
何度もスマホを奪い取ろうと試みるも、それは電源を落とされ、奴の懐にしまわれた。
「ばら撒かれたくないだろ? 妙な事はするなよ」
そう言って、林田はその場を去っていった。
⦿ ⦿ ⦿
どうせあの男は、ばら撒くことなどできまい。そう思ってアタシはあの噂を流した。
そして、その噂は奴も知ってしまったみたいだ。けれどもやはり、録音の情報は流れていないみたいだった。
けれど厄介事は避けたかったから、わざわざ普段使わない敬語まで使ったのだ。
──ここから、どう動くか。それが重要だ。
やってしまった事の取り消しは、不可能だから。
これから高確率で、あの男は動き出すと思われる。それほどの男であるか、分からなかったけど。
先程話した時、以前とは違った雰囲気を感じた。奴が男として、何か変化した証拠だ。
(あぁ、もう。アタシは海斗と共に
なんて呑気に思っていられるのも、今の内だけなのかもしれない。
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