2つめの『初めて』

 最近は本当に、ドタバタした学校生活だ。

 でも今日の事でそれも一段落しただろう。これ以上はもう御免だ。

 けれど、今までの出来事全てが嫌な訳ではない。初めは怖い人という印象しかなかった2人と正式に友達になれたし、彼女達の本心を知ることも出来た。

 一連の不安も消え去り、とても良い気分だ。

 ったのだが──

「木嶋さ〜ん! 今日部活オフだから一緒に帰ろうっ」

 彼との未来に対する不安が私の心に戻ってきてしまった。

「う、うん……」

 これまでも度々一緒に帰ってきたお陰で、割と慣れてはいる。そもそも登校は常に二人だし。

 でもそれが嫌か嫌じゃないかで言ったら……正直嫌だ。

(今になっても)大勢の視線が向けられるというのは勿論あるし、話が弾まずに気まずい雰囲気になってしまったら戸山君に申し訳がない。

 私は人に何かを上手に話す事が出来なければ、聞くのも下手である。

 経験が未熟である故のものだから、どうしようもない。

 だがそれが原因で静寂な下校になってしまうのは少し悲しいことだと思うので、一人の方が気が楽だ。

 けど戸山君は、そんな事お構いなし。一緒に帰れるのを喜んでいるみたいだ。

(それは全然、悪い事じゃないんだけどね……)

 結局私は、断れない。

 断ったらどう思われるだろうとか、先を見越してそうしているのではなく、ただ単に動揺して頭が真っ白になり、結果OKと答えてしまった自分がいる。

 変わるべきなのだろう。こんなウジウジとした性格では、周りからの印象が悪い。

 それに、断れなくて面倒な思いをするのは他でもないこの私だ。

(なんて思ったところで、何をどうすればいいのやら)


     ▷ ▷ ▷


「いや〜それにしても、今日は本当濃い一日だったね」

「そ、そうだね。友達も出来たし」

「木嶋さんが色んな人と関係を持ってくれて、嬉しいな。俺だけじゃ、心を開くのには力不足だから」

 そう言う戸山君の笑みは、寂しさを纏っていた。

 私が変わったのは、間違いなく戸山君のお陰なのに。それは伝わらないようだ。

 いや、伝わったところで何も生まれないか。

「そ、そんな事ないよ。……そ、それより、林田先生はどうしてあんな事をしたんだろうね」

「あ、確かに。噂のことやその出処が蘭であることを知って、恨みを晴らそうとしたのかも……?」

 ずっと疑問だったのだ。

 林田先生の不審すぎる動き。今回はそれが私(達)にとって吉と出たが、突然録音を広めてくるだなんてどういう心が働いたのか。

「で、でも。録音の内容から考えると、せ、先生は赤──杏奈に自分の想いが伝わってるのを知ってるみたいだった。ま、前に戸山君が言っていたみたいに。だから、勝手にバラしちゃった蘭への怒りもあるんじゃ」

「なるほど。そういえば様子が変だったもんね、いつかの朝。じゃあ蘭と林田先生二人が話したのはその前日かな?」

 こういう話なら、まだいけるということが最近分かってきた。

 私も彼も、その件に関して真剣な考えというものを頭の中に植えつけているからだ。

「そ、そうかもしれない。でもきっと、あの録音が全てじゃない。もっと色々な話を、その日以外にもしたはず」

 でなければ、蘭さんが今日突然変わるのはおかしいから。

「う〜ん、そうだねぇ。でも蘭のことだから、ちょっと不安じゃない? また何食わぬ顔して奇行に走ってるかも」

「全くない訳じゃないけど、なんか今回は大丈夫な気がするんだよね。す、少なくとも、前よりは。林田先生、なにかとても良い事を言ったのかな」

「へぇ。木嶋さんがいうなら、そうなのかもね。じゃあ安心。でも、さすがに気持ちまでは変わってないよね〜」

 戸山君は気楽そうに、組んだ手を頭に乗せた。

「お、おそらくは。だってこの件で一気に気持ちまで変わるなんて、つ、都合が良すぎるよ」

「でも正攻法なら別に良いかな、まだ」

(そういえば──)

 戸山君はモテるみたいだが、あまり告白などをされているのを見た事がないな。

 しばらくの間は蘭に手を焼いていたのだと思うが、あまりアプローチなどは受けないのだろうか。

「というか、この話やめない? もっと明るい話をしよう。蘭と林田のことも、それは二人の問題だからあまり首を突っ込みすぎるのも良くないって」

 少しばかりの沈黙は、戸山君がそう切り出した事によって破られた。

「確かに。た、他人に深入りし過ぎちゃ駄目だよね」

「そうそう。もう終わったことだもん。木嶋さんがそこまで気にする必要なんて無いよ」

「う、うん。そうだね」

 蘭の変化が大きかったために、つい気になってしまった。

 良い結果で終わったのだから、わざわざ追求することもない……か。

「じゃあ、なんの話しよっか。……なんか改めて「お話しよう!」ってなると、ちょっと照れちゃうね」

「え。そう、かな」

 照れるとは違うが、君と話す時はいつもドキドキしてしまうよ、私は。

「うん。キチンと話をしましょうってなると、変な気持ちになっちゃって」

「……よ、よく分からないかな」

 戸山君の発言はたまに理解できない時がある。

 私がおかしいのか、彼がおかしいのかは不明だが、その発言に対する私の相槌がきっかけで気まずくなったりするので、その点は申し訳ないと思う。

「そっか……さて、じゃあ何の話する? 趣味の話? 趣味の話??」

 珍しく、戸山君の『話したい』欲求が強いようだ。

 趣味の話を推しているようだが、そもそも戸山君の趣味って何だったけか?

「そ、そんなに話したいなら、いいよ。趣味の話で」

「やったありがとっ。実は昨日ね、面白い漫画を本屋で見つけたんだ! タラコのキャラクターが犬に一目惚れして、犬もまたそれに応えるようにタラコに惚れて、2体(?)で共存していこうと頑張るっていう内容なんだけど……」

「タラコと犬が、共存!? で、出来る訳ないよ! そもそも、タラコって生き物じゃないしっ」

 なんてリアリティーのない話なんだ。というか、どんな感性を持っていたらそのような非現実的な話が思い浮かぶのだろう。

「木嶋さん、リアクションオーバーだね。特別変わった設定ではないと思うけど」

「えっ。だってタラコでしょ!? タ、タラコと犬のラブストーリーでしょ!?」

 風変わりの度が行き過ぎているだろう。

 これに関しては、さすがに戸山君の方がおかしいと言わざるを得ない。

 タラコと犬が恋愛する物語を、『特別変わった設定ではない』と称したのだから。

「フッ。アハハハハッ! 木嶋さんってやっぱり、面白いね」

「そんな話ありえない」と主張する私を見て、戸山君は吹き出した。

 なんだ、『やっぱり』って。

「な、な、何が? だってタラコと犬──」

「木嶋さん漫画読んだことないね? さては。こんな現実味のない話、漫画ならざらにあるもん」

「あ、そういえば……。無い、かも」

 動物ものの小説や写真集程度なら目を通すが、漫画は読まない。というか読めるような環境で育たなかった。

 もっとも、私自身求めていなかったが。

 だがそれにしたって、そんな話おかしいだろう。漫画の世界では意味不明なストーリーも常識の一部なのか? だとすれば私は一生かけても理解できまい。

「やっぱりね。あのね木嶋さん。漫画を始めとする『二次元』の作品は、現実では起こり得ない事だらけなんだよ。初見の人にとっては近付きにくい代物かもしれないけど、あり得ないことだってちゃんと次元の区切りをつけて読めばとっても面白いよ!」

 顔をグンと近付けて、戸山君は熱弁する。

 しかしその熱が私に燃え移ることはない。

「そ……そう、なんだね。でもちょっと、抵抗あるかなぁ。も、もっと詳しく聞いていい? さっきのやつ」

 漫画について熱く語られた後だと、何故だか興味が湧いてきた。具体的にはどんな話なんだろうか。

「勿論、喜んでっ。え〜とまず、その漫画の中にはタラコの世界と人間の世界があって、お互いその存在を知らずに生活してるんだけど──」

 

     ⚫ ⚫ ⚫


〜ある日タラコのメリー(♀)は、路地裏にて渦巻く黒いを目撃する。好奇心に駆られそれに近付くと、またたく間に彼女は吸い込まれてしまった! その渦巻いていたは、2つの世界の間に生まれた、小さな橋とも言えるもの。後々詳しく説明はされていくだろう。

 そしてメリーは人間界に引き込まれた。だがその世界は彼女にとって何もかも異質で、サイズが大きかった。

 見慣れぬ場所、見慣れぬ者達、見慣れぬ建物。瞳に映るもの全てが、メリーの恐れる対象だった。

 だが異変を感じるのはメリーだけではない。人間達も、「タラコが歩いている」と騒ぎ立て、噂を聞きつけては彼女の周りを取り囲んだ。

 自分より一回りも二回りも大きい人間に包囲され、メリーは命を諦める覚悟を決めた。何にも抗う事はせず、地面と同化するかのように。

 しかしそんな彼女は、意外な者によって救われた。

 ──お腹を空かせた野良の大型犬(♂)。

 彼はメリーにかぶりつき、涎を垂らして軽快に走っていく。

「ありがとう」

 メリーが言うと、彼はひどく驚いた様子で彼女を口から落としてしまった。

 わがままなお姫様のような性格のメリー。かぶりつかれるのみならず口から落とされたとなれば、殺す勢いで攻撃するのが普段の彼女の対応だ。だが、そうはしなかった。

 落とされてもなおボケーっとしていて、まるで魂が抜けてしまったかのよう。その顔はまさしく、恋する乙女の顔。

 また犬も、そんな彼女をまじまじと見つめていた。顔を赤らめたメリーに、心を奪われたかのように。

 ──そんな感じの2体が恋人になるまでには、そう時間はかからなかった。

 しかし2体の間には、決して越えることができない壁が存在する。

 犬のドンは野良。常に空腹と言っても過言ではない、極限の状態で生活している。対するメリーはれっきとした食料(人間界では)。

 食べる物に困っているドンにとって、彼女との生活は生き地獄。

 だが。

 生物と食べ物の垣根を超えて、何不自由なく愛だけに生きるのが2体の夢だ〜


     ⚫ ⚫ ⚫


「──って感じかな。どう? 面白そうでしょっ」

「な、内容はよく分かったよ。インパクトがすごいね。でも漫画だから、絵も見ないとなんとも言えないかなぁ」

 それを聞くなり、戸山君はポケットからスマホを取り出してその漫画の画像を見せてくれた。

 ゆるくて可愛い、癒やされる感じの絵柄だ。タラコのメリーはリボンをつけていたりと、想像以上に女の子だった。ドンもイケメンというよりかは可愛い系という印象を受ける。

「可愛い」

 こういった現代的な絵とは触れる機会と恵まれなかったが、なるほど、こんな感じなのか。

「でしょ! 俺のイチオシは甘太郎っていう人間のキャラなんだけど、画像ないかな〜」

 彼は再び、スマホの世界へ。

「あ、あの物語の設定で、人が出てくるの?」

「うん。ドンを飼おうとしてくる男の子だよ。確か、4歳くらいだったかな」

「へぇ……」

 なるほど。人間との絡みも組み込んで、物語の世界を広げていっているのか。

 それにしても、その甘太郎くんはわざわざ野良犬を飼いたがるなんて偉いな。今の世の中には苦しんでいる動物達が多いのだから、彼らを救おうとするのは素晴らしい。感心だ。

(あ、でも二次元だから、実在はしないのか)

 そう考えると、少しショックだな。

 存在しない彼に代わって、私もペットを飼ってみようか。母を説得できれば良いのだがな。場合によっては、姉にも協力を仰ぐか。

「あ、あったよ! 見て見て、この子」

 戸山君が指差す先には、Kと書かれた帽子をかぶりピースをする小さな男の子のイラストが。

 4歳であるから、あどけなさが残っていて可愛らしい。髪の毛は少し長いな。

「うわあ、可愛い。この漫画を書いている方は、可愛さに重きをおいているのかな?」

「う〜ん。でもまあグロテスクなものよりは癒やし系のものを描かれているかな。前作は、ゴリゴリのギャグだったけど」

「そ、そうなんだ」

とか、その作者さんの作品をちゃんとチェックしてるんだな)

 漫画を読む人は、皆そうなのだろうか。

 だとすれば、作者さんが喜びそうだな。

 それにしても、漫画家──いやもしかしたら、絵を書くすべての人──は凄いな。

 この絵、細かい所まで色々気遣って描いてあるのが見てとれる。子供の純朴さが滲み出ているかのような、そんなイラストだ。

「で、どう? 読んでみたい?」

「う〜〜ん。……ま、漫画というものを知りたいし、読んでみたい、かな」

「決まりだね! じゃあ、明日持ってくるねっ」

「う、うん。よろしくね」

「バイバイっ」

「うん」

 丁度話がまとまった所で、私の家の前に到着した。「バイバイ」とは、照れ臭くて言ったことがない。

 ──この先の未来で、言える日が来るのかな。

「ただいま」

 いつも通り、誰も居ない。

 それでもやっぱり、帰宅を知らせる。その行為に、意味なんて無いとは思うけれど。

(さて、勉強勉強)

 ふぅと息をつき、黙々と勉強に励む。

(なんだか……ちょっと進みが悪いな)

 今日に限らずここ最近はいつも、ペンを持つ手がピタリと止まりやすくなっている。

 以前のように集中ができなくなっているのだ。原因は不明だが。

 それでも私は、休むことが出来ない。許されない。どちらにしたって、夕食が遠のき困るのは私だ。


「あー、疲れた」

 私は勉強と食事、入浴を終え、ベッドに飛び乗った。

 もう今日は眠りにつくだけ。何も思い残した事はない。

 ただ、明日が待ち遠しいのである。初めての漫画が。

(なんか急にドキドキしてきたな。絵柄は分かったけど、内容ってどうやって絵で表すんだろう)

 1ページに一枚の絵、といった感じで、脇の方にちょっとした文章があるのだろうか。いやいや、それだと絵本か。

 だとすれば、どのような描き方をしているんだ? そもそも、キャラクターの台詞をどのように表現するのだ?

 疑問ばかりが頭に浮かぶ。

(具体的な展開があるって事は、文字がない訳ないし……)

 いくら考えても予想ができない。

 まあいい。今日はもう寝てしまって、明日未知の存在と存分に触れ合えばいい。


     ○ ○ ○


 待ち望んだ瞬間は、もうすぐに。

「もう家の前だね。じゃあ、はいコレ」

「ありがとう」

 学校内では目立ってしょうがないからと私が無理を言って、例の漫画は我が家の前での受け渡しとなった。

 そうすると当然のごとく共に下校となるのだが、背に腹は代えられない。私が頼んだ事なのだし、快く受け入れるべきだろう。

「じゃあまた明日ね、バイバイ」

「う……うん」

 さて。

 やってきたぞ。この私の手に、漫画が!

「ただいま」

 うん、誰も居ない。という事は今なら、読んでいても誰にもバレないのだ。

 家族の漫画への印象は知らないけれど、警戒しておいて損はないだろう。少なくとも、家の本棚に漫画は1冊も収められていないのだから。

 緊張の瞬間。

 ゴクリと唾を飲み、ページをめくった。

(……!)

 抱いていたイメージとかけ離れた世界が紙面そこに広がっていた。

 紙の一番上には、地球のような星の絵と四角形に入った文字が大きな長方形に囲まれている。

(あ、戸山君が言ってた通りだ。タラコと人の世界があるって書いてある)

 それにしても、タラコのキャラクター達がやっぱり可愛いな。

 なるほど。

 不思議なとんがりがある丸(後で聞いた話だと、吹き出しというらしい)で、皆が言葉を発せるようにできているのか。誰が話しているのかも分かりやすくて、とても良いと思う。

(へぇ。漫画って、こうやって進んでいくんだ)

 そこにある全てのものが新鮮で、ずっと眺めていても飽きない。

 それに、色んなタラコが描かれているのに、同じものが1つも存在しない。怖いくらいに、皆顔が異なっている。そういう所もまた、魅力なのだろうか。

 ──ガチャ。

「ただいまー」

 姉が帰宅したようだ。こうなれば、もう漫画は読み続けられない。勉強しなければ不審に思われてしまからだ。

(というか……全然勉強できてない! 急がないと)

 鍵の付いた引き出しに漫画をしまい、普段の5倍のペースでペンを進めていく。

 危機感ゆえか、今日は滞りなくノートのページが埋まっていった。内容もスッと頭に入る。

 自分が本気を出せばここまで出来るなんて、正直ビックリだ。

(早く続きが読みたいし、もっと飛ばそう)

 勉強は「飛ばそう」と思ってペースアップできるものではないのだが、やっぱり今日の私は違う。

 あっという間に、本日の課題終了だ。何度確認してもそれは、間違いではない。

 この短時間で、本当に?

 疑り深くなって、執拗にページ数を数える。結果はいくらやったって変わらない。

(私、やれば出来るんだ……)

 まあいい。もう終わったのだから、早く夕食を食べてしまおうではないか。


(よし! 続き続き)

 展開は知っているものの、やはり実際に読むとまた印象が変わる。

(でも……こういった面白い物を、もっと早くから知りたかったな)

 幼い頃から勉強に力を入れて、特に他人との関わりも持たずに生きてきた。そこには、面白い事なんて何もない。

 それでも、今更過去の人生にとやかく言うつもりはない。後悔はするけれども。

(今、それ漫画を知って読んでいる事実に感謝すべきなのかな)


 漫画に魅了された私の今日の睡眠時間は、普段の2分の1だった。

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