時間はかかるけれど
「そのパンケーキ屋のオススメメニューが甘ったる過ぎて、ちょっと吐きそうになったのよね」
「うわ、杏奈汚っ」
「吐きそうって言っただけで吐いてないから! 勘違いしないでくれる」
「アハハハッ、杏奈必死っ」
「蘭も食べてみれば分かるわよっ。というか夕梨、会話に加わらすぎ〜」
「えっ」
蘭のクラスが異なるということで、私達3人は廊下で談笑している。パンケーキなんていかにも女の子らしい内容。正直ついていけなかった。
「でもまあ、夕梨はパンケーキって感じでもないしね。元々の性格も含めたら、無理よね」
フォローを入れるかのように、蘭がフッと笑った。
「う、うん。周りの視線もちょっと怖いし」
蘭の広めた噂と林田先生の録音データなどが原因で、私達はすごく目立つ存在だ。しかも対立していた立場。
皆が騒ぎ立てないはずがない。
「……夕梨って本当
「ま、まあほんの少し前までは空気以下と言っても過言ではない程に認知されてなかったからね。知らない人の視線って、ただひたすらにいっ痛いんだよね」
「分からないわ〜その気持ち。大体、夕梨は気にしすぎなのよ。人からの印象とかね。でも──前よりもセリフが長くなったのは、心開いてくれたみたいで嬉しいけど」
「? 杏奈何か言った?」
「べ、別にっ」
杏奈がそっぽ向いてしまった。なんだろう。顔も少し紅潮してきたみたいだし。
「杏奈ったら照れちゃって〜」
蘭は言葉の内容を聞き取ったのか、にんまりと笑っている。杏奈は彼女に「茶化すな!」と返した。
それにしても、新鮮な空間だ。
いつも休み時間は戸山君が寄ってきて、中身のないゆるい話をしていたからな。
別にこちらの雰囲気が張り詰めているという訳ではない。むしろ女子特有の明るさが溢れている。
(これが『友達』との会話か。フフフッ)
「ん? 夕梨なに笑ってんのよ。もしかして、本当はアタシの言った事聞いてた!?」
「え。いや、聞こえなかったよ。そ、そんなに恥ずかしいセリフだったの?」
「聞いてないんならいいのよっ。その質問には答えないわ。蘭、絶対言わないでよね」
杏奈がまた以前のように恐ろしい容貌でそして震えた声で言い放った。そんな態度を取られると、気になってしょうがない。
「了解♪」
「……マジで、絶対だからね」
「当たり前じゃない」
「怪しいのよ、その顔!」
杏奈と蘭は微塵も動かずに互いの顔をジッと見つめ合っている。杏奈は額に冷や汗をのせ、蘭は口角を吊り上げている。
「そんな事言ったって、元はといえば杏奈の発言のせいなんだから、ねぇ」
「ぐぬぬ……」
悔しそうに顔を歪める杏奈。この2人のやり取り、平和の象徴みたいで微笑ましい。
「って、夕梨また笑ってるし! もう話題変えるわよ、ヒヤヒヤしてしょうがない」
「じゃあ杏奈が決めてよね。全く、文句が多いんだから」
「まあまあ、え、笑顔でいこうよ。笑顔で」
もし少しでもどちらかが不機嫌になったら、2人の間に再び深い溝ができてしまうかもしれない。
せっかく友達になって和やかにお喋りができているのだから、壊してたまるか。自分自身の為にも、この関係は守ってみせる。
「そう言うアンタの顔、引き攣ってるけど? アハハッ」
「えっ!?」
「ホラ、これ見てみなさい。蘭の言う通りだから」
杏奈から黒いコンパクトミラーを投げ渡された。慣れない手つきでそれを開き、自らの顔を確認する。
そこには、変に顔の強張った私がいた。
「本当だ。アハハハハ」
「あ、ちゃんと笑った」
「な、何その言い方!? 私だって人間だから笑えるよ」
「ハハハ、そりゃまあ、そうよね」
「……フフフ、ハハハッ」
何故か急に笑いがこみ上げてきた。この衝動には、抗えない。
「声がさっきより大きくなってる。てか何がそんなに面白いのよ」
「わ、分からないけど、フフッ。面白くてっ」
「な、何よソレ。アハハハハッ!
杏奈も私も、そして2人の会話を見ていた蘭も、大きな声で恥も外聞もなく笑った。
どうして、こんな何でもないような事で馬鹿みたいに笑えてくるんだろう。
同性だからか、戸山君よりも遠慮がない気がする。それがこの笑いの空間をもたらした理由なのだろうか。
「ハァ〜、おかしい。こんな面白い時間が、いつまでも続いたら良いのにね」
「蘭にしては珍しくちゃんとした事言うじゃない」
「そのセリフ誰も幸せにしないわよ」
「思った事はすぐ声に出しちゃうタチなの」
取るに足らない小さな口論。少し前までは想像もしていなかったこの景色。
『楽しい』と、素直に感じた。同時に、今抱いている気持ちを今だけの物にしたくないとも思った。
でも無力な私には、母に立ち向かう事が出来ないのだ。せいぜい、彼女等との距離を意識して、ほんの少し離す程度。
「コラコラお前達、そろそろ教室に入れよ」
『はーい』
安心した様子で笑う林田先生に促され、軽く杏奈と会話をしながら教室に向かう。
「林田も、結構変わったわよね」
「私達を見ると、よ、よく笑うようになったね」
「何かあったのかしら」
「さ、さあ」
横目でチラリと林田先生を見る。てっきり杏奈を眺めて笑っているのかと思っていたが、こちらに視線は向けていないようだ。
(上手く表せないけど、確かに雰囲気が変わってる)
まあ彼にだって色々あるだろう。
放課後になっても杏奈達はお喋りを続ける。話しても話してもネタが無くならないみたいである。それだけで、充実した毎日なのがうかがえる。
「あ、そうだ。さっき杏奈が話してたパンケーキ屋、3人で行かない? どれだけ甘いのか確かめたいわ」
え。
が、外出か……。まあ関係が親密になってくれば、学校外でも会いたくなるんだろうな。
「良いわね。アタシは絶対違うメニュー食べるけど」
「夕梨はどう?」
「えっ、と。その……私、休日の外出はできなくて」
厳密に言えば、母が仕事で家に不在の場合ならば外出はできなくはない。
しかし、休日の母の帰宅時間は不規則なのだ。遅ければラッキーだが、そうでなければ家を開けた理由を問い詰められる。
それは母からの信頼が崩れた事の証明であり、彼女が『監視』という手段を用いて私の支配を強化する可能性へと繋がっていく。
よって、外出はできないという訳だ。
「そう。厳しい家庭なのね」
杏奈が分かりやすく落ち込んだ。
「どうやっても無理なの?」
隣の蘭は、私が共に行ける方法を探し出そうとしている。
「う、うん。ごめん」
「何も悪い事はしてないんだから、アンタが謝る必要なんてないわ。家庭の事情じゃあ、どうしようもないしね」
杏奈はそう言ってくれたけども、彼女自身暗い気持ちを拭いきれてはいなかった。
「そ、そうだね」
「……じゃあ、パンケーキ屋は独り立ちしてから行く?」
落胆する杏奈を尻目に、蘭はまだ諦めきれない様子で質問を投げかけた。
その必死さだけでも、私は十分喜びに満たされる事ができるよ。ありがとう。
「う、うん……」
2人が立派な大人になっていたとしても、私はどうか分からない。だから、力のない返事しかできなかった。
やっぱり迷惑かけてばっかりだ、私。
◎ ◎ ◎
翌週の月曜日。
「ねぇ、夕梨」
もじもじしながら、杏奈は俯いていた。
「な、何?」
「──コレ、あげるわ」
「?」
杏奈は腕を正面に伸ばした。その末端には、固く握られた拳。
そしておもむろに拳は開かれ、何かが空中に出現した。
「うわっ、と!」
地に落ちそうになった何かを私が掴んだ。
さて、これは何だろうか?
「!」
「昨日蘭と雑貨屋に行って買ったのよ、ソレ。『約束』を忘れないように」
──パンケーキの、ストラップ。
美味しそうな苺のジャムと生クリームがまんべんなくかけられていて、今にも甘い香りが漂ってきそうだ。
「……あ、ありがとう。『約束』、いつか絶対に果たそうねっ」
「当然よ。まあ、アンタ次第って感じだけどね」
「そ、そうだね。頑張るよ」
嬉しい出来事が起こった瞬間は、本気でそう思えるのだ。生半可なものではない、まごうことなき心からの決意。
けれどもやっぱり、今の生活を崩すことの恐怖がじっとりと襲いかかる。少なくとも今は、まだ母への対抗心より恐怖心のほうが勝っているのだ。
「楽しみね。というか3人だけじゃなくて、将来的にはもっと大人数で遊びたいわ。やっぱ騒がないとね」
杏奈はにこやかに理想を語る。不確か過ぎる理想を。
それが実現するか否かは、私に委ねられている。いつの間にか、誰かの夢に関わる人間になっていたんだな。
「うん。それもいいね」
でも、でもね。ごめんなさい。
(まだ、お母さんの恐怖からは抜け出せない)
初めは「勝手に話しかけてくる」を口実にできたかもしれないが、今は違うのだ。何を言われるか、何をされるか、未知数である。
「……夕梨、無理して親に反抗しようとはしなくて良いのよ。たとえそれがアンタの意思だったとしても、タイミングを見計らって、ちゃんと考えてよね。今が平穏なんだとしたら、尚更」
「あ、杏奈……」
彼女なりに私のことを考えてくれていたのか。
それ知って、心が少し軽くなった。
しばらくは、このままかもしれないけど。それでも、掲げた『いつか』が必ず来るように立ち向かう。この意思は、揺るがない。
「本当に、ありがとう」
「と、友達だもの。当たり前の事でしょ」
今日貰ったこのストラップは、鞄などに付けたら母に見つかるためとある場所に保管しておこう。
それは、宝箱。
机の片隅にある、一見すると単なる紙の箱に過ぎないそれが私の宝箱。中身はストラップを含め、2つしかないけれど。
(うん、いい感じ)
ここに新たな物が加わるだけで、大分雰囲気が変わる。私の心が満たされているのを表してるみたいだ。
興味が無いかもしれないが、箱に納まるもう1つの宝物。それは母が購入してくれた地味なイヤリングである。
彼女が今の父と結婚したその日、姉にも買っていたそれを私は一度たりとも使用した事はない。つける機会にも残念ながら恵まれなかった。
でもこのイヤリングは、「孤独であっても綺麗でいてほしい」という母の切実な願いが込められている。最近になってそれが分かった。
姉は時折化粧をするが、私はしない。したくもなければ、必要もないのだと思う。なのでイヤリングも着用しない。そのせめてものお詫びとして、私はこれを宝物としたのだ。
(これからもっと、中身が増えたらいいな)
きっとこの先の人生で、思い出は現在の何倍にも増えていくだろう。そうしたら自ずと、記念の品も多くなる。
──コンコン。
「夕梨、いい?」
この声は、姉だな。もう結構遅い時間だというのに、なんだろうか。
「どうしたの?」
「いや、大した事じゃないんだけどね……。というか、今である必要もないんだけど、」
部屋のドアを開けて用件を訊くが、姉の前置きが長い。もったいぶってないでサッサと済ませてほしいものだ。
「何」
「アンタ土曜日、どうせ暇でしょ? だから一緒に行かない? ココ」
そう言って、姉は後ろに隠していたポスターを見せてきた。どうやら、パンケーキ屋のものらしい。
(ん? パンケーキ?)
妙なタイミングだな。神様の悪戯だろうか? それによく見たら、杏奈が言っていた店と店名が一致している気がする。
まあでもこれは、なんとも嬉しい偶然だ。せっかくだから、乗っておこう。
「うん、行く。パンケーキってどんなのだろう」
「分かった。じゃあ母さんに伝えといて」
「え、ちょっ。自分で言っ──」
私が言い終える前に、姉は走っていってしまった。全く、自分から誘ってきたくせに。
(まだ寝てないだろうし、今言って来るか)
自分勝手な姉に呆れながらも、私は母の部屋へと向かった。
「あら、夕梨どうしたの? 11時には寝なさいっていつも言ってるでしょ?」
「あ、ごめん。終わったらすぐ寝るよ。その……土曜日に姉さんとパンケーキ屋に行くから。それだけ」
苛立った様子の母だったが、すぐに顔色を変えた。私達2人が仲良くなるのは別段気にしていないのだろう。
むしろ──。
「へぇ、そう。姉妹2人が親睦を深めるのはとっても素晴らしい事ね。楽しんでらっしゃいよ」
「うん。まだ先だけどね」
母は私達が共に出掛けるのを喜んでいるみたいだ。姉のオシャレにも大賛成していたし、女の子らしくある分には構わないという事だろうか。
「じゃ、おやすみ」
「うん。おやすみ」
そう挨拶をして、母の部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
楽しみにしている事があれば、学校での一週間なんてまたたく間に過ぎ去ってしまう。
「夕梨ー、準備できた?」
「うん、終わったよ姉さん」
「じゃあ行くよ」
姉につい先程借りたスニーカーの靴紐を縛り終えた私は、差し出された姉の手を力強く握った。
「忘れ物はないわね?」
母が笑顔で質問する。
「うん」
「ないよー」
「そう。安心したわ。それにしても、夕梨本当に可愛いわね〜。由莉がメイク上手なのね、妹の素朴な感じを生かしてる。服もセンス良いし」
母が腕を組み、舐めるように私の全身に視線を向ける。変な気持ちになるな、これ。
「でしょ。将来メイクアップアーティストにでもなろうかなってくらい。あ、スタイリストも良いかも」
私が地味なシャツとジーンズくらいしか所持していなかったため、そんなのが隣にいたら恥ずかしいと急遽、姉が服やら靴やらを貸してくれた。ついでに軽くメイクまで。
私は何度も嫌だと抵抗したのだが、最終的に抗えなくなって今に至る。姉の将来の夢が定まって、何よりだ……。
「じゃあ行ってらっしゃい」
『行ってきまーすっ』
服装はさして問題にはならない。そんなものよりも心を動かす事があるから。
生まれて初めてのパンケーキだ。胸が躍るのは当然だろう。ましてや、友達が話題に挙げていたものなのだから。
「あー、このポスター見てるだけでお腹空いてくる」
「私はそこまでじゃないけど……。でも確かに、甘くて美味しそうだよね。けど急にこんな事を言い出すなんて、らしくないよね。何かあった?」
そう訊くと、姉は思いがけない質問に驚いたような反応を見せた。
「……。ま、まあ、私だって人間だから。色んな事情を抱えてるもんよ」
「曖昧な返しだね。話したくないなら追及はしないけどさ」
「大して気にしてないよ」という気持ちを伝えたかったのだが、姉は押し黙ってしまった。やはり触れてはいけなかったのだろうか。
姉妹間が少し気まずい雰囲気に包まれ、沈黙は破られることなく店に到着した。
「いらっしゃいませ〜」
聞き慣れない女性の声。
笑顔で写真を撮りまくる、同年代くらいの年頃に見える少女達。
そして……辺りに漂う、強烈すぎて早くもお腹がいっぱいになってしまいそうな甘い香り。
「す、すごい」
「パソコンでちょっと見たけど……実物の方がシャレてる感じ。いい所だわ」
「お客様2名様ですか? お席ご案内致しますね」
「あ、はい」
綺麗で堂々とした店員さんに導かれ、私達はキョロキョロしながら席についた。
お店の人達は前提として、客もまた、皆輝きを放っていた。嫌でも目を向けてしまいたくなる。
「夕梨、そんな見ない! 失礼でしょ」
「ご、ごめん。なんか惹きつけられちゃって」
「……ハァ」
姉はため息をつくも、「まあ、分からなくもないけどね」と言わんばかりの表情を浮かべていた。
そんな姉をよそに、私はメニュー表を物色していた。「店員イチオシ!」と文字が添えられている表紙のメニューは「たっぷり生クリームと苺のパンケーキ」。
「表紙ジッと見ちゃって、どうしたの。もしかしてもう決まった?」
「あ、いや、ううん。ただ、これ甘ったるくて吐きそうになるらしくって」
「ら、「らしくって」って、言った……? それって、私以外の別の誰かからこのパンケーキの情報を聞いていた、ってこと?」
姉は訝しげな視線をこちらに向ける。けれどもそれはすぐに、別のものへと変化した。
「ちょっぴり心が軽くなった。夕梨もだったなんて」
「……え?」
よく分からなくて目をぱちくりさせた。夕梨『も』ってなんだ?
──まさか、姉も母の定めた掟を破って……。
「さっきの質問の答え、遅くなったけど今話すね。……今察したかもしれないけど、私・木嶋由莉は母さんの目の届かないところで友人を作り、あろうことか気になる人までできました」
姉の顔はまさしく真剣そのもの。口から出された言葉が
「え……」
「ま、母さんには怖くてまだ話せてないけどね」
意外だ。
姉こそはもっと母に従順なのだと思っていた。でもそんな事はなかったのか。
私よりも長く生きている訳だし。
「ちょっと、驚きすぎじゃない? 夕梨だって友達いるんでしょ?」
「え、いや、その……。まあ、いるけど」
相手に暴露された後なのだし、もう隠す必要もないだろう。
「でもいかにも冴えない感じなのによくできたね〜。その友達って地味?」
「いや、どっちかって言うと派手な方、かな?」
「え〜、夕梨の友達なのにぃ?」
「きっかけがきっかけだから、ね」
「どんなきっかけなわけ?」
「教えない」
姉とこんな会話ができるなんて、夢にも見ていなかった。単純に嬉しい。
その後食べたパンケーキは、今まで味わったことの無い不思議な味がした。
『姉と力を合わせればいずれ、母に反抗することができるかもしれない』。そんな希望を表すかのように。
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