アタシの想い④

 林田先生がゴホン、と咳払いをした。

「今から言う事はきっと、二人を凄く驚かせる事になるが……覚悟しておいてくれ」

 彼の表情はまさしく真剣。じっとりと滴り落ちた汗が、それを顕著に物語っている。

「朝から深刻な様子でしたので……。ちょっとやそっとでは驚きません」

 戸山君がそう宣言した。先生が何と言っても、私には驚かない自信がない。

「それは頼もしい。では、話を始めよう」

 少し緊張したような先生の姿に思わずゴクリとつばを飲む。


「実は俺は──赤江杏奈のことが、好きなんだ」


 は?

「え?」

「や、やはり驚くよな……。教師が生徒のことを好きだなんて」

 林田先生が少し顔を赤らめている。まあこんな状況、照れないはずが無い。

「えっと、いやその……ま、まあ。思っていた以上に踏み込んだ話だったので」

 衝撃的な雰囲気に耐えかねず放ったであろう先生の言葉は、さすがの戸山君でもフォローは不可能だったようだ。

「そ、それで、私に協力したい、というのは……?」

「それはだな。君達は、赤江を戸山から離れさせたいんだろう? そして、俺は赤江と結ばれたい。つまり、我々が手を結べばウィンウィン。どちも得をするではないか」

「え……」

 すなわち、先生は自らの恋路の為に私達を利用しようとしているという事だ。まあ確かに、私達も得をするのだろうが。

「ですけど、具体的には何をするんですか? 計画も無しに、こんな提案はしてこないでしょう」

 戸山君は軽妙に会話を続けていく。

 そんな彼の問いかけに対して、林田先生は言葉を詰まらせている様子だった。

「いや。それは……その。ふ、二人の方が赤江と親しいしな? 俺の株を上げて、いつの間にか惚れさせてくれれば良いだけだから」

「無謀過ぎですよ、さすがに。赤江だって、教師のことを恋愛的に見るのはかなり難しいはずです。今好きな人がいるのなら尚更。せめてもう少し、先生の方からもアピールをするべきかと……」

「わ、私も同意見です」

「う〜ん。そうか? しかし、多少ぶっ飛んだ発言をしないと恋愛対象として見てはもらえないだろうしなぁ」

 林田先生は上気した顔を誤魔化すかのように手をパタパタさせる。まさか目の前で担任のこんな姿を見る事になるとは。夢にも思っていなかった。というかぶっちゃけ彼に興味が無かった。

 それにしても、普段からは想像できないような表情。物凄い違和感を感じる。

「だからって諦めるんですか? 僕ら……じゃなくて木嶋さんにまで声を掛けたのに、肝心な所で勇気を失ってしまうのですか?」

「……俺だって、諦めたくなんかないさ。ただ、周りの目が怖いんだ。他の生徒達は勿論、赤江本人にだって「先生の癖に何言ってんだよ。キモ」みたいな事を言われるのは目に見えている。

「前……?」

 林田先生は若い教師であるが、ある程度の経験値はあるのだろう。それは教える事のみならず、恋に関しても。

「まあ兎に角、赤江が俺を意識するように努めてくれ」

「か、簡単に仰いますけど、私は赤江さんに嫌われているんです。戸山君は戸山君で、話をしにくい状況ですし」

「だが俺よりかは話せるだろう?」

 自分が教師だからって……。

「そうですけど……」

「僕達が先生に協力したところで、何か得をするんですか? 先生の方は赤江に惚れられて素敵な恋ができるのかもしれませんが、先生が何にも行動を起こさないのなら僕等はただ利用されるだけですよね」

 戸山君は怒りのままに机を叩きつけた。確かに先生の狙いは、それなのかもしれない。

「人聞きの悪い事を言うなぁ。言っただろう? 俺が何かしでかせば、罵声が帰ってきて終わりなんだよ」

「そんな言い訳はよしてください。ただ、怖いだけでしょう? 断られるのも覚悟の上で一度告白をするなりして下さいよ。失敗の経験は、いつか先生のやる気を鼓舞する物になる筈ですから」

 戸山君が反論を並べる。

 確かに先生は、行動を起こす事を恐れているみたいだ。

「失敗なら数え切れない程したよ。そのせいで、俺は自信を失った。だからこうして君達に話をしているんじゃないか」

「……確かにそうですね。でも、先生がそのままなら僕達は協力なんてしません。赤江の件は自分等でケリをつけてみせます」

「なっ……」

 林田先生は戸山君を軽く睨む。

 彼にとって、私達は希望の光。上手く利用すれば彼の人生は薔薇色になる。手放したくないのは当然だ。

「どうして驚くんですか? ……自分は何の苦労もせずに幸せになれる恋がこの世にあるとでも?」

 しかし、教師相手にここまで堂々と喋る事が出来る戸山君、中々凄いな。

「俺は十分辛い思いをした。神も、きっともう良いと仰っている」

「そうやって逃げていると、叶うものも叶わなくなりますよ」

 戸山君はまるで林田先生を見下すかのような視線を向けた。

「逃げたって良い事はありません。ですが、怯えずに進んでいけば必ず幸運は降りかかるものです。僕が証明します」

「戸山……。お前のような勝ち組には、解らないだろうな」

「勝ち……組? また、言い逃れようとしてるんですか? 先生」

「あのな、人間はタイプ分けされてるんだよ。ちょっとの勇気を振り絞れば幸せになれる勝ち組と、どんなに努力しても残念な結果に終わる負け組の二つにな」

「んなっ!」

 戸山君は「馬鹿らしい」とでも言いたかったのだろう。明らかに呆れた顔をしている。

 林田先生のことを『捻くれた野郎だ』と評する人もいるかもしれないけれど、私はそうは思わない。だって……

 彼の瞳は失意に染まっている。一度や二度の失敗でああはならない。

「その言い方では、まるで僕がなんの苦労もしていないみたいではないですか! 自分の判断で勝手に決めつけて、そんな事では恋が成功しないのも頷けますよっ! 失礼しました!」

 怒りに任せ、戸山君は乱暴に部屋の扉を開けて廊下へ出た。

「あ! 待ってくれ……」

 戸山君を追いかけようと席を立つ林田先生だが、私が椅子に腰掛けたままだと気付いた。

「戸山に付いていかないのか? 恋人なんだろう?」

「!!」

『恋人』と聞き、思わず体を震わせ先生を睨んでしまった。

「形だけです。私達は」

 二人の関係に前向きになったとはいえ、まだ彼を好きな訳ではない。

「……そうか。高校生にも、色々あるんだな」

「当然ですよ」

 先程までは戸山君が会話の進行者のようになっていたので、滞りなく話が進んだ。

 けれど彼が逃げた事で、場には気まずさだけが残る。

「し、失礼しました」

 やはり耐えられずに退室する。

「……」

 林田先生は何も言わず、ドアの隙間から覗く窓の外の世界を見つめていた。

 その空はため息が出るほど美しい夕焼け色に染まっていて、何故だか寂しい気持ちになる。


(結局、先生とは話すだけ無駄だったのかな……)

 そんな考え事をし、誰も居ないと思って教室のドアを開けた。

「……♪」

 しかしそこには杏奈さんが居た。窓際でずっと外を眺めている。幸いこちらに気付いていないみたいで、本当に楽しそうな笑みを浮かべていた。

 そして、一人だと思ってこう呟く。

「ガンバレ、海斗っ」

 部活中の戸山君を見ているのだろう。

 その姿はまさしく、清純な乙女。彼女の戸山君への思いもきっと、純粋で素直なものだろう。

 これが『恋する乙女』というヤツなのだろうか? 特有の美しさや存在感を放っている。

 何というか──凄く可愛い。

 しばらく見とれていると、杏奈さんのスマホからピロリンッ。という音が聞こえてきた。

(メールか何かが来たのかな?)

「え。……意味分かんないし。てか──、キモッ」

(?? どんな内容のメールが来たんだろう)

 どんなにグンと背伸びをしても、体を左右に動かしても、杏奈さんの手に握られたスマホの画面は見られない。

「折角良い気分だったのに、最悪だわ」

 杏奈さんの表情は驚くほどに怒りに満ちていた。

 たった一通のメールで、ここまで人は不機嫌になれるか?

「でも話を詳しく聞きたい。……まだ近くに居るかも! って、木嶋夕梨!? いつから居たのよ!?」

 突如体の向きを変えた杏奈さんに、あっさりと存在がバレてしまった。

「け、結構、前……?」

「こっそり見てたのね。趣味の悪い。けど、そんな事はどうでもいいの。話がある。──今来たメールの内容について」

「え……?」

 杏奈さんはスマホの画面を私に向ける。そこに書かれていた事柄を目にして、私は絶句してしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る